(あらすじ)
2015年1月、大阪・中之島の小さなホテル<銀星(ぎんせい)ホテル>で一人の男・梨田稔(なしだ みのる)(69)が死んだ。警察は自殺による縊死(いし)と断定。しかし梨田の自殺を納得しない人間がいた。同ホテルを定宿にする女流作家・影浦浪子(かげうら なみこ)だ。梨田は5年ほど、銀星ホテルのスイートに住み続け、ホテルの支配人や従業員、常連客から愛され、しかも2億円以上の預金残高があった。景浦は、その死の謎の解明をミステリ作家の有栖川有栖(ありすがわ ありす)とその友人の犯罪社会学者・火村英生(ひむら ひでお)に依頼。が、調査は難航。梨田は身寄りがない上、来歴にかんする手がかりがほとんどなく人物像は闇の中で、その人生は「鍵の掛かった」としか言いようがなかった。生前の彼を知る者たちが認識していた梨田とはだれだったのか? 結局、自殺か他殺か。他殺なら誰が犯人なのか?思いもしない悲劇的結末が関係者全員を待ち受けていた。
原稿枚数972枚!秋の夜長にぴったりの長編秘話をうかがったインタビュー前編。後編は、これまでの有栖川作品と少々おもむきが違う今回の作風について迫ります。それから舞台となった大阪・中之島について。なぜ中之島か? それはもちろん……
(構成/佳多山大地 協力/パンケーキ専門店エムジー)
エラリイ・クイーンと作風の転換
――『鍵の掛かった男』の雰囲気というか“読み味”というか、僕のなかで重なったのはエラリイ・クイーンの『災厄の町』(1942年)でした。クイーンが作風の転換を図って、波瀾含みの人間ドラマのなかに謎を埋め込んだ作品ですね。
有栖川 ああ、それは書きながら思いました。わたしもクイーンが好きだから、「これ『災厄の町』やな」と(笑)。物語は全然ちがうんだけれど、「本格ミステリーです。犯人当てです」と謳ってきた作家が、いつもとちょっと色合いのちがう作品を書いたという意味で。『災厄の町』も最後は犯人当てなんだけれど、推理と人間ドラマの折り合いのつけ方がそれまでの国名シリーズとは印象が異なる。あの作品にクイーンは手ごたえを感じていたみたいですね。
――わざわざ「A Novel」と冠して売り出しているくらい。
有栖川 そうそう、わざわざ「小説だ」なんて。もちろんミステリーを低く見ていたわけじゃなく、「いつもと雰囲気がちがうから、読み方を変えてくれ」というメッセージだったと思う。けれど、作家が自分で言わなくていいのにね(笑)。
――『災厄の町』から始まる、いわゆるライツヴィル物から「中期クイーン」というふうに位置づけられてきました。ということは、有栖川さんもデビューから四半世紀経って、ついに「中期 有栖川」がここから始まる感触を得たのですけれど。
有栖川 「中期」と言われたら嬉しいですけどね。「後期」とか「晩期」とか言われるよりずっといい(笑)。クイーンは確かに『災厄の町』で作風の変化が見られましたけれど、自分自身に関しては、この『鍵の掛かった男』で作風を変えたとか広げたとか、そんな宣言をするつもりはまったくないんです。 ふらふらと“本格ミステリーの領土”のなかを散歩しているうち、ちょっといつもとちがう方角に爪先が向いただけだと受け取ってもらえれば。
――作風の転換、というオオゴトではないと?
