ニッポン放送から独立した「倉本聰」は、「速く! 安く! うまく」を武器に、テレビ界・映画界に乗り込んだ。抱腹絶倒、波乱万丈、そして泣ける、痛快無比な倉本聰さんの自伝『破れ星、燃えた』より、様々な俳優・女優・文化人との交流のエピソードをお届けします。
大原麗子さんの紹介で出会った高倉健さん。健サンには喜劇が似合うと思った倉本が書いた「あにき」(TBS)はその喜劇性が演技の中で光り、健サンに気に入ってもらえた。
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この頃健さんは時折フラッと富良野に現われるようになって来ており、二人でうちの暖炉の火をかこんで映画の話を夜っぴて語り合った。
健さんはおどろく程アメリカ映画について勉強しており、年中向こうへ行き、向こうの映画人と交流していた。中でも特に尊敬していたのが俳優の中ではヘンリー・フォンダ。監督ではマーティン・スコセッシだった。恐らくあの頃スターの中で、あれ程深く勉強していたのは、健さんを措いてはいなかったのではあるまいか。
寡黙で人には語らなかったが、高倉健を僕は見直し、一目も二目も置かざるを得なかった。
自分の寡黙については彼はこう語った。
おやじからガキの頃厳しく云われたンです。男は一生に三言もしゃべれば充分だ。
その言葉を執拗に守り通しているようだった。その姿勢に僕は圧倒された。
しかし二人きりの時間になると彼はよくしゃべりジョークをとばした。
「『ディア・ハンター』という映画をご覧になりましたか」
観ている筈がなかった。先週初めてアメリカで封切られたマイケル・チミノ監督の新作で、ロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、メリル・ストリープ等が出演している作品だった。
「もう観たンですか」
「二回観ました。すばらしいです! もう一回すぐにも観たいです。明日一緒に観に行きませんか」
「エ! 日本でも観られるンですか」
「いや、ニューヨークで観るンです」
「エ!?」
「一日、いや二日体を空けられませんか? すぐに飛行機を手配します」
「──!」
「明日の午後成田から飛びます。すぐ機内で寝ます。時差がありますから同じ日の午後に向こうに着きます。コーヒーでも飲んで映画館に入ります。観終わったら一寸買物でもして向こうを夜出る便にとび乗ります。機内で又ぐっすり寝ちまえば翌日の夜中にもう日本に着いてます。二日間あれば充分です」
あまりのスケジュールに仰天した。
高倉健さんはそんな突拍子もないスケジュールでしょっちゅうあっちと往復しているらしかった。そして向こうの映画人と、密に交流し勉強していた。
たまげた。
それから二年程後の話だが、二人でスペインを二週間程旅したことがある。
コマーシャルを撮る為の旅だったがこの時二人で闘牛にはまった。連日夕方になると闘牛場に出かけた。
帰国する前日彼は大きな荷物をかかえて泊まっているホテルに帰ってきた。
「闘牛士の恰好にしびれちまって実は何日か前仕立て屋に行ってマタドールの衣裳を作っちまいました。仮縫いまでして帽子から靴まで全部一式揃えました」
流石に唖然として健さんを見た。
そんなもん作ってどこで着るんです!!
すると健さんは初めて気づいたようにポカンと僕を見つめていたが、永い間の後でボソリと云った。
「うちに等身大の鏡があります。深夜こっそりこの衣裳をつけて、鏡に向かって『オーレ!!』なンてマタドールのポーズをとってたりするんじゃないでしょうか」
健さんが亡くなってもう何年も経つ。
あの衣裳はその後どうなったのかと、ひどく気になる夜がある。
その頃健さんはやくざ映画にすっかり厭気がさしてしまっていて、その為東映から距離を置いていた。だが僕はどうしても彼のやくざ姿をもう一度スクリーンで観てみたかった。