自分の人生と他人の人生は違うもの。頭では理解していても、夫婦の場合、なかなか実感がともなわないかもしれません。渋谷で30年近くバーを続ける林伸次さんによる短編集『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』が描く人生の苦み。今回のお話は心にどう響きますか?
他人の人生は決められない
その国では二十歳のときに、自分のこれからの人生をすべて決めなくてはならなかった。
自分が何歳で死ぬのか。自分は何回恋をするのか。それは何歳なのか。結婚は、子供は、相手は。自分の職業は何なのか。転職はあるのか。成功はするのか。その成功はどのくらいなのか。そういった人生のありとあらゆる分かれ道を、二十歳のときに決めなければならなかった。
そのため、その国では、二十歳になるまでに、学校をはじめとしたありとあらゆる機関が、人生設計について子供たちに多くのことを教えた。
職業の選択の仕方はもちろん、その仕事に夢中になるのが幸せなのか、それとも仕事はそこそこで趣味に打ち込むのが幸せなのか、あるいは独立や起業の興奮やプレッシャー、大金持ちになれば必ず幸せになるわけではないということなんかも教えた。
恋は多い方がいいのか、失恋は経験した方がいいのか、結婚や子供や家族について、多くのサンプルを見せて、自分にはどういうのが合うのか、何度も何度もシミュレーションをさせた。
一番の問題は寿命で、自分はいつ死ぬかを設定することだった。若い頃は太く短く生きるのが格好いいと考える者も多いので、六十代で死んだ人、七十代で死んだ人、八十代で死んだ人などの晩年の言葉を集め、自分は何歳までこの人生を続けるのが一番よいと感じるのか、何度も何度も考えさせた。
十代の後半になり始めると、親や友達と、「何歳くらいまで生きるのが幸せなんだろうね」とか「仕事ってどうやって選ぶの?」とか「結婚ってした方がいいのかな?」とか、語りあったが、結局は自分の人生だから、これは自分だけのことだから、自分で決めなくては、とみんなが自分の心の奥底を見つめた。
そして、二十歳の誕生日に国民それぞれが自分の人生を心の中で決めた。人生の道すじは人によって決めるポイントが違う。ある人は「二十五歳にお見合いで公務員と結婚する。二十七歳で息子が生まれる。三十歳に家を建てる。同時に犬を飼う。八十歳の夏に昨日まで元気だったのに突然心筋梗塞で死ぬ」という風に決めることもあるし、ある人は「美大に通い絵画で賞をとる。五年ごとに新しい恋をする。七十歳で好きな人に見つめられながら死ぬ」という風に決めることもあった。
二十歳に心の中で決めた自分の人生の詳細は、死ぬまで誰にも教えてはいけない、秘密にすることになっていた。なぜなら、自分の人生の詳細を他人に伝えると、世の中が混乱してしまうからだった。
これはその国のある男性の日記だ。
三月二十八日
息子の就職が決まり、明日からこの家を出て行くので、家族でお祝いすることになった。息子は就職しても研究を続けるようだ。大学院でもずっと研究漬けだったから自分の人生は研究にかけようと思っているのだろうか。
上の娘も弟の就職祝いをするために嫁ぎ先から帰ってきた。今日は娘の幼い子供は夫に任せてきたそうだ。息子の就職先と娘の会社は業界的に近いようで、専門的な話を楽しそうにしている。あんなに小さかった二人がこんなに立派になって、僕や妻に白髪が増えてきたのも当然だ。
家族四人で久しぶりに食卓を囲んだ。今夜はハンバーグとナポリタンと餃子とカレーライスという不思議な組み合わせのメニューだが、どれも息子の大好物だったものばかりで、家族四人で昔話に盛り上がりながら、狭い台所で作った。
四人で「懐かしいね」という話はするが、誰も未来の話はしない。これからこうしたい、こんな夢がある、なんて話はない。僕たちにとって未来はすでに自分で決めているものだし、それは誰にも言ってはいけないことになっているからだ。僕たちは、昔の話と最近の話ばかりを何度もぐるぐると行ったり来たりした。
妻を見ると、楽しそうに笑っている。妻は僕の二つ年下だから五十歳だ。妻はいつまで生きる予定でいるのだろうかと、またふと考えてしまう。この国の平均寿命は七十五歳だからみんなその年齢に合わせがちだけど、妻もそのくらいなのだろうか。僕は七十五歳に死ぬことに設定しているから僕が二年先に死ぬことになってしまうのかもな、僕が死んだ後、妻には寂しい思いをさせてしまいそうだ。
