冬の終わり頃だった、ような気がする。女友達との真夜中の電話の最中に、その声は割り込んできた。
「鈴木いづみと申します。見城さんですか」
聞き覚えのある抑揚のない言い方だった。
一瞬、僕はめんどうくさい気がした。女友達との話は佳境に入っていたし、数年前の鈴木いづみの電話攻勢には、正直言って辟易していた。僕は自分の電話がキャッチホンであり、今は通話中であることを説明した。そうして、もう手帳から消してしまった彼女の電話番号を聞き、おり返しかけ直すからと言って受話器を置きかけた。
その時、彼女が言った言葉を、僕ははっきりと思い出す。彼女は、こう言ったのだった。
「必ず電話をください。昔、親しかった人たちに挨拶をしたいのです」
それっきり、僕は電話をしなかった。三カ月ほどたって『写真時代』の編集長だった末井昭さんの編集後記で僕は彼女の自殺を知った。同時に彼女の最後の言葉の意味も知ったのだった。
その頃、僕は女房と初台に住んでいた。僕は『野生時代』という小説誌の編集者で、新人作家の発掘に仕事の大半を割いていた。
彼女の小説を評価していた五木寛之さんのすすめで、僕は鈴木いづみと初めて会った。場所は新宿の「コ―ヒーロード・しみず」の二階、やたらに踵の高いハイヒールと脱色したような赤茶色の髪、すべての前歯が抜け落ちた口元が印象的だった。以来、僕は彼女と何度も会うことになったが、夫・阿部薫の鉄拳によって失われたというその前歯は僕の知っている限りでは決して埋められることがなかった。そして、この出会いの時が、僕と鈴木いづみが二人きりで会った最初で最後だった。
阿部薫は明け方の出張校正室まで、鈴木いづみに同行して来たし、中野の喫茶店で待ち合わせる時も必ず鈴木いづみの隣には彼がいた。阿部薫が死んでしまってから、僕と鈴木いづみは数え切れないくらい電話で話したけれども、僕らは会うことはなかった。
阿部薫と暮らしている時も、彼女はよく僕のところに電話をしてきた。それはゲラの直しのことだったり、次の小説の構想だったりもしたが、たいがいは阿部薫との揉め事だった。自分の足の指を切り落とした、阿部薫に殺される、撲られて眼が開かないなどと延々と喋り続けるのだが、決して昂奮しているのではなく、どこか醒めている感じが電話口から伝わってきた。
そんな翌日、彼女に会うと、必ず阿部薫も一緒にやって来て、「この人は最低なのだ」と淡々と喋る鈴木いづみの横で、阿部薫は黙ってお茶を啜っているのだった。
僕は、口数の少ない、真っ青な顔をした、その小柄な男が好きだった。鈴木いづみが淡々と、しかしいつまでも喋り続けるのとは対照的に、阿部薫はボソボソと俯いてしか話さなかったが、前衛的なジャズを奏(や)るというその男の、時々独り言のように洩らす一言一言は奇妙に僕の胸に突き刺さった。
鈴木いづみが『野生時代』に書いた小説を僕は、ほとんど忘れてしまっている。原稿でもゲラでも何回も書き直してもらったはずなのだが、不思議にストーリーも、その一行も浮かんでこない。書かれている内容の酷(むご)さとはうらはらに、影絵のように印象の薄い小説だったような気がする。
鈴木いづみにとって、すべてのことは、小説すらも、本当はどうでもよいものだったのかもしれない。あらゆるものに無感覚になっていく喪失感を、すでに静かに受け入れるしかなかった鈴木いづみにとって、たったひとつ、阿部薫だけが痛切だったに違いない。阿部薫の痛みに同化すること、それこそが彼女が生きながらえるたったひとつの理由だった。
「別れたい。別れたい」と繰り返しながら、結局、いつでも、どこでも、鈴木いづみは阿部薫と一緒にいた。阿部薫には、この世界に対する強い違和感のようなものが全身から漂っていて、その傷めた魂を想う時、人を慄然とさせる負の存在感が、確かにあった。鈴木いづみは自分がとうに失ってしまった熱烈なる痛苦を病んでいる阿部薫を、どこかで焼けるように嫉妬しながら、どうしようもなく身をすり寄せていかざるを得なかったのに違いない。
足の指を切り落としたように、彼女は自らの肉体を欠損させることによって、何かを証明しようとしていた。そうでもしないことには、阿部薫にはとても追いつけない、とでもいうように。
多分、早熟な少女は阿部薫と出会う以前に一回人生を終えてしまっていたのだ。
世界を律儀に愛し過ぎてしまった少女は、世界と激しく揉み合い、拒絶され、見捨てられて死んだように生活していた。
二人が、いつどこで、どのように出会ったのかは僕は知らない。ただ、阿部薫の出現は、もう一度生きてみたいと、鈴木いづみに強く願わせたのだった。
阿部薫の痛みを我がものにすること、それだけのために彼女の残りの日々は、あった。