自分の先祖はどんな人物だったのか――? 日本人の90%が江戸時代、農民だったとされますが、さらに平安時代まで千年遡ると、半数は藤原鎌足にルーツがあるといいます。名字、戸籍、墓、家紋からたどることのできる先祖。『先祖を千年、遡る』(丸山学著)より、自分自身の謎を解く醍醐味とその具体的手法を伝授します。
自分の存在は確実に千年前からつながっている
皆さまの中には「ウチは江戸時代中は○○藩の武士だった」ということが言い伝えとして明確に伝わっていたり、家系図が残されていたりする方もいらっしゃると思います。
現代は封建時代ではないのですから、その出自や昔の身分を以て優劣がある訳ではありません。とはいえ、江戸時代中の武士身分というのは全体の中で10%未満ですから、それは自然に誇らしい気持ちにもなります。身分制度も「歴史的事実」として誇りに思ったり、楽しんだりすることは問題ないでしょう。
一方、江戸時代中に自家が武士でないと「ウチはしがない農民だし。名家ではないから……」という言葉もよく耳にします。どうも、江戸時代中の身分を基準として「武士だから凄い」「農民だから大したことない」という発想になりがちのようです。
しかし、千年という雄大な時間を単位として考えた場合には、江戸時代中の身分を以て名家か否かを断定するのは非常に早計というべきかもしれません。
まず、単純に考えて21世紀の今日、自分が存在している、つまり、自分の家が存在しているということ自体が非常に奇跡的な出来事なのです。
日本で最初の本格的な戸籍と見られる「庚午年籍(こうごねんじゃく)」が作成されたのが天智天皇(第38代帝 在位667~671年)の時代で、この戸籍により人民の姓氏も確定されていったものと考えると、本格的に姓氏の制度ができてからすでに1300年以上の時を経ていることになります。
その間、日本史にはどれだけの戦乱や飢饉が起きたことでしょう。
人権の意識が確立され、社会保障制度も充実し経済大国となった現代の日本に生きている私たちは「生存できる」ことに対してそれほど深く考えることもありません。まあ、人生に多少の紆余曲折はあっても寿命まで生き続けられることにそれほどの疑問も持ちませんし、それがどれほど有り難いことかを実感する機会も少ないでしょう。
しかし、平安・鎌倉時代の庶民にはそもそも「人権」というものは全く存在していません。国民の10%が飢えて死のうとも時の社会は全く反応しません。わずか150年ほど前にしかすぎない江戸時代でさえ、飢饉の時にも農民に厳しい年貢を課し、実際に天保時代などには多くの庶民が餓死しています。先祖調査の中で全国のお寺の過去帳の情報(当該家の情報のみ)を御住職に教えていただく機会も多いのですが、やはり天保年間には檀家の死亡記録がいちだんと多くなっています。特に「○○童子」「○○嬰児」といった戒名が多く並び、体力のない子供たちがまずは犠牲になっていったことが感じられます。
現在がどれほど厳しい時代だといわれても、平安・鎌倉・室町・江戸時代とは比較しようもありません。今のように生活が苦しくなったからといって生活保護が支給されることも、失業したからといって失業保険が出ることもありません。昔であれば、そうした事態に陥った家はもはや存続が困難になるだけです。
弱い者は淘汰されていくのが、当たり前だったのです。
おそらく、平安時代に下層庶民だった場合、その家がその後の残酷な千年を無事に生き残ることは至難の技だったでしょう。
江戸時代中にいわゆる「下層」であったとしても、そこに至る千年を生き残ってきたのですから、実は平安時代まで遡れば藤原・源・平などの由緒ある末裔であり、戦乱・飢饉により下層民が淘汰されていく中で、それら由緒ある家柄の中での下層(分家の分家など)がその淘汰されて欠けてしまった地位に新たに割り当てられていったと考える方が自然といえます。
つまり、平安期の由緒ある出自を持つ氏族も時代を経るごとにその末裔の数は膨大になる訳ですから、下層が欠けていく中では、その由緒ある氏族の中で新たな格差ができていき社会を形成していったと考えられます。
今この本を手に取っている皆さまの名字である○○家は、名字の変遷はあるにしても確実に千年前もどこかに存在していた訳です。それは、やはり相応の出自を持つ末裔だからこそと考えてよいでしょう。
ですから、江戸時代という最近(?)の身分制度の枠組みだけで考えるのでは先祖探しの醍醐味を自ら半減させてしまうようなものです。もっと大きく雄大な目で、自らのルーツに想いを馳せていただければと思います。それがための「千年」なのです。
江戸時代の身分だけでは名家か否か判断できない
余談ですが、江戸時代中に武士だった方が立派な家柄だと思われる傾向がありますが、その実情は意外と違っていたりします。武士の中でもいわゆる上級武士(百石取り以上)はほんの一握りであり、あとは薄給で暮らす下級武士が大半を占めます。
武士の家系については後述しますが、各藩の「分限帳」という現在の給与明細のようなものがかなり現存していて先祖の年収も知ることができます。足軽クラスですと年収が米十八俵程度であることも普通で、現在でいえば年収100~200万円程度の非正規雇用に近いイメージです。こうした武士の家を調査してみますと、武士だけでは食べていけないので御用勤めの他に川魚を取る漁師を兼ねていたりすることもありました。
それでいながら、幕末の戊辰戦争などではいの一番に戦場の最前線に送られて、あっさり新政府軍の砲弾の前に戦死した記録が出てきたりもします。
それに引き換え、身分制度の中では下に置かれている農民でも富裕層は多く、そうした農民は藩への献金の見返りとして苗字・帯たい刀とうも許され立派な上かみ下しもを着て暮らしていました。ある富裕な農民だった家には吉原を貸し切りにして豪遊した記録なども残っています。
武士が自分の知行地(領地)としている村の農民から借金をして暮らしていたという笑えない記録も残っています。
「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、これは全くオーバーな表現ではなかったようです。
そうした富裕な農民層の多くは、江戸時代の前、つまり中世から戦国期までたどると由緒ある武家だったというケースが多くあります。
戦国時代に自家が仕える主君が合戦で負けて衰亡した場合には、別の大名に再仕官するのもなかなか難しく、それを機に帰農して江戸時代中を農民として過ごすのですが、そうした家は村の中で良い地位を占め富裕層として暮らすことになるのです。
これもまた江戸時代中の身分だけでは名家か否かを判断できないという所以です。
先祖を千年、遡る
『先祖を千年、遡る 名字・戸籍・墓・家紋でわかるあなたのルーツ』試し読み