井上さんは本書「終章」で、次のように綴ります。
満洲国や朝鮮半島に移り住んだ民間人が、結果として日本の軍部による中国や朝鮮の植民地支配、現地の人々への搾取に荷担したのは間違いなく、軍部とともにその責任の一端を負わねばならないとの見方に異論を差しはさむつもりはない。その一方で、朝鮮北部での難民生活のなかで亡くなった民間人の遺族による墓参は、戦後六十年以上も放置された末に、二〇一二年に民間団体の仲介でようやくはじまったものの、軍人の遺骨収集の場合とは異なり、渡航費用などの必要経費はすべて遺族側の負担とされている。郭山であれば稜漢山山腹の共同墓地に相当するような仮埋葬地は、現在の北朝鮮全土に七〇カ所以上あり、三八度線突破の途上で亡くなった人々の埋葬場所は特定されないまま、それこそ無数に存在している。北朝鮮側が公式に認めた日本人拉致事件に勝るとも劣らない「戦後史の闇」がそこにある。
郭山疎開隊を引率し、本書に記したような詳細な記録を残した満洲国経済部官吏一〇人のうち、すに八人はこの世にいない。残留班を率いて最後に三八度線を越えた山谷橘雄(やまやたちお)医師も二〇一三年に他界している。朝鮮北部の日本人が「難民」として辛酸を嘗(な)め尽くした被害者としての記録は、今、日本の現代史のなかにきちんと位置づけておかなければ、永遠に消え去ってしまうだろう。そして遠からず、また同じような被害がくり返されることを危惧する。
それはまた、昨今の靖國神社公式参拝の是非をめぐる議論からはじかれ、やはり置き去りにされようとしている民間人被害者の存在を再認識することにもなるはずである。その認識こそが、唯一の本土決戦を経験した沖縄はもとより、原爆投下や無差別空襲によって、国内外を問わず無数の民間人が犠牲となった先の大戦の本質を捉えることにつながるものと信じたい。
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作家の半藤一利さんは本書を読み、「国に棄てられた人々の過酷な運命に、驚き、涙し、憤った。戦後70年の今、この悲劇に光が当てられた意義は、はかりしれなく大きい」というコメントをお寄せくださいました。
『満洲難民~三八度線に阻まれた命 』をぜひお読みいただけると幸いです。