帰国後の自転車くん
井上:こんにちわ。帰国直後に会って以来ですね。今自転車はどうしてるの?
石田:おひさしぶりです。今は納屋で寝てます(笑)
井上:そうなんだ。お疲れさまだもん、しばらく休憩させないとね。
石田:そうですね。でも、あまり休憩させるとすぐに傷んじゃうんで、たまには乗らないとだめなんですけど、最近は車にばっかり乗ってます(笑)。田舎は車じゃないとダメですわ。一番近いスーパーへ行くのにも、相当距離ありますからね。
井上:そんなあなた、自転車で世界一周したんだから、スーパーに行くくらい自転車で行ってくださいよ~。
石田:もう、疲れちゃって(笑)。やばいです。お腹も出てきちゃいましたし。
井上:ショックだな~。たぶん、読者の人もショックだと思う。がっかりだよ。「ぼくはもう、スーパーに行くのにも車で行ってます」なんて(笑)。自転車くんじゃないじゃん。
石田:ははは(笑)。でもこの前、講演先の学校まで自転車で行って、自転車と一緒に舞台袖で待機して。
井上:自転車で入場?
石田:自転車で入場ですよ(笑)。盛り上がりましたね。だから、たまには自転車にも乗るんですけど、今乗ると、腿がパンパンに張りますね。たるんじゃってます。
井上:だって7年間、さんざん筋肉を使ってきたわけでしょ? それを突然やめたら本当に……。
石田:そう、反動でね。だから今、家で腹筋してます。
井上:続けるのはいいけど、やめた後が怖いよね。でも石田君、太ったら自転車君じゃなくなりそう。太っちゃうと自転車に乗るのもつらいんじゃない? サドルに納まらなくなっちゃったりして。
石田:はははは(笑)。どうでしょうね。ぼく、骨が細いから、太ったら一番かっこ悪い体型になると思います。お腹だけぽっこり出ちゃって。気をつけなきゃ。
連載を振り返って
井上:ここに今までの連載をプリントアウトしたものがあるんだけど、ちょうど丸まる2年。見て、この厚さ!
石田:いや、楽しみでしたよ。ぼくが書いたことに対して、晴美さんからどんなことが返ってくるのかなって。
井上:私、文章なんて書いたことなかったから……。それに、石田君とは面識もなかったでしょ。だから、石田くんが書いてくれる原稿を読んで、どんな人なのか想像して。連載が続くにつれて、少しずつイメージが固まってきたっていうのかな。あとここで写真も見れたから「ああ、こういう人なんだ。でもきっと会うと違うんだろうな」って思ったり。
石田:実際違いましたか?
井上:そんなことない! 写真と実際のルックスは多少違ったけど、でもそれは旅している場所や状況で変わるだろうし……。私、更新された写真を見て「あ、ここは楽そうだな。楽しんで走ってるみたい」とか思ったりしてました。子供と一緒に写ってる写真を見ると、「ああ、楽しそう」って。
写真、すごいよね。世界中の写真があるんだよね。
石田:まとめるのが大変ですよ。まあ、まだ全部まとめられてないんですけどね。
井上:結局何枚……?
石田:ネガの方は数えてないんですけど、ポジの方は全部で140本くらい。少ないですよ。なんか、途中からめんどくさくなっちゃって。カメラを出して写真を撮るのが。
井上:これさ、石田くんが写ってるのは誰が撮ってるの?
石田:三脚で、セルフタイマーです。
井上:ああ。私、別の人が撮ってると思ってたの。現地の人とか。で、よくカメラ盗まれないなって思ってたのよね。
石田:あははは(笑)。
井上:珍しいものだからさ、持って行かれそうじゃない?
石田:けっこうみんな、それ聞くんですよね。「この写真、誰が撮ってるの?」って。単純に、三脚を立てて、セルフタイマーだったんですけど。
井上:そうなんだ。まさか三脚だとはね(笑)。
石田:ポーズ取ってるんですよ。ひとりで。すごい孤独な作業(笑)。
石田:いや、なんか変だなって(笑)。これも2個目で、40,00kmくらいは走ってるかな。
石田:お疲れさんですよ。自転車屋さんがとにかくびっくりしてましたね。よくこれで走ってたなって。
移住するなら……?
