今から70年前、百万人にものぼると言われる日本人が、敗戦によって「難民」となり、中国大陸や朝鮮半島などで、過酷な生活を強いられました。その日本人難民をテーマにしたノンフィクション『満洲難民~三八度線に阻まれた命 』(井上卓弥著)が刊行されました。
本連載では、若い世代の方にはなかなか分かりにくい、終戦前後の日本をとりまく情勢の解説などもまじえながら、本の読みどころを5回にわたってご紹介します。
郭山疎開隊をはじめ、大戦後の混乱のなかで朝鮮半島の北部に放置された日本人は、世界史のなかでもまれにみる悲惨な難民生活を強いられました。しかし、1949年に刊行されてベストセラーとなった『流れる星は生きている』(藤原てい著)などを除いて、これまでその史実が語られ、検証されることは、ほとんどありませんでした。
本書の著者・井上卓弥さんは、戦争取材や難民取材など国際報道に携わったジャーナリストであり、また郭山疎開隊の「当事者」でもありました。
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国際報道に携わった私は、紛争や難民受け入れの現場に立つ機会を得た。最初は九九年、旧ユーゴスラビア・コソボ紛争のアルバニア系難民の取材だった。国境を越えて隣国アルバニアに逃れてくる難民の姿が、半世紀前の家族に重なって見えた。しかし、近年に至るまで、先の大戦に伴って満洲から北朝鮮に疎開した日本人の記録はほとんど見当たらなかった。日頃の大々的な難民報道に比べても、明らかに悲惨な状況に置かれた北朝鮮の日本人難民たちの証言がなぜ表に出て来ないのかと、もどかしい思いにとらわれた。
一四年一月、偶然チャンネルを合わせたBS ― TBSの二時間特集番組に引き込まれた。番組の最後になって、予想しなかった地名「郭山」が初めて現れた。疎開隊の名簿は、私の故郷を遠く離れた九州の地で保管されていた。東京周辺でそれなりに問いかけてきたにもかかわらず、反応を得られなかったわけも納得できた。私のなかで歯車がカチッと音を立てて嚙み合い、二十年近くも揺るがなかった厚い壁が一気に崩れた。「当事者」として行動しなければならないと思った。