不用意に話せなくなってしまった人も、みんな福島を語っていい
山本 戦後を振り返ると、そういう超越的な問い、つまりイメージ的、理想的、観念的な問いは、1960、70年代には若い世代がある意味では独占していた。それがむしろ変わってきている。反転しただけなのか、あるいは世代的な問題なのかもしれないが、意外な感じがします。世代論にするつもりはありませんが、若い人が理念を掲げるような議論をしないのはなぜなのか、実学的知識が尊ばれる世の中だからか、などと考えてしまいます。
開沼 そこはまさに、核、原子力の大きな問い、謎ですね。今後の展開は読めません。まあ、そんな感じで「核・原子力の問題」について考えることは今後の課題です。
話を再度拙著の話を元にした方向に戻させて下さい。
「福島の問題」を実証的に捉え直し、それが「地方の問題」に接続していくことになった拙著『はじめての福島学』を読まれて、山本さんの視点から感じたことは。
山本 ぼくはまさに本の帯にある「福島難しい、面倒くさい」になってしまった人だったので、このような切り口で具体的なデータをたくさん出していただいて、しかも全国の地方の一つの縮図としてパッケージしてもらったので、非常に読みやすかったし勉強になりました。
先ほどコンプライアンスの話をしました。福島にあまり行ったことがないから話せないのではないか、話してはいけないのではないか。不用意に話すと被災者を傷つけることになるのではないかと感じたことがある人がきっといると思います。でも、行ったことがなくても、例えば、ぼくが金沢に新幹線が通ったら金沢の経済や文化はどうなるのかという議論をするような形で、みんな福島を語っていいのだということを、教えてくれた感じがします。「我が意を得たり」という感じでしょうか。
開沼さんの方法と、ぼくの方法は、全然違うように見えて、通じているところがあります。先ほども言いましたが、重たい平和教育を通して、「平和や原爆、難しい、面倒くさい」となっているなかで「気軽に身の回りの文化を語るような形で核を語ってもいいのでは」と思って書きました。語り方が硬直化しつつあるときに、非常に柔軟でデータに裏打ちされた議論をしていて、「ぼくもこういう仕事をせなアカン!」と思いました。褒め過ぎですか?(笑)
開沼 ありがとうございます。ポイントを押さえてくださいました(笑)。
では、その話と山本さんの研究の議論を組み合わせると。
山本 日本人はポピュラー文化などのコンテンツが大好きでしょう? でも、それと社会の問題について、文芸批評家は結びつけるけれども、学術的には割と結びつけてこなかった。ポピュラー文化を社会、世界、核、超越的な問題と並列して論じてもオッケーなのだということを、ぼくは言いたかった。ポピュラー文化を語る文法は戦後を通して豊かなので、最近はそれと核の問題をつなげられないかという問題意識があります。
開沼さんは、地方のあり方、人口減少、郊外の「すさんだ」ような文化をどうしていくのか、あるいは『漂白される社会』でのマイノリティへの関心のような語り口で福島を語ってオッケーなのだ、むしろそこに事態を好転させる可能性があるのではないかという問題提起をされていると思いました。
開沼 なるほど。ありがたいです。そういう仕事をしたいと思っていました。
山本 だから『はじめての福島学』だけではなく『漂白される社会』も読んでほしい。
開沼 ぜひ。(笑)
福島の問題を「地方としての問題」として掘り続ける作業には、意義も意欲もあると思ってますが、長期的には一定程度のところでたぶん引き返してくるだろうと思います。その先には、もう一度、原子力、核、エネルギーの問題、あるいは戦後社会、近代化の問題が控えているはずです。そのときに山本さんのお仕事のような、私たちが漠然ともっている超越性、わかりやすい言葉では「夢」や「理想」と言われるものが震災後はどうなのかという、少し抽象度の高い仕事もしていかなければいけない。漠然とはそう思っていたのが、今この対話を通して気づかせてくださいました。
山本 メディアイベントという言い方があります。メディアが作り上げるだけではなく、多くの人が自分から望んでそれを受け止めていくような大きなイベント。原子力の平和利用だけではなく、オリンピックなどもまさにそうです。そのようなメディアイベントで福島や原発がどう位置付けられていくのかということ、たくさんの集合的な夢との関係性のようなことも今後の仕事になる気がします。