私利私欲を捨て去り、国民に忠誠を誓う。自己を尊重する今というこのご時世において、そのような人物の排出は並大抵のことではなかった。議論は答えが出ないまま遅々として進まない。皆の顔に苛立ちや焦りが見え出していた。
このやりとりについていけない議員が1人いた。手前に座っていた若い議員、村仲だ。自分にできることをコツコツと地道に貫いてきた村仲にとって、政治家の改革など大きすぎる課題だった。不正がないということに自信はあったが、そもそも『ゆとり議員』などと陰口をたたかれてきた身、どうして自分がこの場に呼ばれているのかも分からなかった。
考えていると便意をもよおしてきた。ギュルギュルギュルとお腹が緩む。元々胃腸の強くない村仲は、たまらずトイレに行こうと手をあげた。
「あの……議論を遮ってすいません。いいでしょうか」
村仲の言葉に真っ先に反応したのは国清だった。先輩の議論に割って入ってまで言いたいことがある。どれ、この若者は次世代の象徴となりうるか一つ試してみよう。議論の停滞を打開するかもしれないという期待もあった。
「諸君、村仲くんがいい案を思いついたようだ。ここは彼のような若い議員の意見に耳を傾けてみようじゃないか」
村仲にとって最悪の展開となってしまった。国清が良いと言えば他の議員もそれになびく。改革案の出口にも困っていたこともあり、全員が村仲に希望を見出してきた。
「おお、それはいい。ぜひ君の妙案を聞かせてくれ」
「突破口になりそうかね」
「これからはあなたのような若い議員の時代ですよ」
「頼りにしてるよ、新時代のリーダーさん」
大ごとになってしまった。トイレに行きたかっただけなのに。しかも案など何もない。張り詰める緊張の糸に言葉が詰まる。全員が自分を見ている。見定めている。品定めをしている。まるで人斬りが、刀の鞘に手をかけ獲物を狙っているよう。つまらないことを言おうものなら、「この若造め」と、問答無用に斬り捨てられる気がしてならない。
このねじれた空間から早く脱出しなければ。傷は浅い方がいい。村仲は皆の勘違いを解こうと、身をよじらせながら言葉を振り絞った。
「あの……、もうがまんできないんです!」
怒鳴られる覚悟はできていた。思い切って白状したつもりだった。だが、村仲の選んだ言葉は、裏目を指し示した。一同から熱い拍手が湧き起こり、村仲を賞賛する言葉が飛び交った。
「この腐った現状に、そんなにがまんがならないのか」
「その怒り。その熱い思い。本物だ。素晴らしい!」
「よく言った。感動した!」
「今まで黙っていたのは、自分を律する為だったのか。感情的に走っていた自分が情けないわ」
「それで、案というのはどんなものだ。早、早く聞かせてくれ」
ますますトイレに行けなくなってしまった。自分で自分のハードルを上げることになるとは。こうなったら少し下品でも、誰にでも分かる直接的な言葉で伝えるしかない。
「国清先生、あの、」
「誰も生意気などとは思わん。言ってみなさい」
「はい。まず、大便をして……」
国清の表情が曇った。曇ったが、それも理解するまでの一瞬のことだった。国清はすぐに大きな笑い声とともに村仲をフォローした。
「はははは、なるほど、まずは国民の代弁。確かに国民不在では意味がない」
また勘違いをしている。
「ではなくて先生、あの、大をもよおしてまして」
「何? 大イベントを催すのか」
「うんちです」
「そこで不正議員をうんちとこきおろすのか」
「トイレなんです」
「汚い者は洗い流せと」
他の議員からも後押しが寄せられる。
「その意気だ」
「素晴らしい」
「その信念だ」
「君のような若者がまだいたのか2014年!」
どんどんトイレが遠ざかっていく。どんどん便意が強くなっていく。どんどん腹が立ってきた。
「違うんだ! 大変なんだ! もう漏れそうなんです!!」