井上:石田君は7年かけて世界中を見てきたわけだけど、移住するならどこがいい?
石田:う~ん。もしどこかひとつって言われたら、北欧の……ノルウェーとかかな。ノルウェーである家に招かれたときに、そこの家の子供たちが自分で巻いた毛バリを見せてくれたんです。あの辺は緯度が高いから、冬は真っ暗なんですよ。そうすると子供たちはやることがないから、その間に毛バリを巻くんですって。で、春になって明るくなったらそれを使うと。夏になったらずっと明るいから、冬の間にせっせと作った毛バリで、一日中釣りをするんですよ。その情景がすごくいいなぁ~と思って。あのとき毛バリを見せてくれた子供たちの、面白いものを夢中になってやってるっていう目がすごい素敵だったので。
井上:ふ~ん。
石田:あとは、実際問題としてお金の面というか、福祉がね、しっかりしてるんです。病気になっても自分は負担しなくていいんですよ。おじいさんになってもそうで、すごくいい暮らしができる。その代わり税金は高いですけどね。
井上:ドイツもそうでしょ?
石田:そうなんですか。ただ、北欧のもうひとついい点は、敵がいない気がするんですよ。やっぱり昔のことがあるから、ユダヤの人たちはドイツに対してあんまりいい感情を持ってないじゃないですか。ナチスとかね。だから、特に今みたいに戦争が始まって、みんなが平和とか考えはじめるとね。
井上:そうだよね。こういう時代になってくると、みんな平和について考えはじめるものね。
石田:そうなんです。話がそれちゃうんですけど、最近いろんなところで講演をやらせてもらっていて、子供たちから感想をもらうんです。それで「日本のいいところはどんなところ?」って聞くと、80%は「平和」って言うんですよ。ぼくは、それがすごく意外で。今の日本の情勢を見たら、いつ北朝鮮から核を落とされるかわかんないじゃないですか。そんなのとても平和とは思えないですよね。でもそれは、ぼくが世界を見てきたからなのであって、日本にいる子供たちはこの状態でも平和だって感じているんです。それも、いわゆる平和ボケのひとつなのかもしれないですね。
とにかく、日本はいつ戦争が起こるかわからないけど、北欧の国が戦争に巻き込まれることは、たぶんないと思う。平和で、いい暮らしもできる。やっぱり北欧が一番かな。
井上:なるほど。
石田:ただ、今すぐ行くんだったらアフリカですけどね。アフリカだったら毎日笑って暮らせそうで。とにかく楽しいだろうな、と。
晴美さんは世界中で、どこでも好きなところに住めるとしたら、どこがいいですか?
井上:どこだろう……。ロンドンか、カナダかな。
石田:どちらかひとつとしたら?
井上:歳を取ってからなら、カナダの郊外がいいと思う。でも今すぐならロンドン。ロンドンなら遊ぶところもあるでしょ。カナダって、バンクーバーでもとっても小さいのね。全部歩いて見て回れるの。たとえば、なにか買い忘れがあったときも、すぐ引き返せるし。すごくこう……
石田:手ごろな大きさの街。
井上:うん。
石田:確かにロンドンほど歩きませんものね。どこへ行くにしても。
井上:だから、歳を取ったらカナダとか、緑がたくさんあるところに住みたい。でも、今はまだ早いからロンドン。30代くらいまではロンドンかな、住むなら。
カナダがいいなと思う理由がもうひとつあって、石田君、『ボーリング・フォー・コロンバイン』っていうドキュメント映画、観ました?
