顕微授精の問題点
すでに述べましたが、欧米では、顕微授精児の先天異常率が自然妊娠に比べて有意に高いことを述べた論文が多数発表されています。また日本では、厚生労働科学研究費補助金による“ART出生児に関する大規模調査”が行われ、顕微授精・胚盤胞培養(長期体外培養)・胚盤胞凍結保存の人工操作を加えるほど出生時体重が増加することが報告されました。
これは、「ゲノムインプリンティング異常(遺伝子の働きを調整する仕組みに異常が出る病態)による胎児過剰発育」である可能性が指摘されています。先天異常を専門とする医師らも、たびたび顕微授精や胚盤胞培養のリスクを危惧する研究成果を報告しています。
しかし、精子DNA損傷、顕微授精、先天異常の因果関係が明確に証明されたわけではありません。だからこそ、命を造り出す生殖医療では疑わしきは排除する、すなわち、現状におけるARTのリスクマネジメントとしてはできるだけ顕微授精を避ける、もしせざるを得ないときには、穿刺注入する精子の品質管理を徹底することが不可欠になります。
その具体策として、「どのようにDNAが損傷していない精子を選別し、どのようにそれを確認するか」があります。換言すれば、「運動精子=良好精子(良い精子)という精子性善説を脱却する」必要があります。
前にも述べましたが、現在の顕微授精の対象になる、精巣(睾丸)で精子を造る能力が阻害されるケースでは、精子数の減少のみならず、多様な精子機能異常が生じます。顕微授精は、受精のために必要な精子数の限界点が低く(受精させるのに必要な精子は1匹でよい)、容易に受精胚を取得できる(高い受精率を得られる)メリットがあります。
しかし一方で、機能に異常がある精子でも受精してしまうというリスクが伴います。
したがって、「安全性の高い顕微授精」は、次の2つの場合に絞られます。
一つは、精液中の正常精子の比率が高く、どの精子を卵子に穿刺注入しても安全な場合です。そしてもう一つは、精液中の正常精子比率は低かったが、高度な精子分離技術により、高品質の精子を選別できた場合です。
しかし、後者の高度な精子分離技術、具体的にはDNAに損傷がない運動精子を無菌的に調製する技術を持つ施設は極めて少なく、顕微授精で妊娠が期待されるのは、前者の場合がほとんどです。
それにもかかわらず精子の状態が悪い場合でも、精子1匹いれば受精できる、さらには妊娠可能であると宣伝されてきました。このような背景をもとに、本書では「顕微授精は精子の状態が悪い方には不向きの治療である」と申し上げたのです。
これまで顕微授精は最も高度な技術とされてきましたが、本書で繰り返し述べますように、顕微授精と出生児の安全性に関してはまだ不明な点が多いのも事実です。
だからこそ不妊治療に関する正しい知識を身につけ、ARTの特性を理解した上で不妊治療を受けていただきたいのです。
私は、ARTおよび出生児の安全対策として、限りなく自然妊娠に近づけるように技術を選択すること、要するに人為的な技術の介入を極力減らすことが重要と考えております。すでに申し上げましたが、具体的には、できるだけ顕微授精を避ける、せざるを得ないときは穿刺注入する精子の品質管理を徹底することを「黒田メソッド」の不妊治療における基本方針としております。
不妊病態の実験モデルに落とし穴
これまで不妊治療研究は、産婦人科医が主体になり、女性内分泌、卵子・胚形成、子宮内環境、胎児発育などに関しての詳細な研究がなされてきました。一方、精子に関する研究は家畜(ウシ)繁殖領域で精力的に行われ、この領域の成果がヒトARTに導入されてきたのです。
ここに大きな落とし穴がありました。なぜならば、家畜繁殖領域では精子の品質が極めて良好であり、精子間にバラツキがないオス(種オス)が選抜されて一括して精液を提供し、これを用いてデータを取ってきたからです。
詳細に実験してみますと、種オスの精液に含まれるウシ精子の質は、DNA損傷を含めてヒトでは考えられないくらい良好であり、またバラツキがほとんどありませんでした。すなわち、種オスでは、精子性善説が成立しているということです。
ご理解いただけたと思いますが、不妊治療の対象となるヒト男性不妊のほとんどは、精子形成障害(造精機能障害)が原因であり、精子性善説は成立しません。ウシとヒトとの病態モデルは大きく異なり、このことを十分に認識しないまま顕微授精を臨床応用してきたことが、出生児のリスクに繋がっている可能性が考えられるのです。
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この連載は『不妊治療の真実 世界が認める最新臨床精子学』のダイジェスト版です(全5回)。詳細に関しては書籍をご覧ください(もくじはこちら)。
第5回「黒田メソッドで精子をどう選ぶのか」は6月7日(日)公開予定です。