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礼はいらないよ

2024.11.22 公開 ポスト

「セドウィック通り1520番地」自分の人生を変えた“ヒップホップ生誕の地”をニューヨークで確認するダースレイダー(ラッパー・トラックメイカー)

母がケチャップをかけられた記憶もよみがえる

久しぶりにニューヨークに行ってきた。プチ鹿島さんとロフトグループの塁くんとの3人でのアメリカ大統領選挙の取材、3泊5日の弾丸旅行だ。

 

大統領選挙の取材は投開票日の11月5日に行なったが、前後はニューヨーク探索に励んだ。一日2万歩くらい歩いて、とにかくニューヨークを堪能する。ブロンクスのハイブリッジにはジョーカーステアーズがある。映画「ジョーカー」でジョーカーが踊りながら降りるシーンで使われている印象的な場所だ。

今行くと可愛いイラストが描かれていて、とてもポップ。せっかくだから登ってみようと挑んだら、結構な段数でなかなかハード。登り切ったら神々しい絶景かな! と思いきや、ブロンクスのストリートからまた別のストリートに出ただけだった。

階段を上がったところでは地元のおじちゃんたちが椅子を並べてピザを食べていた。おじちゃんたちはスペイン語で互いに冗談を飛ばしてワッハッハと笑っている。11月なのに汗ばむ陽気で、ブロンクスを強い日差しが照らしている。

今回が3回目のニューヨークだ。一回めは10歳の時、ロンドンから帰国する前に家族で寄った。僕は当時集めていたガーベッジペイルキッズのシールを探すためにデリを回ったのを覚えている。

母は白いジャケットを羽織ってバシッと決めていた。52番街を歩いていると、通りすがりのおじさんがケチャップを母にかけてきた。当時の日本人はエコノミック・アニマルと呼ばれ、ニューヨークを買い占めるのでは? という勢いだったこともあり、ヘイトの対象でもあったのだろう。ケチャップおじさんは笑いながら立ち去った。

僕は驚きながらも母がどんな反応をするのか恐る恐る見守っていた。すると、母は黙ってジャケットを脱ぐと目の前にあったゴミ箱に思いっきり叩き込んだ。「行くわよ」とキリッと言う母がやたらカッコ良く見えた。

2度目は25歳くらいか。友人の森くんがニューヨークに住んでいたので、当時付き合っていた女の子と一緒に会いに行った。911以降の緊張感がありつつ、街は活気を取り戻していた。森くんが自転車でブルックリンを風のようにかっ飛ばしていく。ハーレムのアポロシアターの隣の床屋の店頭のテレビでジェームズ・ブラウンのライブ映像がかかっていて、その前で子供たちが踊っている。ファンクのリズムが街を動かす。ハーレムの熱い日々。

この時はニューヨークからメキシコに行ったのだが、機内でテキーラが振る舞われて、メキシカンが歌ったり、騒いだりする大パーティーになっていたのもよく覚えている。日本人も黒人もメキシコ人も歌って踊るニューヨーク。

 

今回、投票を終えたニューヨーカーの取材を行った。20人くらいに話を聞いたのだが、それぞれにとても興味深い話をしてくれた。ニューヨークはいわゆる青い州で民主党候補が必ず取るのだが、今回ハリスが取るという前提でかなり多様な意見があった。そもそも積極的なハリス支持の人は少なかった。パレスチナの虐殺を止めてほしいという意見が多く、そのためにハリスには入れないという人もいれば、ハリスならプレッシャーがかけられるからと言う理由で入れたという人もいる。

そもそもハリスもトランプも保守だから緑の党に入れた人もいる。ムスリムのおじさんは嬉々としながらやっと平和が来るからトランプに入れたと言い、MAGAキャップを被った陽気なおじさんはようこそニューヨーク! と言いながらガッチリ握手してくれた。

ニューヨークの公園はとにかく最高だ。座っている人、寝ている人、走っている人、犬の散歩をする人、ご飯を食べている人、演奏している人、パフォーマンスしている人、物を売っている人、チョークで絵を描いている人、何もしてない人、カップル、家族、何かの撮影……あらゆることが同時に起こっているが、お互いに過度には干渉しない。それでもすれ違えば挨拶もする。みんな自分で考えながら、自分で好き勝手にやっているけど、相手のことも尊重する。なんて居心地が良いのか。

ただ、かつてのエコノミック・アニマルだったはずの僕はハンバーグ、ポテトとドリンクで3000円かかることに苦悶の表情を浮かべるしかなかった。陽気なメキシコ人たちとの国境には、再び壁を作るような民意が溢れかえっていた。

それでもニューヨーカーたちはしなやかで、強かに次の日も乗り越えていくとは思う。僕はヒップホップ生誕の地、ブロンクスのセドウィック通り1520番地を訪問し、自分の人生を変えてしまったエネルギーの発生地点を確認した。

そこから、今度はEラインに乗ってクイーンズのフラッシングのユニスフィアを訪れた。巨大な地球儀のモニュメントの前でビースティーボーイズのジャケット写真と同じ構図で写真を撮影し、自分の頭の中を渦巻くさまざまな思いをチェックし直した。

リズムに乗って、また一歩。そんなパワーもニューヨーク。

関連書籍

ダースレイダー『武器としてのヒップホップ』

ヒップホップは逆転現象だ。病、貧困、劣等感……。パワーの絶対値だけを力に変える! 自らも脳梗塞、余命5年の宣告をヒップホップによって救われた、博学の現役ラッパーが鮮やかに紐解く、その哲学、使い道。/構造の外に出ろ! それしか選択肢がないと思うから構造が続く。 ならば別の選択肢を思い付け。 「言葉を演奏する」という途方もない選択肢に気付いたヒップホップは「外の選択肢」を示し続ける。 まさに社会のハッキング。 現役ラッパーがアジテートする! ――宮台真司(社会学者) / 混乱こそ当たり前の世の中で「お前は誰だ?」に答えるために"新しい動き"を身につける。 ――植本一子(写真家) / あるものを使い倒せ。 楽器がないなら武器を取れ。進歩と踊る足を止めない為に。 イズムの<差異>より、同じ世界の<裏表>を繋ぐリズムを感じろ。 ――荘子it (Dos Monos) / この本を読み、全ては表裏一体だと気付いた私は向かう"確かな未知へ"。 ――なみちえ(ラッパー) / ヒップホップの教科書はいっぱいある。 でもヒップホップ精神(スピリット)の教科書はこの一冊でいい。 ――都築響一(編集者)

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礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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