石田:観てないです。観たいんですけどね。
井上:私、あの映画を観て、アメリカとカナダって、ここまで違うんだって思ったんだよね。アメリカとカナダでは銃の所持率はほぼ同じなんだけど、犯罪の発生率が、全然違う。桁がひとつ違うわけですよ。それはなぜかっていうと、アメリカ人は短気ですぐにカッとなって撃ってしまうし、撃たれた方はやり返してしまう。でもカナダの人たちはそうじゃないんですよね。
あの映画で、ディレクターがカナダの見ず知らずの人の家に行って、そーっと扉を開けてみるシーンがあるんです。カナダでは家に鍵をかけないから、開いてしまうんですね。そのうちに、その家の住人が出てきて「どうしたの?」って聞いてくる。ディレクターが「鍵、かかってないよ」って言うと、「かけなきゃいけない?」って。そんなのアメリカでは考えられないことなんですよね。でも、カナダの人たちは「ここはカナダで、アメリカとは違うからね~」って感じなわけ。
カナダって、基本的にどこでもそうなの。さすがにバンクーバー市内はそんなことないんだけど、郊外だと本当にそんな感じで。そういうところにも惹かれますね。
石田:あの映画って、アメリカの話だけじゃないんですね。
井上:そうなの。さっき言ったような国としての違いから始まって、銃とは一体なんだ? っていう話になるわけで。あの映画のディレクターはアメリカ人なんだけど、自分の国のいいところはいいけど、おかしいところはおかしいってきちんと主張している作品でしたね。すごく、面白かったです。
石田:カナダの人たちの反米感情って、意外と強いですからね。旅をしていてかなり感じました。カナダでも、よく人の家に泊まったんですけど「これからアメリカ行きます」って言うと「危ないぞ、アメリカは」って。
井上:そうそう。カナダ人とアメリカ人で、旅のしやすさも全然違うんだってね。アメリカ人の友達に、カナダの国旗をモチーフにしたワッペンをバックパックにつけて旅をしている人がいて、不思議に思ったから聞いてみたの。そうしたら、トラブルに巻き込まれたくないから、カナダ人のふりをしているんだって。アメリカ人でもあのワッペンをつけて旅行することがあるらしいんですよ。
石田:アメリカ人もそれをするっていうのは知りませんでした。でもカナダ人はみんなつけてますよね。
井上:「カナダ人=平和だぞ!」っていう意味があるのね。でも本当に、全然対応が違うんですって。アメリカ人だっていうのと、カナダ人だっていうのとでは。
石田:この旅をして、アメリカ人は世界の嫌われ者だなって思いましたよ。
井上:それは、どういうところで……?
石田:今回のイラク戦争のこととか、ああいうことですよね。アメリカ人は、「We're No.1」でしょう。やっぱり、あの傲慢さに対する反発があるんでしょうね。
井上:それは、具体的にどんな場所で感じたの?
石田:そりゃあもう……どこでもですね。中南米とアメリカは、歴史的にもいろいろありましたからそれに対する反発もあるし……。アフリカの人たちは、アメリカがどういう国なのかよくわかっていないというところもあるから、あそこではあまり露骨な反米感情っていうのには行き当たらなかったですね。でも、やっぱりアラブでは……。イスラエルの問題もありますしね。帝国に対する反感というか。
井上:なるほど……。
石田:色鉛筆のものはそうです。
井上:いいね、スケッチを見ていろいろ思い出せるの。
石田:そうですね。こうやって、スケッチを見てると思い出します。写真とはまた違って、描いていたときの情景を克明に思い出すんですよ。
日本にしかないもの
井上:この前、外国人の友達と、日本の戸籍の話になったの。日本以外では戸籍はないんだってね。だから外国の人から見ると羨ましいって言われて。
石田:ああ、戸籍……。確かにそうですね。
井上:その友達は、日本について勉強をしている人で、クラスで戸籍のことを習ったらしく、「晴美は戸籍を持ってるか?」って聞くから、「持ってるよ、そんなの。当たり前じゃん! 持ってないの?」って言ったの。そうしたら「それは日本だけだから、ぼくたちにはない」って。だから、たとえば自分のおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん……要するに祖先なんだけど、そういう、たとえば100年前まで遡ったときに、自分の祖先が誰で、その人がどんな生き方をしたのかを、日本人なら調べられる。それは素晴らしいことだって言われたの。そう考えると、日本って素晴らしいんだなって思う。自分のルーツとか、どうして自分は生かされているのかとか、そういうことを辿れる日本のシステムがね。私の場合、どこかで外国の血が混じっているような気もするから、実際に遡って行くと生粋の日本人じゃないかもしれないけどね。
石田:晴美さんは九州出身だから、大陸の血が混ざってるかもしれないですよね。
井上:うん。私の母方の祖母が長崎にいたことがあったらしいの。そうなると港町だし、純粋な日本人ではないかもしれないけれど。それでもいつか、自分のルーツを辿りたいなって。ただ、簡単にはできないでしょう。
石田:いや、結構いけますよ。実際、うちのおじいちゃんが調べたらしいんですけど。
井上:どのくらいまでいったの?