食後にコーヒーをいれて、久しぶりに家族四人で人生ゲームをすることにした。この国では人生ゲームは定番中の定番の娯楽だ。みんな小さい頃から自分の人生の駒を進めながら、どういう人生が一番幸せなのかを考える。危なっかしい波瀾万丈の人生が楽しいのか、それとも安定していて自分が本当に好きなことをたっぷり味わえる人生が楽しいのか、結婚は、家族は、と小さい頃から考える癖がつく。僕も幼い頃に人生ゲームをやりながら、自分には普通の仕事や普通の家族が向いているんだろうなとよく考えたものだった。
娘がいつものように大胆な人生を選んでいる。娘は若い頃からたくさんの恋愛をして、最終的に有名なアーティストと結婚をした。そのアーティストと娘の恋愛劇は週刊誌を賑わした。たぶん今後も娘はハラハラドキドキするような人生を計画しているのだろう。
僕がいつものように無難な人生を選んでいると、娘が「相変わらず父さんは平凡な人生を選んでるね」と笑った。息子も妻もその娘の言葉を聞いて苦笑した。息子も僕のような人生は軽蔑しているのだろうか。妻も実は不満に思っているのかもしれない。
人生ゲームが終わり、娘は、弟に「頑張って」と告げ、タクシーでアーティストの夫と幼い子供が待つ自宅へ帰った。息子も「じゃあ明日早いから寝ようかな」とつぶやきながら自分の部屋に戻った。
僕と妻は、話すこともなくなり、「私たちも寝ますか」と妻が立ち上がり、寝室に向かった。
ベッドで妻が、「あの子、どういう人生を選んでるのかな」と息子の話をするので、僕が「あいつは何か発明とかするんじゃないかな。小さい頃からSFの未来の話なんか好きだったじゃない」と言ってみる。妻が「そうかもね」と答えた。
三月二十九日
朝食の準備は僕の番だったので、妻と息子と僕の三人分のトーストとスクランブルエッグとオレンジジュースを用意した。
息子が「父さんのスクランブルエッグを食べるの最後かもね。すごく美味しいよ」とほめてくれた。
「そんな。最後なんて悲しいことを言うなよ。でも、このままおまえが結婚なんかしたら、もう一緒に朝ご飯は食べないかもな」と僕はしんみりする。
もちろん僕は息子に、「結婚したい人はいるのか?」とか「いつかは誰かと結婚したいと思っているのか?」なんて言葉はかけられない。息子の心の中ではこれからの人生は決まっていて、今、そんな自分の未来を頭の中で考えているはずだ。
妻が息子に「本当に残っている服は全部処分してもいいの?」と聞くと、息子は明るい表情で「うん。もう全部いらないから」と答えた。
息子は「ごちそうさまでした。じゃあそろそろ行かなきゃいけないから」と席を立ち、食べ終わった食器をキッチンに持っていくと、自分の部屋へ戻った。
僕が食器を洗っていると、息子がスーツケースを片手に部屋から出てきた。
僕が「それだけなのか?」と言うと、「そう。人生の荷物は少なくしたいから」と息子が笑い、「じゃあお父さんお母さん、今までお世話になりました」と頭を下げて、僕たちの家を出て行った。
ついに妻と二人きりになった。妻とソファーに横並びに座って、「子育てが終わったね」と息をついた。妻が「終わったね」と答えた。
僕が「コーヒーでもいれようかな」と言いながら、ソファーから立ち上がろうとすると、妻が僕の方を見て、こう告げた。
「ごめん。これから大切な話をするんだけど。傷つかないでね」
「傷つかないでねって、何の話?」
「私、あなたと離婚したいの」
「離婚? どうして?」
「今、好きな人がいるから」
「え?」
「ごめんなさい。私、五十歳のときに最後の恋をするって決めてて。最初の夫との恋はいずれは消えてしまうって先輩たちみんなが教えてくれたし。二十歳のときは、こんな風なあなたとの温かい家庭の状況なんて想像できなかったの。でもやっぱり決めたとおり、好きな人があらわれちゃった。ごめんなさい。離婚届も、あなたへの慰謝料も、全部用意してある」
妻は立ち上がり、引き出しから離婚届と印鑑を持ってきた。
僕は妻から離婚届を受け取ると、「そうか。決まってたんだ。じゃあ仕方ないね」と答えて、名前を書いて、印鑑を押した。もうこれは決まっていたんだからどうしようもない。僕たちはこの国で生きているんだから。
妻が僕から離婚届を受け取りながら、突然、涙をこぼした。
「泣かないでよ。こっちも泣きたくなるじゃない」
