2004年3月○日。
千歳空港で買った「カマンベールチーズケーキ」はびっくりするほど美味しい。
一口食べて、「なに、これ?」と愕然としてしまうような美味しさ。
程よい甘さ、しっとりした生地、何よりも形がカマンベールそのもので可愛い。
聞けば、札幌ユーハイムが作っており、千歳空港でしか買えないのだそうだ。
今度北海道に行ったとき、また買おうっと……。
そんなわけで私は今、東京にいる。
映画「北の零年」の極寒冬ロケも無事に終了し、次は春バージョンの撮影を待つばかり、である。
しかしほっとしている間もなく、帰ってきた次の日からドラマ「プライド」の撮影だ。
こちらも佳境のため、ばたばたとあわただしく……。
東京は驚くほど暖かい。
北海道の寒さとここ東京の暖かさが同じ時間軸上にあるかと思うと、日本は意外と広いな、と実感する。
この連載も今回が最終回。
「ゆり子さん、最終回を有終の美で終わらせましょう!」と 担当の管野嬢は言う。
一体何を書けばいいだろうと悩む……。
しかし、いつもどおりの日常を正直に書いて、「いつのまにか」終わりたい、と思う。
ここ、幻冬舎のウェブマガジンでこうして日記を連載させていただいて、はや3年。
確か、2001年の春から始まった。
最初は「おお、素晴らしき日常」(後の「天然日和」です)。
一年連載し、半年ほど休み、そして2002年の10月から、この「お茶っコ日和」がスタートした。
日々のなんでもないことを、思ったまま書く。
日記の形をとったエッセイという、とても書きやすいタイプのものではあるのだが……。
しかしそれでも何度も行き詰まったな。
日常、というものの素晴らしさ。
それは「現実」の力だ。
朝はやってくる。
どんな人にも、どんなに辛いことがあっても、朝は来る。
毎日繰り返される、ちいさなこと。
それはほとんど無意識なので、きっとみんな見過ごす。
だけど私は、無意識というものの中にこそ真実があるように思う。
意識した優しさが悪いとは言わない。
だけどそれに根っこがなければ、それはそのときだけもの。
だから私は、無意識の、さりげない優しさや、気遣いがとても好きだ。
それは、例えばドアを開けるときに次の人が通るまで支えてあげられる、とか……。
当たり前のことだと思うけど、これをしない人は割合に多い気がする。
いかがなものだろうか……?
それにしても!
このお茶っコ日和は、素敵な読者の皆様にいつも支えられていました。
優しく暖かい感想をいつもありがとうございました。
ばたばたとした毎日、2週間に一度の締め切り。
そんな中で皆さんのメッセージは一筋の光、でした。
本当に、ありがとうございます。
そしてお知らせ。
今、実は、「ムック本」の制作真っ最中です。
去年の秋に出した『C'est joli』のムックバージョンで、これはなかなか見ごたえ、読みごたえがあるものになる、と思われます。
なんと私が一冊丸ごと「責任編集」という、大それた役に就かせて頂いております。
女子ばかりの楽しい現場で、ああしよう、こうしよう、と日々ミーティングです。
「編集長!」と呼ばれ、ああそんなんじゃないです、と思いつつも、しかし頑張っております。
今年の秋頃の出版予定です。
この連載は終わりますが、そんなわけでいろいろと私の「表現」は続きます。
良いものを作りたいと思いますので、楽しみにしていてくださると嬉しいです。
(読者のみなさんに告知をしたら文体が変わった。反省)
しかしそれにしても、ものを「書く」ということは、なんと脳みそが汗をかくことであろうか。
私は自分が思ったことしか書けないので、必然的に自分をすり減らすことになる。
すり減らす……、違う、自分自身を文章の中に注ぎ込むというべきか?
文章を書くことは「懺悔」と「浄化」だと以前書いたが、やっぱりまさにそのとおりで、ひりひりするほどきちんと向き合わないと何も生まれないように思う。
それはきっとどんな表現でも同じだ。
演じることも、歌うことも、演奏することも。
だから「表現すること」は「ひりひりすること」。
そんな気持ちで書くことにも、演じることにも、向きあって行きたいと思う。
みなさんの毎日が優しくありますように。
あしたも良い日でありますように。
本当にありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。良い夢を。
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お茶っコ日和
再びスタート! 石田ゆり子の日記エッセイ。慌ただしい一日、ゆったりな一日。そんな日々のことを綴っていきます。ちなみに「ゆりねぎ」とは、ねぎ好きな私につけられたあだ名。「お茶っコ」とは我が家でいう、「お茶をする」の意……なのです。
※本連載は旧Webサイト(Webマガジン幻冬舎)からの移行コンテンツです。幻冬舎plusでは2004/03/15のみの掲載となっております。
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