

下町ホスト#30
私は三ヶ月前のその夜を皮切りに眼鏡ギャルの家に頻繁に入り浸るようになり、燻んだオレンジ色の実家に帰らなくなった
君はきっとその事に気付きながら、敢えて知らないふりをして、時折、旦那と子供のいない隙に私を家に呼んで目隠しをして、やっぱり服を脱がせた
ぼやけた視界の中で、揶揄うような嫌味な質問されるが徹底して真面目に嘘を吐き続けた
皮膚をなぞる冷たい空気は、いつしか大量の花粉を含む生ぬるい空気に変わっていて、私は眼鏡ギャルの家の小さな窓から見える禿げかけた桜を眺める
その日の午後は異様に雨が強く、まだ開花していない柔らかい蕾に追い討ちをかけていた
先月の給料日に調子に乗って買った新しい携帯電話には昨日の売り上げ結果が記載されたメールが毎日、店長から届く
現在No.5という位置に私はいる
お客様の数はさほど増えておらず、数字の大半は眼鏡ギャルと君が占めている
真新しい携帯電話を折り畳むと、シャワーを浴び終わった眼鏡ギャルが全裸のままソファに腰を掛け、爽快さの欠片もない煙草に百円ライターで火をつける
「今日も変態男だから、遅くなるかも 適当に鍵閉めて出てって」
若干私に飽きているような口調でそう言うと、眼鏡ギャルは気怠そうに支度を済ませ、いつも通り仕事に出掛けた
誰もいない人様のマンションの一室で、ここ最近キャッチなどで知り合った人に片っ端からメールをし、シャワーを浴びる
トロピカルなシャンプーで髪を洗い、なんだか気品溢れる英字が目立つボディソープは使わずに、ポテンと置いてある割れかけた固形石鹸で体を洗い数日間使っている小さな白いバスタオルで体を拭いた
簡素な造りの洗面台の引き出しには化粧水が数種類あり、一番奥にある親しみやすい名称のものを少量顔に塗り、調子に乗って茶より赤みが目立つ色に染めたばかりの髪の毛を乾かす
社長から貰ったダボダボのスーツは、クローゼットの片隅にひっそり掛けられていて、最近はホスト雑誌に載っているブランドの細いスーツを着ている
店のホスト達はそれを気に入らないようで、特に話題にならなかった
スーツに着替えた私は、先端の尖っている浅い靴を履き、なんとなく出勤前に燻んだオレンジ色の実家に寄ろうと思い、人々の苦そうな目線を浴びながら電車を乗り継いでゆく
雨が降っていたせいか実家のオレンジ色はくっきりとキラキラ光っていた
扉をいつも通り開けると、奥の方から祖母の声が響く
「しゅんくん?」
「うん、そうだよ、久々」
「おかえり」
「ただいま」
「なんだかお人形さんみたいな髪の毛ね」
「そうかな、変?」
「可愛いわ」
「そっか」
「お腹空いてるでしょ?何か食べていって」
「うん、ありがとう」
祖母はしっかりと私の姿を見ながら、会話を続け、味噌を混ぜたおにぎりを2つ握ってくれた
あっという間にブラインドの隙間から見えていた夕陽が沈み、眼鏡ギャルからメールが入る
〈今日、変態男も店行くから、適当に合わせて〉
いつの間にかとても小さくなった祖母の背中を見つめながら、適当に返信し、私は今日もあの町へ向かう
「尖らず尖る」
日常に栞を挟む君の背に枯れた草木が覆い被さる
雨の日にコープデリが薦めたるガン特約と生命保険
美しい誰かの側にいたいから生臭い血を早く下さい
後はただ抜けてゆくだけの体毛に祝福をして穢れた指で
古ぼけた黒いスーツを羽織りつつ尖った靴を誰かに向ける

歌舞伎町で待っている君を

歌舞伎町のホストで寿司屋のSHUNが短歌とエッセイで綴る夜の街、夜の生き方。
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