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対談 日本人はフクシマとヒロシマに何を見たのか?

2015.03.31 公開 ポスト

前編

「核」「原子力」をマジックワードにしてしまった罪開沼博/山本昭宏

3月6日、大阪・スタンダードブックストア心斎橋にて行われた『はじめての福島学』(イースト・プレス)刊行記念トークイベントに、開沼博さんが対談相手として熱望したゲストは、『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書)の著者、山本昭宏さんでした。戦後日本人の核エネルギーへの嫌悪と歓迎に揺れる複雑な意識と、その軌跡を、ポピュラー文化から追っていった話題の著は、開沼さんも絶賛。フクシマとヒロシマ、日本人にとって核や原発はどういった存在であり続けたのでしょうか? 社会学者と歴史学者による熱い議論が始まりました。

 

3・11の議論は、戦後日本が長い間に練り上げて来たものの延長上

山本 震災後に、核の問題への関心が高まりました。しかし、文系の研究者や論者で、核・原子力の問題を扱っている人は意外と少ない。その中でも、いちばん有名な開沼さんと、このような場で話せるのはありがたいです。

開沼 山本さんは2012年に最初の本『核エネルギー言説の戦後史 1945~1960 「被爆の記憶」と「原子力の夢」』(人文書院)を、博士論文を単行本にする形で出しています。それは、大江健三郎の被爆や核への問題意識や対応等を解き明かす内容はじめ、文系の核・原子力研究にとって新しい地平を開く、読者に多くの知見を与えてくださるものでした。ぼくと山本さんとは、そのタイミングで、朝日新聞大阪版で対談してからのつながりです。その記事は東京版でも少し字数が少なくなった形で載りました。

前作に比べると、本作『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書)の特長は、まず一般向けに読みやすい。あらゆるサブカルチャーやポップカルチャーにおいて、日本人が戦後、どのように核、原子力、被爆を描いてきたのかということを軽やかに書いています。

山本 開沼さんの『はじめての福島学』では、「福島県から震災後、どのくらいの割合の人が県外に避難しているか」などの質問を通して、原発事故後の福島に対する「イメージ」と「実態」が大きくかけ離れているという話がありました。私が取り上げたのは、そのうちの「イメージ」のほうです。実態とはかい離しているかもしれないけれども、例えば被爆者から奇形児が生まれるかもしれないとか、放射性物質で汚染された土地には何十年も植物が生えないなどのイメージがどのように形成されてきたのかということを、この本に書きました。実は3・11以降の議論は、ある意味では日本が戦後の長い時空間の中で練り上げてきたものの延長線上にあるという話です。もちろん、3・11以前と以後で変わった点もたくさんあると思います。しかし基本的には延長線上にあります。

福島の問題は「地方」の問題だと『はじめての福島学』で提示した開沼さん

開沼 ご指摘の通りのこと、つまり、3・11以前からの延長の中に現在の私たちの認識があるという、前から薄々感じていたことが『はじめての福島学』を執筆する過程で、そして、山本さんの『核と日本人』を拝読する中で明確になりました。つまり、戦後日本の中で核・原子力に対する、ある面では非常に現実離れした、超越的・宗教的と言っても良いようなイメージを私たちは持ってきた。私たちは、意識しないうちに、それを脳裏に刷り込まれてきているということです。例えば、「放射線浴びる=モノが巨大化する」、とか、実際は核・原子力がもたらすものと言うのは、そんな、教祖様が起こす奇蹟、あるいは、ドラえもんの「ビッグライト」みたいなものではないんですが、私たちはそういうイメージを持っているわけですよね。これは、日本に核・原子力がもたらされた段階で構築された物語です。先天性疾患や鼻血もそうで、そういう事前に刷り込まれたイメージがまずあって、それが実社会の中で「発見」されていったりもする。いまにも影響を与えている。3・11以後の福島に向けられるイメージ、もっと言えば、誤解・デマを考える際にも様々なことを考えさせられました

そもそも、山本さんはどのようなことを明かしたいと思って調べ始め、どのようなことが明らかになったんですか。

 

チェルノブイリ事故に比べて文化的ムーブメントの終息が早かった理由

山本 私は奈良県生まれです。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、奈良県は比較的平和教育に熱心な土地です。私が保育所に通っているとき、8月6日が登所日で広島の歌を歌いました。小学校の修学旅行は広島で、被爆者の話を聞きました。学校教育で習う核は原爆であって原発ではありませんでしたが、平和教育で教わるような「しかめ面」で話す真面目な話題として、核がありました。

ただ「ちょっと待てよ」という気持ちもありました。一方で、さまざまなポピュラー文化や映画などの中で、私たちは核を「楽しんでいる」ではないかと思いました。最初に強く印象に残ったのは、小学校から帰って来たときにテレビで再放送していた「北斗の拳」です。「北斗の拳」の第1回目に、「199X年、世界は、核の炎に包まれた」とあるのです。核戦争後の世界から始まっていることが非常におもしろかった。核は、学校教育や新聞や書店の雑誌ではしかめ面で語られます。一方で、同じ書店でも、漫画ではおもしろおかしく設定に使われます。恐れながらも楽しむという二面性がどこから生まれたのかということを解き明かそうとして、『核と日本人』を書きました。

開沼さんの話ともつながります。3・11以降の日本社会で原発に関するメディア上の表象、文化、表現がたくさん出ましたが、意外と早く引く傾向にあったと思います。何をもってそう言えるのかというと、1986年にチェルノブイリ原発事故が起きました。そのあと、一種の流行といえるほどの大きな文化的ムーブメントとして、例えばロック歌手が反原発を歌ったり、雑誌がたくさん出たり、朝まで生テレビで取り上げられたりしました。それと比べると、終息が早かったのではないかと思います。

