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「リング」に立つための基本作法

2024.09.22 公開 ポスト

「キャラがないなら四股を踏め」オカダ・カズチカが“レインメーカー”となったきっかけの言葉オカダ・カズチカ

プロレスラーには限界から先の姿を見せていく使命がある――。

新日本プロレスのスター選手として活躍後、アメリカのプロレス団体「AEW」でも躍進を続ける“レインメーカー”オカダ・カズチカが人生の極意を記した書籍『「リング」に立つための基本作法』より、一部を抜粋してお届けします。

プロとしてお客さんを楽しませるために

「オカダ、お前は試合でなにを伝えたいんだ?

元プロレスラーのスタッフに言われた。

2010年、新日本プロレスからアメリカへ武者修行へ出て、向こうの団体、TNA(現:インパクト・レスリング)で闘うことになったときのことだ。

「えっ、なにか伝えなくちゃダメなの?」

「あたりまえだ。お前、伝えたいこと、ないのか?」

相手はあきれた顔で僕を見た。

「闘って勝つだけじゃダメなの?」

「伝えることがないなら、とりあえずを踏め

「四股?」

日本人といえば、アメリカでは今でも相撲や芸者、忍者のイメージだったりする。

「そうだ、相撲の四股だ。プロレスはキャラクターが重要だ」

 

そのスタッフの意見はもっともだった。

僕はプロだ。プロのレスラーだ。会場に集まる人、テレビを見ている人に喜んでもらい、楽しんでもらい、収入を得ている。とくにアメリカでは、エンタテインメント性が強く求められた。

そんな環境で試行錯誤を重ね、闘うことでリングにカネの雨を降らせる、今のレインメーカーになった。

(撮影:玉川竜)

1980年代、猪木さんを中心に新日本プロレスが人気を誇っていたとき、ほとんどのレスラーがストロングスタイルの黒のパンツだった。当時はそれが受けていた。ファンに求められていたのだ。

しかし、時代は変わった。1990年代から総合格闘技が台頭し、プロレスには強さだけではない、新しいなにかが求められた。とはいえ、すぐにチェンジなどできない。当初は総合格闘技系に合わせてしまい、複数の団体が同じスタイルで競合し、プロレス人気がすい退たいしていった。

そんな衰退期に僕はメキシコから帰国して新日本に入門した。そして基礎練習を積んだ後、TNAに武者修行に出て、エンタテインメント性を身につけたのだ。

プロレスとお笑いの共通点

プロレスに求められる強さにプラスするなにか──。それがレインメーカーというキャラクターだ。

プロレスには、お笑い芸人さんたちの世界と重なるところがあると思う。お笑い界では毎年、新しい才能が現れる。そこから継続して人気を得る人もいれば、いわゆる“一発屋芸人”で終る人もいる。

その後、生き残ろうが、消えていこうが、いずれにしても最初のドーン! と一発、がなくては世に出られない。そのために必要なものの一つは、強烈なキャラクターではないだろうか。

 

「とりあえず四股を踏め」というTNAのスタッフの指示は適切だった。まず、どういう存在かをお客さんに伝えろ、ということなのだ。

実力があれば、さらにキャラクターも活かされて、それはやがてブランドになる。カリスマ性のあるレスラーへのプラスのスパイラルが生まれるわけだ。

レインメーカーはあのスタッフとの会話がなければ生まれなかった。

 

今の新日本プロレスの顔ぶれを見てほしい。それぞれキャラクターが立っているはずだ。マッチョな人もいればポッチャリな人もいるし、マスクマンや怖そうな人もいる。それぞれの個性が光り、それぞれの闘い方があり、おたがいのキャラクターを殺し合うことなく競い合っている。

これはたぶん、多くの職業に共通する。たとえ会社内でも、どんな業種でも、まずドーン! と一発かまさないと、みんな意見を聞いてくれない。実力が問われるのはその後だ。

*   *   *

この続きは書籍『「リング」に立つための基本作法』でお楽しみください。

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もうダメ限界! と諦めた、そこから先が人生を分けていく。 マインドを鍛えるスクワット法から、SNSとの付き合い方、後輩体質のコミュニケーション力、そしてスーツや日記の効用など、老若男女、誰もが自らの「リング」に立つためにヒントとなる、オカダ流人生の極意の数々。

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「リング」に立つための基本作法

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オカダ・カズチカ

1987年愛知県安城市生まれ。15歳のときにウルティモ・ドラゴンが校長を務める闘龍門に入門。16歳でメキシコのアレナ・コリセオにおけるネグロ・ナバーロ戦でデビューを果たす。2007年、新日本プロレスに移籍。11年からはレインメーカーを名乗り、海外修行から凱旋帰国した12年、棚橋弘至を破りIWGPヘビー級王座を初戴冠。また、G1 CLIMAXに初参戦し、史上最年少の若さで優勝を飾る。14年、2度目のG1制覇。16年、第65代IWGPヘビー級王座に輝き、その後、史上最多の12回の連続防衛記録を樹立。21年、G1 CLIMAX3度目の制覇を成し遂げる。得意技は打点の高いドロップキック、脱出困難なマネークリップ、一撃必殺のレインメーカー。191cm、107kg。

(写真撮影:玉川竜)

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