村仲は大声で叫んでいた。当然、皆、驚いて停止した。今まで盛り上がっていた場が嘘のように、ピタリと音も消えてしまった。ようやく本当のことが伝わったのか。村仲は我にかえると、恥ずかしげに言った。
「黙っていて、すみませんでした」
とたんに1人の議員が、泣きながら握手を求めてきた。
「まさか君が、そこまで私たちを信用してくれているとは。ありがとう、ありがとう!」
状況がまったく飲み込めなかった。うんちをが漏れそうだと告白したら、涙を流して感謝されている。なんなんだ一体。戸惑っていると、他の議員も村仲の手を両手で握ってきた。
「ありがとう、ありがとう」
「今まで君のことをあまり知らなかった。なんと愚かなことか」
「君には心から感謝するよ」
感謝される意味が分からなかったが、村仲にとってはそれ以上に、間近に迫った現実の方が切実だった。
ギュル、ギュルギュル……。完全にカウントダウンに入っている。
「あの、本当に漏れそうなんです。漏れたら大変なことになるんです」
緊急を要する案件。緊迫感を察知した全員が、厳たる声色で村仲を問い詰めた。
「で、一体どれほど重要な情報が漏れそうなんだ」
「君はどこで何をつかんだというのだ」
「恐ろしい男。ゆとり議員と言われていたその裏で、諜報活動をしていたとは」
「もしかすると、私たちはあなたの手のひらで踊らされていただけなのかもしれないな」
「信用してくれたのだから教えてくれるのだろうな、その情報を」
「一体、何が漏れそうなんだ」
また、勘違い。もう限界だった。
「ああぁ……」
村仲は声をあげてブルブルと震えだした。
「震えてるぞ。そんなに恐ろしい情報なのか」
「心配するな。打ち明けてくれたら命は守れるように警備をつけてやる」
「命にかかわるほどの情報とは何なんだ」
「村仲くん、一体何が、何が漏れそうなんだ」
「う、う……」
体の震えが大きくなる。冷たい汗が額からダラダラと流れ落ちる。この人たちには何を言っても無駄なのか。
「もう、半分くらい漏れてます…」
「何だと?!」
「何がだ。何が半分漏れてしまったんだ」
「もう……破滅です……」
「この国が破滅する……」
「すべて漏れれば終わってしまうのか」
「国を覆してしまうほどの情報とは……」
「何が、何が漏れようとしているんだ」
ジ・エンドだった。
「キュ……キュエッッッッ!!」
人間の音域を超えた叫び声と共に、村仲は一線を越えてしまった。天に昇る龍のごとく、体をよじらせ上へと伸びる上がる村仲。その姿は、高尚なオブジェのようにも見え、その表情は、恍惚に満ちた仏のようであった。
会議室には悪魔の臭いが立ち込めていた。皆が村仲の言葉の真意に気づいたのは、その臭いを感じた時。漏れたのは重大情報ではなく、ただの大便だった。
「お前~!」
1人の議員の罵声が合図となった。なだれを打つように怒りの言葉が吹き出した。
「漏れるとか、我慢できないというのは、大便のことだったのか」
「バカにしてるのか、バカ!」
「これだからゆとり議員は」
「お前なんかに政治が変えられるか。おむつでも替えてろ」
「臭いんだよてめえ!早く出て行け」
ただただ蔑みに耐える村仲に、国清正美の怒号がとどめを刺した。
「何しやがる、このクソバカ野郎! 我々は、クリーンな議員なんだぞ!」
村仲は、汚れに汚れていた。
その後、村仲が国清正美の会合に呼ばれることはなかった。村仲は村仲で、自分にできることを懸命に全うしていた。背伸びをせず、以前の自分と同じように。
1年後、国清議員は公職選挙法違反の疑いで告発された。クリーンベレーに呼ばれていた議員も全員、不正や不祥事が明るみに出ていた。本当にクリーンなのは、ウンチで汚れた村仲だけだった。
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うたかたパンチ
お笑いコンビ「松本ハウス」の松本キックが、日常に紛れる些事を凝視し昇華。あくまで真面目、でも不思議、そしてちょっと天然なエッセイ。