データセンタで起き始めた異変に気づかぬまま、中央病院から請け負ったシステムリリース作業の最終動作テストを、お台場本社で仕切っていた夏木理沙。そろそろ無事に終わるというころ、受付システムに不具合が。夏木は急いで、データセンタにいる神谷や、管理部隊のアルティメイト社に電話をするが、つながらない。
そのころ、神谷の先輩の夏木理沙(なつきりさ)さは、お台場のエールシステム本社で、電話の応対に追われているところだった。
電話の向こうの相葉愛美(あいばえみ)は、今にも泣きそうな声だ。
「あの、私、どうしたらいいんでしょう? ……いつになったら復旧するのかって、お客様が……」
一緒にいる中央病院のシステム担当者から、あれこれ言われたのだろう。若手の相葉は、すっかりパニック状態だ。
「ちょっと、お客様に代わってもらえる?」
とりあえず相葉をなだめ、理沙は、システム担当者に代わってもらった。
「どうなってるんですか? まだ接続できないの?」
電話の向こうから、イラついた様子の声が飛び込んできた。
無理もない。無事にテストも終わり、もうそろそろ帰れると思っていたところに、トラブルの発生である。
「どうしてこんなことになったんですかね。ついさっき試験の完了連絡をもらったはずじゃ?」
「すみません。テストした時点では、たしかに間違いなく動いていたので、おそらく、データセンタ側でトラブルが発生したと思われます。今調べているので、もう少しお待ちいただけませんか」
「何時まで待ってたらいいのかなぁ。あと一時間で、システムをオープンしなくちゃならないのに……」
担当者は、焦り、苛立っている様子だ。
理沙にしても同じ気持ちなのだが、状況も分からず、調査中ですと繰り返すしかない。
「申し訳ありません。状況が分かり次第、こちらからご連絡しますので、少しお待ちください」
理沙は数ヶ月前から、神谷翔、相葉愛美と共に、群馬県立中央病院のシステム構築を手掛けていた。院内システムとマイナンバーの情報提供ネットワークシステムを相互接続するためのシステムである。
病院のシステムは、一部は病院の建物内にあり、一部はデータセンタに預けられていたが、これを機にサーバ群の大半を栃木県真岡市のデータセンタに移設することになっていた。
真岡市のデータセンタには、今回の接続先であるアルティメイトクラウドが設置されている。どこにあっても良いのがクラウドの前提とはいえ、近距離で太い回線に接続されていたほうが、何かとやりやすいのは確かだ。
今日は、最終的な動作テストをし、システムをリリースする予定だった。
神谷は真岡のデータセンタに詰め、病院内には顧客側の担当者と一緒に、神谷の後輩の相葉愛美が張っている。
今回の件の司令塔である理沙は、携帯電話も使えず、メールも読めないデータセンタや病院の中ではなく、関係各部署と連絡の取れる自社ビルに待機していた。
リリース自体は無事に済んだ————はずだった。
相葉愛美からも、神谷からも、疎通確認の連絡があったのが午前四時少し前のこと。
予定より一時間は早い。
どのみち、電車の始発の時刻まで間があるので、一、二時間、様子を見て、問題がなければ態勢を解散するつもりだった。
ところが、五時近くになって異変が起きた。
相葉たちの確認していた病院の受付システムが、エラーログを吐き始めたという。どうやら、マイナンバーの情報提供ネットワークに接続できなくなったらしい。
急いでデータセンタにいる神谷に連絡してみたが、サーバルームの中にいるのか、つながらない。
アルティメイトクラウドの管理部隊に電話しても、ずっと通話中だった。
何か大規模な障害が起きて、問い合わせが殺到しているのだろうか。
このままでは、システムの利用開始時刻までに復旧しない可能性もある。
理沙は電話の向こうへ告げた。
「念のため、旧システムへの切り戻し準備を進めておいていただけますか?」
「復旧は諦あきらめるってこと?」
「いえ、そうではありません。ただ、状況が分からないので、最悪の事態に備えておいたほうがよいかと」
どうにか客をなだめて電話を切った理沙は、すぐに課長の的場(まとば)に電話をかけた。
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