開沼 その認識は同意しますね。なぜだと思いますか。

山本 仮説なので間違っていたら訂正してください。ぼくは、日本社会における表現への自粛の圧力が、昔よりもやや上がっている気がするのです。それは決して悪いことではありません。たとえば、自分の言ったことが、意図しない結果で相手を傷つけてしまうかもしれない。悪質なものがハラスメントです。よくコンプライアンスと言います。それが社会問題化し、自分の行為や表現が人を予期せぬ結果で傷つけてしまうことを過剰に恐れて、先回りして自粛する傾向がある。1990年代ごろから、コンプライアンス社会の圧力が顕著になったのではないかと思います。それは成熟した社会である一方で、表現が弱りかねないのではないかと思います。

開沼 なるほど。私の仕事で言えばちょうど2年ほど前の2013年3月に刊行した『漂白される社会』(ダイヤモンド社)を貫く背景仮説は同様の問題意識に基づきます。漂白とは色のことです。「色」には、黄色とか桃色とかいう直接的な「色」の意味以外に、二つの意味があります。一つは「偏り」のこと。例えば、「あの人と関わると色がつく」とかいう時がありますよね。もう一つは色町や色恋沙汰という時の、「猥雑さ」のことです。偏りや猥雑さとは、誰かを傷つけかねないような、暴力性や残酷さと隣り合っている。それらが社会から一掃されていく社会現象が現代には確かに存在する。東京なら歌舞伎町浄化作戦とか、新宿西口からホームレスの方を一掃して「きれいな道ができました」とか。これが「漂白される社会」と私が呼んだ現象です。

言葉や文化の面では、Twitter文化でも今の話に共感する部分が非常にあります。例えば、政治的な課題に対するTwitter上の議論を負っていると、あたかも皆が「どっちが正義の側に立てるかゲーム」を繰り返しているように見える。「我こそは正しい」と「笑点」のように言い合う儀礼が始まっています。表面的には右と左に分かれているように見えるけれども、構造的にはどちらも「正義の側に立ち」たい、そして「偏り」や「猥雑さ」を駆逐していくプロセスに邁進している、という点で同じなのかもしれません。

話を戻します。3・11以降の日本において、原発に関するメディア上の表象、文化、表現が意外と早く引く傾向があった。それはなぜか。

私たちは表現について、無意識の中で、人を予期せぬ結果で傷つけてしまうことを過剰に恐れて、先回りして自粛する傾向が強まっているからだ。これが山本さんの仮説であり、ぼくも同意します。

同時に、もう一つ付け加える必要があるかもしれません。チェルノブイリと比較した時に、チェルノブイリ以降ほど核・原子力に関する議論が持続しなかったのは、おそらく3・11の場合は私たちが当事者になってしまったからです。

チェルノブイリは、「遠くで起きている他人事」でした。当時はチェルノブイリがあるウクライナがソ連の一部であり鉄のカーテンの向こう側は覗きにくかった。さらに、もし、チェルノブイリが英語圏ならば、もう少し情報が入ってきて、心理的距離感も近づいたのかもしれないが、そうではないので通訳できる体制も極めて限られていたなど、根本的に情報不足と誤解があった。

では、そこで表現があまり出てこなかったのかというとむしろ逆です。情報不足と誤解ばかりが流通する中で現実が分からない分、イメージが様々な形で発達・活性化していった。社会心理学などで発達する「流言・うわさ研究」では、「オルポートとポストマンの法則」というのがあって、R(流言の量)=i(重要性)×a(あいまいさ)と言われます。まさに、あいまいだけど重要な話だったんで、イメージはものすごく活性化していった。

要は、皆が好き勝手に言ってきて、「核・原子力を楽しむ」という点では、大いに盛り上がっちゃった歴史があったわけです。私は昨年度、チェルノブイリにも2度現地調査に行きましたし、福島の問題も常に現地調査をしている。その観点から、山本さんのご著書を読んで、改めてその距離感の差を強く感じました。

チェルノブイリは文化的に「楽しめる」対象であった一方、福島はそうではなかった。誰でも行けるし、日本語も通じる。文化的に「楽しめる」かというとネタにはできない。「お前は行ったのか」「ちゃんとデータはあるのか」と健全な事実検証も行われる。その中で、文化的な盛り上がりがなかった側面もあるのではないかと思います。

ただ、核を「楽しむ」という話と「当事者性」という話の関係性を議論するのならば、当然、広島・長崎のことも踏まえて議論しなければなりません。つまり、いまの私の話は「チェルノブイリ原発事故後の核・原子力についての文化的表現が盛り上がったのは当事者性が薄いから」で「3・11後の核・原子力についての文化的表現が盛り上がらなかったのは当事者性が濃いから」という図式をだしました。

だとすると、山本さんの『核と日本人』にも書いてありますが、広島・長崎への原爆投下については日本は当事者だったのだから、もしかしたら「文化的表現が盛り上がらない」というシナリオになっても良さそうですが、歴史をみれば、そうはならなかったわけですね。これは、なぜ盛り上がったのか。いかがですか。

 

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開沼博

東京大学大学院情報学環准教授、東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員。社会学者。1984年福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。主な著書に、『日本の盲点』(PHP新書)、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。

山本昭宏

神戸市外国語大学専任講師。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。 著書に『核エネルギー言説の戦後史1945-1960』(人文書院 2012年)、『核と日本人』(中公新書 2015年)などがある。

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