3月の後半になって、またもや右足に痛みが出た。なんとなくぎくしゃくするなあと思っていたら、あれよあれよとそのぎくしゃくがひどくなって、ついには膝の裏に鈍痛が出た。落胆はあれど、もう驚かない。足も使えばがたがくるのが当たり前、それを身体で理解できるようになった。この一ケ月ぐらいで何度か20キロ走をやったから、その疲れが出たのだろう。こういう時は、まず練習は休み、ひたすらケア。アイシング、マッサージ、そしてこまめなストレッチ。そうしていれば、たいてい一週間か十日で痛みは消える。本番まで一ケ月を切っているので、走らないのはかなり不安である。それでも、ひたすら我慢した。
膝の痛みが取れ、季節も春に着替えた4月4日、白戸さんと最後の練習にのぞんだ。この日の目標は30キロ。未知の距離である。コースはいつもの皇居。すっかり暖かくなって、ウエアも気分も軽くなった。咲き誇る桜でも見ながら気長に走ろうと思ったのだが、それはまったくのん気な考えだった。コース途中の千鳥が淵公園は桜の名所である。高速の代官山町出入り口から公園辺りまで、ものすごい数の花見客が押し寄せている。外国人やお年寄りが多く、「すみません」といっても判らなかったり、間に合わなかったり。とても集中できる状況ではなかった。人をよけながらなんとか走ったが、こちらに余裕がなくなった時には危ないかもしれない。膝の鈍痛も完全に消えたわけではないので、三周で切り上げる。
目標の距離をこなせなかったのは残念だったが、桜は確かに美しかった。丁寧に手入れをされた緑や広大な池を背景にした桜の静かなたたずまいには、ただきれいなだけでなく、迫力と不気味ささえ感じられる。話は逸れるけれど、どうしてこんな美しい景色の下に青いビニールシートを引くのか、そこでドンちゃん騒ぎをしたがるのか、本当に不思議。桜を楽しんだら、宴会は居酒屋でもどこでもいってやって欲しい。
その後、一週間はずっと小説の原稿を書いていた。どこにも出掛けず、誰とも会わず。今度は肘に鈍痛が出るぐらい、書き続けた。ロンドンマラソンのこともすっかり頭の隅に追いやられていた。もう日にちも迫っているので、長距離練習はなしでこのままロンドンに発つものだと決め付けていたら、白戸さんから連絡が入る。四月の十日過ぎに最後の長距離練習をやりましょう、とのことだった。最低でも20キロ、できればあと5キロか10キロ距離を伸ばす、という。十日は締め切りの日だったので、最後の練習は十一日になった。四月十一日は私の誕生日。なんと素敵な誕生日なんでしょうか。
あいにく、その日は雨。走り始めた十一時頃はぽつりぽつりという程度だったけれど、次第に雨音は強くなっていった。気温は10度前後だろうか。ロンドンはこんな天候になる確率が高そうだなあなどと考えながら走る。
白戸さんは、皇居を走っていると、本当にたくさんの知り合いと会う。私が息を切らしている横で、元気? 今日はどれぐらい走ったの? このあいだのレースどうだった? と、軽い近況報告などしている。まるで、かつての六本木での私のようだ……? 練習の途中で谷川真理さんを紹介してくれたこともある。谷川さんは、ヒョウ柄の小さなマフラーを首に巻いて走っていて、かっこう良かった。ランニングももっともっとおしゃれをしてするスポーツになるといいと思う。(というか、私なんてそこで頑張るしかないしねえ)
この日は、まるで誕生日プレゼントのようなすごい人と会った。あれは二重橋に差し掛かった辺りだった。遠めに見ても明らかにただものではないシルエットの男性が二人、準備運動をしている。一人は黒人だった。
「わあ。いっかにも早そうな人たちだな」
白戸さんがそんなことを口にした数秒後、そのうちの一人、日本人の男性が白戸さんに声をかけた。
「白戸さんじゃないっすか。久しぶり」
谷川真理さんの主催するハイテクスポーツ塾のスタッフの方だという。一緒に練習していた黒人は、ケニアのエリック・ワイナイナ選手だった。白戸さんが、私を示しながら、来週のロンドンマラソンに出ると告げたら、握手をしてくれた。
「僕のパワーあげます。全部あげます」
そういって、なんと両手で足もなでてくれた。とても人懐こくて、かわいい人だった。
「甘糟さん、すっごいおまじないかけてもらったね。彼は今、世界のトップの何十人かには入るランナーじゃないかなあ」
白戸さんはいう。そんなこといわれると、心なしかさっきより、足が軽く動くような気もしてくる。単純な私は暗示にかかりやすい。というより、長距離を走っている時には、なんでもプラス要素に考えて、自分で自分を励ますとけっこう効果がある。