石田:もう、桓武天皇までいったらしいですね。
井上:本当?!
石田:遠縁らしいんですよ。本当にそこまで辿れるみたいです。聞いてびっくり
しました。
井上:そうなんだ。だから、それくらいちゃんとした流れがあるのなら、ひとりくらい国際結婚をして、違う血が入ってもいいかなって思ったりもする。私ひとりくらい、日本人の流れから外れた人間がいてもおかしくないでしょう。
でもこの戸籍のことは、その友達に言われて、改めて面白いなって思ったんだよね。人に言われて気づくことってあるじゃない。自分には当たり前だと思っていたことが、「あ、素敵なことなんだ」って。だから、旅行に行って、ふだんの自分とは違う世界を見るといい影響を受けるんです。
石田:外国の人がその戸籍のことを羨ましく思うっていうのは面白いですね。今回帰って来て、住民票の手続きとか、鬱陶しかったんですよ。ぼくは、反対に呪縛な気がしてね。ここから抜け出したいっていう、そういう思いが少しありましたね。どこで生まれても平気じゃないかって。住民票の上で、ぼくは7年間空白だったんです。旅に出る前に転出届けを出した後、どこにもいなかったんで。住所不定だったんですよ。
井上:住所不定! 確かに不定だ。
石田:もうこのままでもいいかなぁ、なんて。追いかけられるものなら追いかけてみろ! みたいな(笑)。チャリンコでも逃げれるぞ~って。
井上:そうね~(笑)。
石田:色鉛筆のものはそうです。
井上:いいね、スケッチを見ていろいろ思い出せるの。
石田:そうですね。こうやって、スケッチを見てると思い出します。写真とはまた違って、描いていたときの情景を克明に思い出すんですよ。
日本人の笑顔
井上:そういうこともあったし、海外でできた友達と話すうちに、日本のいいところに改めて気づかされることがよくあるのね。石田君はどう? 帰国して、日本のいいところや悪いところ、いろんなことを感じたと思うけど、それはどんなことだった?
石田:やっぱり、日本人の笑顔にホッとしましたね。よく言われる日本人の愛想笑いって、この国の大きな文化だと思うんです。たとえ愛想笑いだとしても、それがあることによって、周りの空気がすごく柔らかくなるような気がする。たとえば自転車で走っていて、交通整理をしている金髪のおにいちゃんとかが「どうもすいませーん!」って言いながら見せるあの笑顔でも、なんだかすごく新鮮で。笑顔自体には、なんの意味もないのかもしれないんですけどね。これまで走って来て、海外ではそういう種類の笑顔に出会わなかったから、単純に新鮮に思えたのかもしれない。
井上:でも笑顔は、海外にもあるじゃない? 外国で見た笑顔と、日本人のそれとの違いはなんなんだろう?
石田:やっぱりアフリカで見た黒人の子供の笑顔はすごく輝いてて、それはそれですごく魅力的なんですけど……。なんだろうな。やっぱりシチュエーチョンの違いかな。日本人の笑顔はこれまでの旅の感覚では「そこでは笑わないでしょう」ってところで出てくるんです。だからそこに意味を求めると、その笑みは美徳ではないのかもしれないですけどね。ただ、ぼくは単純にホッとしました。
逆に晴美さんはこういう笑顔について、どう思いますか? ふだん目にしてはいるけど、意識していないものですよね。
井上:私ね、職業柄そうなってしまったのかもしれないんだけど、人の笑顔ってあまり信じないんだよね。
石田:ああ、そういうのはあるかもしれないですね。でも海外から帰って来て、ぼくみたいに思ったことってないですか?
