真夜中に過去の失敗を思い出して落ち込む経験は、誰にもあるものでしょうか。渋谷で30年近くバーを営む林伸次さんによる短編小説集『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』のなかには、そんな苦しみに耐えられない人たちが登場します。それは林さんが経験した現実と地続きの物語なのかもしれません。
真夜中の「思い出し後悔」
僕、渋谷で25年間バーテンダーをやっているのですが、しょっちゅう「知ったかぶり」をやってしまうんですね。
例えばイギリスにシュロプシャーブルーっていうオレンジ色のブルーチーズがあるんですね。これ、牛が人参を食べているからその牛乳がオレンジ色になって、オレンジ色のチーズが出来る、ってどこかで聞いたような気がして、一度そういう話をお客様にしたところ、完全に僕の間違いだったんです。このチーズがオレンジ色の理由はアナトーっていう着色料を入れているからでした。こういう知ったかぶりというか、間違いって本当に恥ずかしいですよね。
こういうことって、真夜中に布団の中で「あああ! あのとき、あんな知ったかぶりを言っちゃった! 自分って最低!」って思い出して、「はあああ」ってため息をついてしまうじゃないですか。
僕、こういうときは、まず分析することにしているんですね。
この手の思い出し後悔になるのって、こういう場合があります。
①自分のことをちょっと上に申告してしまう
例えば学歴とか職歴とか出身とか、あるいは昔こんな風にモテたとか、あるいはちょっとだけ同席した有名人のことをすごく親しいって言ってしまったりとか、こういう経験をしたことがあるとか、読んだことのない本を読んだことがあるように言ってしまったりとか、そういう自分を上に見せたくて、ついつい多目に言ってしまうってあります。
②知ったかぶりをしてしまう
あのお店いいらしいよね、とか、その会社実はこうらしいよ、とか、あるいは有名な作品名を間違えたりとか、いろんなウンチクを間違えて語ってしまったりとか、そういうの本当にたくさんあります。
③失言をしてしまう
これって、その場が盛り上がれば良いなあと思って、ちょっとした冗談みたいなことを言ってしまうってことが多いです。それが全然冗談にならなくて、場が凍り付いてしまうみたいなことってあります。
こういうのって、取り返しがつかないと言いますか、「ああ、この人は知ったかぶりを言う人なんだ」って思われて、終わりです。
それで、真夜中に「あああ、どうしてあんなことを言ってしまったのか」ってため息をついてしまうというわけです。
この思い出し後悔って、すごく精神的に良くないですよね。どうすればいいのかっていうのがありまして、まずこんな風に何かに書いて発表すると、多少気が紛れます。あるいは発表しなくても、自分で紙に書いて、「本当に反省」って風に心に刻めば大丈夫です。
あるいは、その失言した相手に、「あの時はこんなことを言ってしまってすいませんでした」って告白するのもすごく効果があります。そういうときって、ほとんどの場合は相手は「そんなことあったっけ?」みたいになって、「そうかあ。意外と人ってこういうことを覚えていないもんなんだなあ」って気持ちになって落ち着けます。
あるいはその相手がすごくいい人だったら、「ああ、そういうの自分もよくあります。以前こういう知ったかぶりをしてしまって」なんて教えてくれることがあります。そういうのを聞くと、「あれ? この人も知ったかぶりはしてるんだ。さらにこの人の知ったかぶり、この人は気にしているけど、そんな大した失敗じゃない。ということは自分の知ったかぶりもそんな大したことないのかも」っていう風に気持ちが落ち着いてきます。
でも、出来ることなら「思い出し後悔」ってしたくないですよね。真夜中に「あああ! どうしてあんなこと言ってしまったんだろう」って落ち込みたくないです。
以前、何かの文学作品で、「美しい言葉しか発さないようにしよう」っていう設定を読んだことがあって、そんな世界、美しいですよね。
僕たち、誰かの噂話とか悪口とか妬みとか、あるいはお金とかセックスに繋がるような話ばっかりずっとしてます。誰かと誰かが喧嘩してるとか、誰かと誰かが付き合ってる話って大好きですよね。
そういう言葉は発さないで、美しい言葉だけしか発さないようにしようっていう試みです。
でもどう考えても無理ですよね。
それで、どうして僕たちはこんな風に、いい加減にその場で思いついた失言ばかり繰り返すのかって考えて、「この相手との会話は、これが最後なんだ」って思うと、すごく言葉を選んで、後悔しないような会話をするんじゃないかなって思ったんです。
そうですよね。誰か親友が入院していて、余命1ヶ月って聞かされたら、「これがこの人との最後の会話なのかな」って考えて、すごく言葉を選んで、その人とのいい思い出を作ろうとしますよね。
それで、「その国では、人と人は一度しか会えない。一度会って、そこで別れたらもう二度と会えない」っていうことにすれば、もしかして僕たちは素敵な会話、素敵な出会いしかしないんじゃないかなって考えてみました。そんな小説を書いてみました。是非、読んでみてください。
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続きは、『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』をご覧ください。
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