ニッポン放送から独立した「倉本聰」は、「速く! 安く! うまく」を武器に、テレビ界・映画界に乗り込んだ。抱腹絶倒、波乱万丈、そして泣ける、痛快無比な倉本聰さんの自伝『破れ星、燃えた』より、様々な俳優・女優・文化人との交流のエピソードをお届けします。
石原プロより、石原裕次郎に最期の花を咲かせたいからシナリオを書いてくれと頼まれた倉本。しかし、裕ちゃんをがっかりさせる結果に終わってしまった。
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こんな間にも裕ちゃんからの──というより石原プロの小政からの、シナリオ書け、の催促は矢のように続いて尽きることがなかった。当時裕ちゃんは赤坂東急ホテルの一室を事務所代わりに使っており、赤坂プリンスを常宿にしていた僕とは気軽に行き来できる距離だった。
彼は四十四歳で舌癌を患い、腫瘍の除去手術を受けている。でもその癌は完治して普通の暮らしに戻っていた。それでも三枝夫人、番頭の小政たちは、彼の健康管理に徹し、そのことを何よりも優先していた。夕方までシナリオの打ち合わせをしても街へ出て飲むことは絶対せず、飲みの相手で朝まで付き合うのは、病から復帰した後、「くちなしの花」をヒットさせた渡哲也と石原軍団だった。
この数年前石原軍団に舘ひろしが新しく加わってきて、渡はこの舘を大いに気に入り、“俺のかなわないカッコ良い奴が今度軍団に入ってきまして。飲みに行っても俺よりモテルんです”と嬉しそうにそばに置き引き廻していた。舘も渡にベッタリ惚れていた。
石原軍団というものを見ていると、裕ちゃんに惚れ切って従う渡、渡に惚れ切って裏切らない舘という二重構造になっていて、その全体を見事に守る小政こと小林専務がいるという男同士の友情に支えられた、まァ早く云えば単純なやくざ組織に思えた。下についている血気の若者も、軍団の為なら平気で暴力団にも立ち向かっていく単純明快な青年ばかりで、ある日ロケ先で平気で暴力団と互角に闘う軍団の下っ端に、よくお前ら恐くないなと問うてみたら、「奴らに怖(おび)えたら小政に殴られます。やくざに殴られるか小政に殴られるか。給料もらってますから当然小政に殴られる方が痛いです」という極めて明快な言葉が返って来たので、成程そうかと変に納得した。
こんなグループに狙われたのだからヒルに吸いつかれたようなものである。こっちには「悲別」という社会的使命を持った仕事があるし「北の国から」のスペシャルはあるし、第一、富良野塾という大事業があるのに吸いつき虫のように離れてくれない。
おまけに裕ちゃんは文芸作品をというし、小政は旦那に失敗は絶対させられない、と陰に廻ってチャンバラを強要する。軍団内部のこの大矛盾に一年以上ふり廻されて遂に又ハワイに拉致された。
今度はオアフでなくハワイ島である。
歓楽施設など全くない、荒れ果てた火山の島である。
大体石原軍団によるハワイ拉致はこれで三度目。だがハワイといったって海水に足を浸したこともない。フラ娘と顔を合わすこともヨットに乗せてくれることもない。只ホテルの机の前にいわば足枷でしばりつけられ、ひたすら机に向かうのみである。それで東京の親分から「俺は待ってるぜ」と期待されたって良い発想が浮かぶもンじゃない! 結局監視付きでハワイ島のホテルに監禁され、十日程かけて一本シナリオを完成させた。それを携えて東京に帰り、小政に渡してテレビ局へ走り、たまっていた自分の仕事を片づけてホテルへ戻ってへたりこんでいたら、訪ねてきた小政に叩き起こされた。
「怒るなよ」と断って昨日渡したシナリオのコピーが返って来た。
そこにもここにも付箋がつき、裕ちゃん直筆の赤字のダメ出しが書かれている。
「ここの意味不明!」とか、
「理解不能!」とか、
「面白さ皆無! つまらん!!」とか。
いつもの裕ちゃんの鷹揚さの全くない、感情剥き出しの罵詈雑言の羅列である。
こっちも半分自信がなかったから、クサされても仕方がないと思いはしたものの、余りの過激さにシュンとした。
大体文芸物なのかアクション物なのか敵の態度が一向決まらないし裕ちゃんの望む文芸物の真意がどこにあるか依然つかめない。これはもう所詮僕には無理だ。降ろしてもらおう、と心に決めた。
小政に逢ってそのことを告げた。力不足だ、僕にはできないと。
三、四日して渡から、逢いたいという由の連絡をもらい、逢った。
ボスからの手紙です。とまず手紙を渡された。石原裕次郎は達筆である。その達筆でこう書かれていた。
「話は聞いた。がっかりだ。怒っちゃいない。でも淋しい。俺は今一人で、たまらなく淋しい」
何とも云いようがなく、声が出なかった。
あれ程楽しみにしていた裕ちゃんに、応えてやることができなかった。その不甲斐なさに心が痛んだ。すると渡が坐り直した。
彼の顔つきがいつもとちがっていた。
「先生に謝ることがあります。実は先生をだましていました」
目を伏せたまま渡哲也が云った。
「これから云うことは絶対他所では云わんで下さい。夫人と小政と僕しか知らないことです。裕次郎本人にも云っていません」
「──」
「実は裕次郎はガンなんです。肝臓ガンでそれももう末期です。医者はもう一年は無理だと云ってます。本人は気づいているかどうか。多分何かは気づいていると思いますが僕らには何も云いません。ボスはここ何年も最期の映画を。──それは石原プロと離れてもいいから、自分の最期を飾れる映画を作ることを唯一の夢にして来ました。だから僕らはその夢を叶えてあげようと、ここ何年か動いて来ました。その夢を持つことが裕次郎の唯一の生き甲斐になっていたからです。だから裕次郎の希望通り先生をだまして巻きこみました。
あらためて今まで黙っていたことをお詫びします。本当を云うとシナリオが出来ても撮れるかどうか判らなかったんです。いや、撮影に入るのは多分もう無理だったと思います。それでも僕らはボスに最後まで夢を持っていて欲しかったんです。だから先生をだまし続けました。
あらためて心よりお詫びいたします。
もうこの話は忘れて下さい。
只、人には絶対云わないで下さい」
渡は深く頭を下げた。
「──」
何と云って良いか判らなかった。
だまされていたことなんてどうでも良かった。そんなこと、全く小さなことだった。そんなことより夫人と、そしてこの純朴な二人の男が、一人の男に心底惚れきり、その為ならどんな芝居でも打とうと無言で尽くし通したその心情に、僕は打ちのめされ、圧倒されていた。
もう書けないと断ってしまった自分の不甲斐なさが情けなかった。
ホテルに帰って一人きりの部屋で、渡から渡された裕ちゃん直筆のあの手紙をもう一度そっと開いた。
「話は聞いた。
がっかりだ。
怒っちゃいない。でも淋しい。
俺は今一人で、たまらなく淋しい」
裕ちゃんの淋しさが心に沁みた。
手紙を見つめたまま動けなかった。