自分の仕事は「噛みくだいて伝えること」、粒度を揃えることの中に専門性があった
きたみさんがここで「仕事の役割」と話しているある種の専門性の中にこそ、きたみさんらしい生き方と言うか道の進み方が反映されているように感じられたので、最後にとくに長くご本人の語りを紹介しておきたい。こういう生き方がいいんだよ、とはあえてあおらない、しかし言葉と言葉の間からにじみ出てくるきたみさんの居場所の見つけ方とその肉声のおだやかな余韻を、何かを考える際のきっかけにでもしていただけたらうれしいな、と思う。
「自分が何で食っているかと言うと、あることを噛みくだいてわかりやすく伝えることなんです。特定のテーマですごい知識があるとかいうのはないし、むしろそういう『専門家』を信用していないというところから仕事をしてきました。自分のやってきたことは、プログラミングにしてもイラストにしても文章にしても、『もうこれ一本で間違いなくすごいところまで行っちゃうよ』というレベルではないんですね。自分の持っているものを組み合わせることでお金に変わっていったという感じでした。
持ち味も、とくにはじめの頃はイラストが描けるから読みやすくていいよねみたいに言われていたんですが、読みやすさに関してはもっとほかのこと、自分にしっくり来る言い方で言うと『粒度』を気にしたからなんじゃないかと思ってきたんです。それが、これまでの自分の仕事を作ってきてくれた。粒の度合い、どこまで噛みくだくのかを統一するというのは、プログラマーをやっていた時から必要なことで、そのレベルを一定にしないプログラムはきたなくなるし、噛みくだく度合いが統一されていない設計書は話が飛んでいてわかりにくい。
そこを気にして書くから、自分の文章は深く行きすぎず、浅くもなりすぎずに書けていて、しかもそこにイラストが入るからたんたんと読めるわけで、その『粒度』にこそ自分の個性があるんだよなとそのうちわかっていったんです。自分の場合は、描く内容も、ひとことでこれと言える特徴があるわけではありません。この人にしかないという経験を持っている存在でもない。そんな特徴のなさを逆手に取って、むしろ、みんなもこういうことあるよねと自分の経験からみんなとの共通項を抜き出すと、読んだ人がそれぞれの肚の中で思っていることの中に入り込めるんだなとわかるようにもなりました。
新刊の『人生は、大人になってからがやたら長い』の感想にしても、本をきっかけに読んだ人がそれぞれ自分の二十代や三十代はこうだったと自分語りをしてくれているのが多いようなのがうれしいんですよね。あとは自分を賢く見せようとせず、本の中で提示していく疑問点と読者が問いたいこととが同じになりそうな疑問を『引っかかり』として作ることで、読み終えた時に読者が、自分にとってはこの問いへの答えはこうだなと、本の結論とはまた別に一緒に考えられるようにもしておく。それがないと読みごたえがないので。そういう設計が自分の仕事だと思っているんです。
そうやって自分の仕事への姿勢ができたあとだからこそのマンネリも、それは気をつけなければいけないので、同じような仕事は避けて挑戦するようにするなど工夫はしていましたが、それでも、三十代になったあと、二十代の頃のほうが頑張っていて勢いがあったなとは、ちょっと思っていた時もありました。でも、絵も文もこんなに手間をかけたコンピュータ用語集はもう書けないなと思っていたのと同じような規模の仕事を、かなりあとになってまたやってみたら、そんなことはまったくなかったとわかったんです。
昔といまとではちょっとした記述のレベルもぜんぜんちがう。絵にこめる情報の量もわかりやすさも、図で見せる表現のわかりやすさもいまのほうがずっと良くて。若さもいいけど、密度の濃いいまもいいなと納得できたんですよね。過去にがむしゃらにやっていたことって美化もしてしまいがちなんですが、あれはパンくずを落としながらパンをかじっていたようなものだったんだなと気づきました(笑)。そのへんをよごしまくっているのに気づかないで『俺、食うの早いな』と思っていたようなもので。
若い頃は、これでいいというラインが低かったから次から次へと仕事ができていただけだったんだなとよくわかったんです。それよりも、いま、昔のように『楽しんだ結果、何があるんだろう』なんて計算することもなく、純粋に楽しければいいや、そうやって過ごしていたらそのうち、あ、これはまとめておきたいなというものが出てくるだろうから、その時に向き合えばいいやという、いまの仕事との付き合い方のほうが気に入っているんですよ」
(インタビュー:木村俊介)