井上:いや、逆に、なんでこの国の人たちは笑わないんだろうなって。
石田:あ~。たぶん、ぼくの考え方のほうが特殊なんでょうね。
井上:いや、それは、石田君がそれだけ長年日本を離れてたっていうことだと思う。日本に住んでいる人たちと接していなかったから。7年ぶりに日本の地を踏んだ瞬間っていうのは、やっぱり……。海外から帰ってきたときって、ちょっとしたことですごい嬉しくなったりするじゃない。たとえばその交通整理のおにいさんでも、普通に日本で生活してたらなんとも思わないんじゃない? でも7年ぶりに日本に帰って来て、ルックスはちょっとさ、金髪で怖い感じでも、ニコッと笑われるとね。
石田:そういうことなのかもしれないですね。
井上:私、ロンドンに行ったときもカナダに行ったときも、乗客が少なめのバスに乗ると、一番前の席に座って、運転手さんと話すのね。そうすると、日本のバスの運転手さんとは全然違うなって思うのよ。日本では、すごく愛想のない運転手さんがいたりするじゃない。そういう人を見ると、日本の人たちは、仕事を楽しんでないなぁって思っちゃう。もっと楽しんでやればいいのになぁって。好きでやってる仕事じゃなく、仕方がなくやってるんだっていう空気が漂っているときがあるでしょ? 自分の仕事が好きだったら、お客さんと接するときにも自然に笑えるじゃない。それは、今私は都会にいて、その人たちも都会の人だからそうで、田舎に行くと違うかもしれないなとは思うけど。地方にはそうじゃない人の方が多いのかもしれないし。
沖縄に行ったときにお世話になったタクシーの運転手さんは、もう70過ぎのおじいちゃんだったけど、あの人たちはすごく楽しそうに仕事をしてたしね。
石田:やっぱり田舎だと全然違ってくるかもしれませんね。
ぼくは帰って来て、晴美さんとは反対のイメージを持ったんですよ。仕事に対してやる気があるようには見えないですけど、いわゆる礼儀正しさを感じます。
井上:それって、ルールに沿ってるというか、マニュアル通りの対応をするってことでしょ?
石田:いや、ルールっていうよりは……。これは対峙した人によって印象が変わってくるかもしれないけど、おしなべたら日本人はみんな礼儀正しく対応してくれるんですよ。駅員さんとかお巡りさんとかじゃない一般の人でも、道を聞いたらきちんと教えてくれる。優しいなって思いました。
井上:東京ってキャッチセールスの人が多いから、声をかけられても知らない振りされちゃったりするんですよ。「すいません」って声かけても知らんぷりされて。
石田:ぼくはそんな印象ないですけどね。東京も人は優しいなぁって思いました。ぼくと同じように自転車で世界一周をしているフランス人の夫婦がいるんですけど、その人たちは日本が一番良かったって言ってましたし。日本に帰って来て、彼らの気持ちもわかるなって。
ぼくは方向音痴なんで、とにかく人に道を聞くんです。世界各地で。それに対する反応が、日本ではみんな礼儀正しくて。そのとき出てくるのが愛想笑いなんだけど、その微笑みがやっぱり美徳だなって思ったんですよね。
目の前に「死」が立ちはだかった瞬間
井上:さっき、『ボーリング・フォー・コロンバイン』の話をしたけど、石田君は実際に、旅の途中で銃を突き付けられたりしたじゃない。だから、銃の怖さはすごくよくわかるでしょ?
石田:そうですね。みぞおちに銃を押し付けられた感触っていうのは、やっぱりまだ残っています。目の前に「死」が、バーンと立ちはだかって、その向こう側に、死の方に行くかもしれないっていう、あの感覚は……。本当に、想像している以上の怖さがありますよ。
井上:それは、銃の中に弾が入っていようがいるまいが、ってことだよね。
石田:そうです。ただ、それ以前に、ぼくが強盗にあったところで殺された人がいるっていう話を聞いてたんですよ。だから、この銃は間違いなく本物だろうな、と。殺された人について聞くと、やっぱり欧米人なんですよ。イギリス人とか。たぶん彼らは反抗したんだろうな。あれ、反抗したら絶対に殺されるっていう雰囲気でしたから。今ではもう大丈夫ですけど、それからしばらくは、あの恐怖の体験を夢に見ましたね。あれ以降、テレビとかで銃が出てくるシーンにも、すごく敏感になりました。身に迫る恐怖があるんです。
晴美さんは海外で死に直面したようなことってないんですか?
