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破れ星、燃えた

2023.08.24 公開 ポスト

倉本聰自伝より。

阿川弘之先生 - 昭和の文豪の貫禄とはかけはなれた何とも可愛らしいお姿。倉本聰

ニッポン放送から独立した「倉本聰」は、「速く! 安く! うまく」を武器に、テレビ界・映画界に乗り込んだ。抱腹絶倒、波乱万丈、そして泣ける、痛快無比な倉本聰さんの自伝『破れ星、燃えた』より、様々な俳優・女優・文化人との交流のエピソードをお届けします。

がむしゃらに働く30代前半に出会ったのは、“昭和の文豪”阿川弘之さん。「瞬間湯沸かし器」と言われる阿川氏の可愛らしい姿とは。

*   *   *

嵐のような日々だった。

大体週に一本のシナリオを書いた。

読売巨人軍の王貞治さんがホームラン数の記録を年々更新しつつあったが、こっちは殆どが凡打とはいえ、本数だけは王さんにほぼ並んでいた。

三十代前半。体力だけはあったから、ガムシャラに書きまくった。只、所詮見習い中、あくまで修業の身。自分はまだまだシナリオ技術者の段階であって作家といえるのははるか先。速い、安い、うまいを標語にしてとにかく世間に認められようと、右から来る注文も左から来るものも何でも応じられる“便利な”ライターに徹しようと思っていた。

その頃。NHKから頼まれた「あひるの学校」(原作は『あひる飛びなさい』他)原作者阿川弘之先生と知り合い、何だか妙に気に入っていただいて、書生のように出入りするようになる。

グルメで知られる先生が、「うちの女房のカレーは絶品だぞ」と自慢され、御馳走になって、どうだ、意見を云えと仰るので、

「正直に云うンですか」

「勿論、正直にだ」

「──松竹梅とランク付けすると、竹の中という所かと思います」

先生は思わず吹き出され、その晩クラソウ(先生は僕のことをクラソウと呼ばれた)

にこう云われたと岩田豊雄(獅子文六)先生に早速電話されたらしい。翌日夫人のもとへ岩田先生から速達が届いた。宛名がふるっていた。

「竹中華麗様」

とにかく男っぽく愉しい方で僕はすっかり好きになった。だが先生は家庭では激しい暴君で、夫人や娘佐和子ちゃんはいつも警戒して暮らしていたらしい。何故か突然怒り出すのよ、その理由がさっぱり判らないから困るの。本当に瞬間湯沸かし器なんです。夫人がこぼされるので説明してさしあげた。実は僕も家では瞬間湯沸かし器なんです。瞬間湯沸かし器には湯沸かし器のかくれた三段論法というものがあります。コチンと来た時まず抑えます。二度目にコチンと来てこれも抑えます。三度目にコチンと来ていきなりフタがぶっとびます。まわりには何故フタがぶっとんだか判りません。本人にも判らなくなってる時があります。

娘の佐和子嬢がその後突然大売れに売れたのは、この湯沸かし器の爆発的エネルギーに永年耐えに耐えて来たものが一挙に噴出した結果だと思う。

阿川弘之先生のこの内面の爆発が見事に描かれた作品がある。「舷燈」という中篇だが先生の傑作だと僕は思っている。

この「舷燈」を僕は脚色し、NHKで放送したことがある。先生の役を芦田伸介、夫人の役を八千草薫。

NHKに一通の投書があった。阿川さんが夫人をいきなり殴ったのは許せる。だが、芦田伸介が八千草さんを殴ったのは許せない。

何となく判っておかしかった。

晩年病床に臥せられた時、お見舞いに行ったらポソリと云われた。  

「最近は、阿川佐和子のお父さんって云われるンだ。イヤになっちゃう」

御存じない方に申し添えるが、先生はかの巨匠志賀直哉の最後の弟子である。

先生の友人である関係から吉行淳之介さんとも親しくなった。吉行さんは僕の麻布の先輩であったこともあって良くしていただいた。吉行さん程ニヒルというか、物に動じなかった人も知らない。

ある日銀座で吉行さんが内田 也裕(ゆうや)の一隊と一緒になり、場面が何でか険悪になり、裕也についていた安岡力也が「殺してやろうか!」と吉行さんに凄んだら「殺されてやろうか」と静かに返したので力也が黙ってしまったという話を聞いた。

吉行さんの恐怖対談に招かれた時、直前に体験した僕の痔の手術の話になり、ベンツのマークの形に尻の穴を切られたということを話したら、眉をひそめてしばらく痛そうにしておられたが、突然ハッと目をさましたように「あぁびっくりした! フォルクスワーゲンのマークと勘ちがいしちまった!」と仰った。

いくら何でもワーゲンの形に尻を切られたら一体どうやって痕を縫うんだ!

阿川先生が相当のお齢になってから、大分離れた男の末っこを作られたことがある。

芦田伸介が鬼の首をとったように、オイ、阿川があの齢で子供を作りやがった! 恥ずかしくって人に云えねぇんで、佐和子を説得してお前の子だっていう話にしろって必死になって口説いてるそうだ! 何とも嬉しそうに電話をかけてきた。

先生にお祝いの電話をかけたら、必死に弁解して照れていらした。「山本五十六」「米内光政」など日本の戦中を荘重に書かれていた昭和の文豪の貫禄とはかけはなれた何とも可愛らしいお姿だった。

とにかく僕にとって大好きな方だった。

関連書籍

倉本聰『破れ星、燃えた』

今でも、黒板五郎の幻影を見かけることがある。 テレビも映画も元気な過剰で過激なあの時代を、苛烈に駆け抜けた。 そして、今、思うことは――。 抱腹絶倒、波瀾万丈、そして泣ける。どこまでも人間臭い漢の、痛快無比な自伝。

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