有栖川 ではないです。こういうタイプの作品を続けて書きたいと思っているわけじゃなく、次はゴシックなタイプのミステリーに挑戦するかもしれない。そうすると、「いよいよ先祖返りじゃないか」と進歩史観の向きから批判されるかもしれないけれど、自由に好きなところへ足を向けますよ。
――では、作風の自由度が高くなった「中期 有栖川」が始まるとして、さらに四半世紀経ったら円熟の後期ですね。
有栖川 今から四半世紀後は、他の人に名義貸しで書かせているんじゃないか。エラリイ・クイーンの黒歴史までなぞっていたりしてね(笑)。
大阪とホテルとミステリー
――火村シリーズでは、地元大阪への愛着がにじみ出ている場面もしばしばです。今回の『鍵の掛かった男』は中之島を舞台にして、400年前の豊臣家滅亡からの“大阪史”が畳み込まれていました。
有栖川 わたしは関西を、特に大阪をよく舞台にしますけれど、「どうして、この小説の舞台は大阪なんですか?」なんて反応があるんです。小説の舞台が東京だと、いわゆる抽象的な都会を意味して、必然性を問われないことも多いのにね。大阪を舞台にすると、その地域ならではの問題意識を問いただされて、「えっ、なんでそんなん、いちいちエスニック文学みたいに求められるん?」とか思ってしまう(笑)。だから、大阪を舞台にする必然性をほとんど書いてこなかったのには、わりとツッパッている部分もあるんです。「大阪の人間が大阪を舞台に書いていて、会話は大阪弁ですけど何か?」って。
としても、せっかく大阪を舞台にするんだから、ちょっとローカル色は出したい気もある。大阪という町は、歴史が長くて、陰影が濃い。表面は商都だ、お笑い文化だと一見わかりやすくてもね。理解するのが簡単ではない大阪の街のヒストリーと、謎めいた男の人生の軌跡をたどることは対称性を帯びている感じです。
――関西で長く暮らしてきた被害者の人生には、昭和、平成と関西圏で起きた大きな出来事がやはり刻み込まれている。
有栖川 そうなんです。年の初めに「よし、書こう」と決めたとき、今年は秀吉の大坂城が落城して400年だとか阪神・淡路大震災から20年だとか、それはたまたまですけれど、地元のことでいろいろと思い出す巡り合わせもあるなあと思いました。
――現実の作家・有栖川有栖は大阪の地で歳を重ねても、作中人物の有栖川有栖と火村英生は永遠の34歳です。このことに何か難しさはありますか?
有栖川 時代は変わっても、主人公のコンビは歳を取らない。『サザエさん』みたいな設定にしたので、彼らはどの世代にも属しません。シリーズの先行作品との矛盾は、いくらでも発生しているんです。過去に阪神・淡路大震災を描いた作品があって、有栖は仕事をしている最中でびっくりしたとか回想するくだりがありますけど、今回はそのことに触れていない。1985年の出来事を振り返る場面でも、初期の有栖だったら「そうそう、阪神が優勝したし」とか大いに語るはずなのに、今回はまだ物心がつくかつかないかの時代のことになるから、とぼけている感じでしょう(笑)。常に34歳で〈現在〉を生きているということで、一種のファンタジー性を帯びてきているのは確かですね。
――ところで、熱心な有栖川ファンは、小説の舞台にホテルが選ばれていると、イーグルスの〈ホテル・カリフォルニア〉の歌詞を連想するかもしれませんね。“銀星ホテルへようこそ、ここは素敵なところ(そして素敵な人ばかり)。ここにいるのは自分の企みのために囚(とら)われの身となってしまった人ばかり”と。
有栖川 〈ホテル・カリフォルニア〉は、短編で1回使ったことがありますからね(短編集『暗い宿』所収の「ホテル・ラフレシア」)。宿とかホテルを舞台にするのが、やっぱり好きなんでしょうね。ホテルに幻想を被せることを1回やると、やみつきになります。これからも書いてしまいそうです。
――被害者の男と犯人との巡り合わせも、小説のメイン・ステージが都会のホテルという“人生の交差点”であったからこそでした。
有栖川 『孤島パズル』(1989年)のなかで江神二郎がオマル・ハイヤームの詩を引用しているけれど、人生というのはホテルのようなものですね。みんなが同じホテルに泊まっているみたいなもので、1回チェックアウトしたら二度と再び帰ってはこれない。でも、出ていってしまった人のことを、残された者は思い出すことができるんです。
(於/大阪・南船場)
気になる本編は、ぜひ本書をお手にとってお楽しみください.
10月13日(火)公開の「番外編」では、小説の舞台・中之島の重要スポットをご案内。
「ちょっと歩こう」————火村とアリスの足取りをたどり、事件の起きたホテル界隈から見えてくるものとは……