「ごめんなさい」
「仕方ないよ。どうしようもないよ。決まってることなんだし」
妻がずっと泣いている。妻に「これからどうするつもりなの?」と聞きたくなったけど、もちろんそれは聞けない。「彼はどんな人なの?」と質問してみようと思ったけど、そこまでいい人にもなれない。
僕は、そうかあ。僕は死ぬときは一人だったんだ。知らなかった。と心の中でつぶやいた。
妻にこう聞いてみた。
「もしかしてもうこの家を出る準備ってできてたりする?」
「うん。ごめんなさい。もう準備はできてる。今日出て行くつもり」
「謝らなくていいよ。仕方ないよ。お昼ご飯は食べるの?」
「お昼ご飯だけ食べてから出ようかな」
「じゃあこれが最後の食事だから、シャンパーニュでも開けようか。今から買ってくるよ。そっちもいろいろとやることがあるでしょ。お昼は何作ろうかな。久しぶりにピザでも焼こうかな」と僕は告げると、大急ぎでジャケットを着て外に飛び出した。
スーパーでシャンパーニュとピザに必要な食材を買って、帰りに妻が大好きなケーキ屋さんで、チーズケーキも買って帰った。
僕は昔、イタリアンで働いたことがあるからピザは生地から作る。まだ結婚したての頃、日曜の昼は僕がピザを焼くって決まっていたものだった。
僕がピザを用意していると、妻が「あなたのピザ、久しぶりだね」と寂しそうに笑った。
「これが最後になるね」と答えた。
二人でシャンパーニュで乾杯をして熱々のピザを食べた。いろんなことを話そうと思ったけど、白々しくなるからやめにした。
ピザを食べ終わり、僕が冷蔵庫からチーズケーキを出すと、妻が「うわあ!」と歓声をあげた。
残ったシャンパーニュを最後のチーズケーキにあわせる。
「長かったのか短かったのかわからないね」と僕。
「何が?」
「二人の結婚生活」
妻がまた下を向いて泣きそうになったので、「ごめんごめん。もうその話はやめようか」と僕が終わらせた。
妻もずっとこの日が来るのが苦しかったのかなと思った。いや、新しい恋も始まっていることだしそうでもないのかな、とも考え直した。
三月三十日
朝、目を覚ますと、家には誰もいない。今日から死ぬまでずっとこの家で一人っきりだ。
まさかこんなことになるなんて思いもしなかったから、五十代以降に恋をするとか再婚するなんてことは計画していない。
人間って結局ひとりで生きていくんだな、誰かの人生はたまたまその瞬間に居合わせただけ、すれ違っただけ。人は誰かの人生を決められないし、期待もできない。
そんなことはずっと前からわかってたはずなのに。こんなに苦しいのはなぜなんだろう。
* * *
続きは、『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』をご覧ください。
世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。
2023年10月4日発売『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』について
- バックナンバー
-
- #11 妻は「50歳で最後の恋をする」と...
- #10 「あれは去年死んだ息子?」湖の底...
- #9 国民全員が一年の半分は料理人として...
- #8「突然、恋をした」ひとりの女性を忘れ...
- #7「ごめん、もう遠くまで来ちゃった」あ...
- #6「新星の名前は、昔好きだった女の子の...
- #5「季節の変わり目駅」で春がいつも遅刻...
- #4「一生に一度しか恋ができない国」では...
- #3 人と人は一度しか出会えない。「これ...
- #2「強くなるのはイヤだ」エリートの両親...
- #1 「15分で読み切れる短編小説が完璧...
- #0 共働きの両親に預けられた夏休みの図...
- 「他人の人生は決められない」「好きな人の...
- 「ひとりの人間が生きる世界」はちっぽけで...
- 一度出会った人たちはもう二度と会えない「...
- 眠りにつく前、付箋を頼りに「小さく閉じた...
- 会話はすべて「誰かに告げ口される」と思っ...
- 「知ったかぶり」「迂闊な失言」を思い出し...
- 「何者かになりたい」人たちの夢をかなえる...
- 「人生は一度きり」そう気づいたら、まだ間...
- もっと見る