傑作コミックエッセイ『人生って、大人になってからがやたら長い』を上梓したきたみりゅうじさん。年齢を重ねることによって、人生の何がどう変わったのか。自分の考えを押しつけないきたみさんならではの語りから感じられるのは、「健やかな精神で生きる」ことの重要性です。
会社をやめたのは、「いったん、全力でやってみなければ自分へのほんとうの評価がわからないから」
『人生は、大人になってからがやたら長い』で、コミックエッセイという親しみやすいかたちで、なおかつぐっと深く「三十代の人生とは何か」を噛みしめるように描いたきたみりゅうじさん。
五年ほど前から構想をあたためていながらも、自身が四十歳を越えたいまだからこそ描けた作品になったのは、「俺ってたいしたことねぇなぁ」という感覚を自分の中でちゃんと飲みこめたからだという。「それが、いちばん大きかった」と話してくださった通りに、本作の中でのきたみさんの仕事や家庭、他人や自分に対しての目線には多分に「許し」の要素が含まれているし、俺は俺のやり方で行くんだとでもいうような納得して自分で立っている感じがある。
そのあたりが、きたみさんにとっての二十代と三十代での道の進み方の違いなのかもしれないなと思いながら、話をうかがってみた。
「二十代の頃、社会人になってからしばらくはプログラマーをやっていて、仕事自体は好きだったので、いずれ会社を出てそっちでフリーになりたいという気持ちもそこそこあったんです。でも、それとはまったく別のところで『俺の描く落書きの絵は自分では好きなんだ』とも思っていて、ネットで絵を発表して副業にしていたんですね。ほかにもテキストのみを書く仕事などいくつかまわしながら可能性を探っていて、みんなからの反響を鏡のようにして自分の思いと客観的なレベルとをすりあわせて、『自分の使える(パズルの)ピース(みたいなもの)はこれかな』とやっと自分で選べるようになったのが二十代の終わり頃だったと思います。
ただ、自分のレベルって、会社員としてかなりの時間をかけていたプログラマーの仕事ならまだしも、イラストなどのように会社の中にいたら全力でやるのはあり得ないものではわからないじゃないですか。そのへんを試したいのと、あとは『俺、できるかもしれない』といううぬぼれで会社をやめてフリーになったのが二十九歳の頃でした」
他人の演説は、あなたの人生の責任を取ってくれるわけではないのだから
このようにして三十代からの自分の道を作ってきたきたみさんからすると、いわゆるメディアでよく見かけるような言説は「ものすごく無責任だな」と感じられるのだという。
「とくに本ですよね。すごく人をあおるじゃないですか。会社をやめないとバカバカしいとぶわっとあおった本が売れたら、こぞって似たような本が並ぶ。でも、しばらくするとまったく逆の、会社にいるのはどれだけすばらしいかって本が出て、似たようなのもばーっと並んであおる。ただ、そもそも書いている本人たちが、どっちにしても実践していないだろう、と。それなのに信奉者たちはそのつどあおられて、また大きな声でその演説を増幅させる……。書いている人はそれで食っているだけで、きみたち信奉者がいなくなったらやっていけなくなるような人なんだよとは思うんです。
ほんとうのように見せた嘘ばかりが本や雑誌、メディアには『売れるため』というだけで堂々と載っているんだな、とは自分が書く側として仕事をするとわかるので、そんなそのつどの専門家と称する人たちの『こう言うと自分が働きやすいから』というポジショントークにふりまわされて、いちいち『これが正しい生き方だ』みたいに思いこんでしまうのは危険ですよね」
人は、結果に対してはうらやましがっても、過程に対してはバカにするもので
きたみさんが他人の言説や目線をさほど気にしなくなったのには、原体験があるそうだ。
「もともと、海外旅行で観光地には興味を示さず、歩きや自転車だけでどこまで生の現地を冒険できるかみたいな、自分がほんとうに好きなことをしていても、周囲からは『何がおもしろいの?』と言われていたんです。ほかの人はそうして途中で人と会って下手な英語で状況を切り拓くことより、有名な観光地にどれだけ行くかが重要みたいだった。インターネットに自分の漫画を載せていた時も、そんなの何にもならねえだろうという声しかまわりからは聞こえてこなかった。
でも、それが仕事につながったあとですよね、みんなが急にうらやましがるのは。『おまえは絵が描けるからいいよな、俺はできないもん』と言うけど、絵を描いている途中はむしろバカにされていた印象があったし、みんなそもそも何かが『できない』んじゃなくて何かを『していない』だけなんですよね。同じことをしていても、結果がうらやましかったら、はじめて人からうらやましいとされるに過ぎないんだなとわかってからなんです、何をしていても、人がうらやましがろうがそうでなかろうが、自分が楽しけりゃいいんだ、仕事では自分の役割を果たしていればいいんだと思うようになったのは」