井上:死に直面したこと? どうだろう……なんかあったような気はするんだけど。
石田:じゃあ、死までいかないけど危ない目に遭ったことは? 痴漢とかなかったですか?
井上:痴漢!? どこで?
石田:うーん……。アジア方面には行ったことないですか?
井上:タイには行ったけど……。
石田:タイは痴漢ってあまりいないみたいです。アラブとか、インドとかはすごいって聞きます。
井上:その辺は行ってないですね。
石田:インドは強烈ですよ。もう、すごいですから。なんであなたが触られるの? っていう人ですら触られまくってますからね。
井上:それはご挨拶なの? ただのセクハラ?
石田:ただ単なる痴漢ですよ。すれ違うときにガッと。
井上:え、いや~~~!! それは道とかで……?
石田:そうそう、道とかで。すれ違いざまにバシッて。しょっちゅうあるみたいですよ。
井上:……いや。
石田:前に晴美さん、いつかインドに呼ばれたら行きたいっておっしゃってたじゃないですか。その辺は理解されてから行った方が……。
井上:触られても平気な感じで……?
石田:いや、それはもちろん怒った方がいいですよ。
井上:コラーッ! って。
石田:ええ。彼らもやっぱり、人というか、国を見て触るみたいです。日本人だったらそんなに反抗しないからって標的にされたり。
井上:抵抗しても大丈夫なの?
石田:うん。だいたいね、ガーッと怒ったら、周りが味方してくれるんですよ。被害者の方に。周りの人も一緒に騒いでくれるんで。
井上:男の人も触られるの?
石田:パキスタンではしょっちゅうですよ。
井上:女の人に?
石田:いや、ホモですね。多いんですよ。ぼくもけっこう……。
井上:お誘いはあったの?(笑)
石田:そうですね~、お誘いっていうかもう……ねめつけるような視線っていうんですか?
井上:「どうよ?」って?
石田:そう、そういう感じです(笑)。
井上:あははは(爆笑)。
石田:あ、あとハンガリーもすごかったです。ハンガリーのブダペストって温泉の街なんですね。街の中にいっぱい公衆浴場があるんですけど、そのいくつかは、ホモの社交場になってるんですよ。
井上:危険なわけだ。
石田:うーん、危険てっわけじゃないけど、ちょっと気をつけた方がいいかもしれませんね。晴美さんはそういうことも含めて、危ない経験はなかったですか?
井上:ないですね。
石田:イタリアでも大丈夫でしたか?
井上:イタリアも平気でした。
石田:イタリアはねぇ。本当に危ないらしいですよ。
井上:私ね、イタリアでは、財布を持たないようにしたんだ。現金だけ本に挟んでバッグに入れたりして……。子供たちが集団で来ることはあったけど、キッと睨んで「めっ!」って言って威嚇して(笑)。
石田:え? 子供らが……「お金ちょうだい」って来るってこと?
井上:ううん、なんかね、集団で狙ってるの。目配せしたりして。作戦を立ててなにかしようとしているんだよね。それを見ると「あ、来るな」って思うじゃない。だからこっちも身構えてね。
逆に質問なんだけど、石田君が「ここは危ない!」っていう場所を通るときにしていた工夫ってあった?
