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昨年末にインドア派宣言をしてから今は準備期間。インドアの扉の前でまだ入らないぞとストレッチなんぞしている気分だ。具体的には毎月の検査で数値が少しでも悪化したらインドアなのだが、それを引き延ばすためにとにかく毎日歩いている。過度の運動も禁止なので、毎日10000歩を目標に、無理せずに疲れる程度のウォーキングを続けている。
始めてみると意外にもリズム感が安定するのか、毎朝歩くのも悪くない。まずはBBCのポッドキャストを30分ほど聴いてから音楽に切り替える。音楽を鳴らしながら考え事をする。家やカフェで座って考えてると思考はあちこちに飛び散りがちなのだが、一定のリズムで歩いてると思考もまた一つの方向に深化していく感覚がある。一歩進むと思考の塊がゴロっと前に進む。ギリシャの哲学者が歩きながら考えているイメージは合理的なのだろう。
人間は嘘をつく。これは生物としての生存戦略に関わることだ。ユヴァル・ノア・ハラリは「虚構」と説明し、吉本隆明なら「共同幻想」といった言葉を用意するが、人間は嘘を信じることで共同作業を可能にしてきた。よく説明に使われるのがお金だ。お金は金そのものを取引すれば、その輝きによって価値がありそうだと説得力も増すが、これは印刷された紙や小さな銅片になると疑わしなるし、銀行通帳には数字しか書いてない。それでも、これには価値があるんですとお互いが信じることで経済的交流が可能になる。ところがある日、その価値が無くなる時がある。
たとえば去年カンボジアに行った時の話だ。ここの通貨はリエルだが、今1リエルは0.037円。1000リエルで37円だ。こうなってくるとそもそも1000とか10,000とか書いてある紙に価値があるなんて誰も信じない。紙に価値があるという嘘が剥き出しになったわけだ。そこでカンボジアではドルという世界中の人がまだ信じている嘘が流通している。ドル建てになると急にシャキッとお金を扱っている気持ちになるのも不思議だ。紙幣が紙切れになった!なんて話はソ連崩壊後のロシアのループルや韓国、ギリシャなどで何度も見られてきたが、それでも人間はお金という嘘には付き合っている。
国家も嘘だ。国家が本当だというなら、試しに連れて来い!なんて啖呵も聞くが実際、大統領やら大使やら、あるいは全国民を連れてきても、国旗をたなびかせてもそれは国家ではない。地図や地球儀に書かれている国境線は本当は引かれていないし、物理的に壁やフェンスを作ったところでそれこそ表面上の話に過ぎない。
だが人間は国家を信じ(文字通り、こうした宣言をする人も多い)、国家のために働き、場合によっては死ぬ。国家が発行する様々な書類には厳格に従う。国家の歴史を学ぶことにより、領土や体制の如何を超えて存在するもの(合間が抜けている時さえある)として認識していく。今の人間社会には確かに問題が多いが、それでも国家という嘘に付き合っているおかげで多くの恩恵も受けるし、お金という嘘ともども上手く回っている。まさに嘘も方便だ。人間はお互いの嘘を信じるという類稀なる能力によりこれだけ生物としての繁栄を誇ることができている。嘘を誇るべきだろう。
だが、人間は嘘が嫌いだ。嘘つきは唾棄すべき相手であり、嘘をつかれたら傷つき、相手を憎む。信じていたのに裏切られると落ち込む。それは紙幣が紙屑と化したり、国家が助けてくれなかったり、場合によっては消滅してしまう体験とも重なる。つまり嘘が嘘として現れることは嫌いなのだろう。嘘は信じてこそ機能する。
最近、オールドメディアなる批判語をよく見かけるが、これもマスコミは嘘をついていた!という反応とセットのことが多い。嘘というものは、自分の都合が悪くなった時の言い訳として発露するものでもあるので大変都合が良い。人間は自分の都合に合わせて嘘をつき、嘘を指摘する。こんな取り止めのないことを僕は歩きながら考える。
さあ、結構歩いたぞ。帰宅して数値を測ると悪くなっている。嘘であってほしい。
礼はいらないよ
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You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。
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