なぜか谷川真理さん関係のランナーは皆、私たちと逆周りで走っているので、ワイナイナ選手とも、何度もすれ違った。遠くから見ると、とても気軽に走っているように見えるのだが、近くに来ると、え? と思っているあいだに私の横をすり抜けていく。そこだけ視界が早送りされているみたいだ。無駄な動きがまったくないので、走る姿が美しい。
桜はほとんど散りかけだったけれど、雨に濡れた桜もまた美しかった。いつもなら口がきけなくなるぐらい苦しい四周目も、そんなことを白戸さんと話しながら、笑顔で走れた。20キロが普通にこなせるようになりたいと毎度毎度思っていたのだが、五回目にしてやっとイメージに近づいた。
「未知との遭遇、いけそうだね」
白戸さんがそういい、私も意気揚々と答えた。
「うん。トライしてみる。最後だし」
とはいうものの、多少の不安だし、雨は止みそうにもない。
「万が一、無理そうだったら最後は歩いてもいい?」
「だめ。それはだめ。遅くてもいいから、絶対にピッチ落としちゃだめ。だいいち、歩いたら風邪ひいちゃうよ」
やっぱり、未知との遭遇は甘くなかった。つい数分前までけらけら笑ったりしていたのに、五週目に入ると途端に足が重くなった。国立美術館の横の坂道が、急に傾斜がきつくなったような気がする。白戸さんに話しかけられても、あいづちすら打てない。
そして、最後に大きな試練が襲ってきた。残り2キロぐらいになった辺りで、左足が痛み出したのだ。左の股関節と左膝がいっぺんに悲鳴を上げだした。ちょっとパニックになった。この一年、オペをした右足のことばかり気にしていたら、最後の最後で左足がへそを曲げてしまった。それも、右足の鈍い痛みではなくて、ぶたれたような痛さ。R-bodyの鈴木さんが、30キロぐらいになると、必ずまったく予想をしていなかったことが起こる、といっていたのを思い出す。このことだったんだ! と思ってももう遅い。
雨も急に激しくなる。ほとんど叩きつけているみたいな感じ。雨除けのクリアなサングラスは役に立たなくなったので、頭に載せ、顔を拭きながら走った。さすがに、日本でも有数のこのコースにも、ランナーがほとんどいなくなった。このまま書くと、この連載の担当者である石原さんに「ほんとなのぉ? 同情ひこうと思って作ったりしてない?」とかいわれそうなほど、いろんな悪条件が重なった。
本当に歩いてしまいたかったけれど、もし歩いちゃったら本番でのスタート地点の気持ちが、それこそ百八十度違うだろう。なんとか、あと1キロちょっと、足を動かし続けなければ!
私程度のレベルで、安易にランニングに精神論とか根性論とか持ち込みたくないけれど、ここで「痛い」と口にしたら、きっとそこで歩いてしまうだろうとも思った。頭の中は、「雨うざい!」と「痛いよお!」がこだましていた。でも、とにかく無言……。
苦しい時こそ、腹筋を立てて走るように、というのは、萩尾さんにも白戸さんにもさんざんいわれたけれど、もう右足左足、右腰左腰が全部ばらばらに動いてしまうので、立ててもすぐに崩れてしまう。操り人形みたいな動きになった。
それでも、なんとかかんとかゴールに設定している信号になだれ込んだ。その瞬間、座り込もうとしたら、白戸さんに無理矢理腕を引っ張って歩かされる。
「ここで身体を動かさないと、疲労がたまっちゃうよ」
これも幾度となくいわれたことだけれど、この日ほど、後ろ歩きとサイドステップがきつかったことはない……。
なんとかかんとか、25キロを2時間49分かかって走り終えた。しかし、ロンドンでは、プラス17キロも走らなければならないのだ。正直いって大丈夫か? 私? という思いが、ちらっとよぎる。
家に帰って、ネットでワイナイナ選手を調べたら、世界で何十人どころか! アトランタで銅、シドニーで銀をとっていた。白戸さんってば……! それにしても、すごい人に足をなでてもらったものだ。この幸運がロンドンまで続いてくれますように。
さて、この連載も今回で最終回。一年間おつきあいありがとうございました。思えば、初回は手術の場面からでした。その後の松葉杖生活の愚痴やら、初の皇居ランやら、いろんなことが鮮明によみがえります。一応25キロ走った今となっては、懐かしいやら照れくさいやら、という感じでしょうか。
私は20日ロンドンへと出発します。レースは23日です。完走の報告は、単行本「ROAD TO LONDON」でさせていただきたいと思います。
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