なかなか暖かくならない冬から春の移り変わり。世間を困らせているのは、冬なのか、春なのか。渋谷で30年近くバーを続ける林伸次さんによる短編集『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』は、少し不思議な儚い世界を抜粋してお届けします。
冬は去ったのに春は来ない
『季節の変わり目駅』で冬が何度も時計を見ながらイライラしている。
「ほんと、あいつはいつだって時間ぴったりに来たことないんだ。
俺がこのままここにずっといると困るやつらがいっぱいいるんだからな。
世間のみんなはまさか春が遅刻常習犯だなんて知らないと思うんだ。
たぶん俺が意地を張って、いつまでも居座り続けて、可憐な春を困らせているって想像しているんだ。
言っておくけど、桜のつぼみがピンク色になってから一週間もたっているのは一番俺が気にしているんだからな。
つくしが雪の下でずっと我慢しているのも知っている。
さっきなんて北風が『もう疲れちゃったから早く家に帰らせてよ』って俺のところに文句を言いにきやがった。
あのねえ、俺のせいじゃないの。
春が遅れてるの。
あいつ、今度こそガツンと言ってやるんだ。
今度遅れたりしたら俺もう先に帰っちゃうからなって。
冬が去ってるのに春が来てない不安定な季節なんて最悪だろって」
すると春が走りながらやってきた。
「ごめんなさい。すごく待ったでしょ。
どの服にしようかな、やっぱり明るい色の方がいいかなって悩んでたらあっと言う間に約束の時間が過ぎちゃって。
怒ってる?」
「いや。そんなことないよ。
桜を困らせるのって結構楽しいんだ。
その服、春に似合ってるよ」
冬が答えると世界が春になった。
* * *
続きは、『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』をご覧ください。
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2023年10月4日発売『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』について
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