石田:ぼくが一番怖かったのはナイロビなんです。あそこに行くときは、戦場に丸腰で行くっていう気持ちで行ったんですよ。白昼堂々と斬りつけられて、金品を奪われることもあるらしいんですね。時計を狙っていた強盗に、腕をバッサリ切断された日本人もいたらしくて。その人はすぐに病院に行って、元通りにつなげることができたらしいんですけど、そんな世界なんですよ。ぼくなんか丸腰なうえ、荷物をどっさり自転車につけてて、いつでも狙ってくださいっていう感じじゃないですか。どうしよう~と思って考えたのが、自転車のスタンドに使っていた木の棒を手に持って走るという……。サムライ状態ですよね。それで走って大丈夫でした。
井上:なるほどねぇ。
石田:あと、タンザニアのダルエスサラームっていう首都も強烈でした。そのときは時差の関係で、どうしても深夜に国際電話をかけなきゃいけなかったんです。それで夜、ホテルの窓から外を見たら、得体の知れない黒人たちがフラフラしてるんですよ。そういう怪しい奴以外は人っこひとりいない。どうしよう~と思って。でも待てよと。何も持って行かなかったら狙われるわけないやって。で、パンツ一丁で裸になって、棒を持って電話局まで走って行って(笑)。
井上:向こうもひくよね、そんなパンツ一丁で。
石田:もうこっちも必死ですよ。「俺はなにも持ってないから!」ってことをアピールするために、素っ裸になって走って。手に持っていたTシャツを電話局で着て。ハアハア息しながら「日本まで!」って。
井上:そこから電話をかけるんだ。
石田:そう。公衆電話とかからじゃ無理ですから。あのときは本当に怖かったですよ。帰りもまたTシャツ脱いで裸になって。
井上:男の人と女の人、どっちの方が狙われやすいの?
石田:そりゃあやっぱり女性の方がはるかに危ないですね。
井上:そうなんだ。
石田:そうですよ。向こうもハイリスクは避けようとしますからね。ノーリスク、ハイリターンを目指しますから。
あと、キャンプするときは2パターンあって、人がまったく来そうにないところか、逆に人がたくさんいる村か、そのどっちかですね。アフリカだとしたら酋長に取り入って、保護してもらう。そうすると絶対安全ですから。
井上:お金を渡すの?
石田:いえいえ。ただもう仲良くなるだけですよ。だから、自分がいることを周囲に知られている状態にするか、逆に人が全然来ないところにするか。1回中途半端なところに泊まって、クルド人ゲリラに間違われたこともありましたしね。
※編集部注:自転車くんが強盗に遭ったときの詳細は、今号の『自転車くんの長い旅』に紹介されています。そちらもぜひご覧ください。
旅先で心細かったこと
井上:私、ロンドンに初めて行ったときに、ホームステイを5時間でリタイアしたことがあるの。
石田:5時間でリタイア?
井上:そう。そのときは初めてだったから日本ですべて手配して行ったんだけど、滞在するはずだったホームステイ先が、とにかくひどいところで。でも言葉も話せないし、他に行くあてもないでしょう。あのときは途方に暮れちゃった。結局、友人の知り合いだった日本人女性に助けてもらって、なんとかなったんだけど。でも、本当に心細かったな。泣いてばっかりで。
石田君も、旅先で心細かったことってあるでしょ? 泣いちゃったこととか。
石田:泣いたこと……ないんですよね。あ、でもオーロラを見て泣いたり、アフリカで子供たちが大地を走って行く姿を見て泣いたりとか、そういうのはありました。
井上:感動でね。
石田:そう。
井上:じゃあ、泣きはしなくとも旅先で心細かったのは、どんなときだった?
石田:それは……やっぱり病気になったときですかね。
井上:マラリアのとき?
石田:あのときは近くに友達がいたんですよ。だから心細くはなかったですけど……。すぐに思い出せるのは、メキシコで食中毒にかかったときかな。『自転車くんの長い旅』の連載にも書きましたけど、もう死ぬかと思うくらい痛かったです。ベッドの上でのたうちまわってましたね。
井上:それは何を食べて?
石田:それがわかんないんですよ。たぶん弱ってたんでしょうね。無理してたときですから。ふだんだったら平気なんだけど、そのときは疲れててダメだったんだと思います。あのときは、当時付き合ってた恋人の名前を呼びながら唸ってましたね。
井上:うわ~ぉ!
石田:アケミ~!! って(笑)
井上:はははは(笑)
石田:あのときは孤独がそうとう怖かったです。ふだんはひとりが好きなので、ひとりで淋しいっていう感覚が、あまりないんです。
バンクーバー恐怖の体験
井上:でも旅を始めた直後は、トラブルが起こっても、それを処理する方法がわからなかったんじゃない? そういう意味で困ったことは?
石田:それはあります。最初カナダのバンクーバーで置き引きにあったんですよ。
井上:え、バンクーバーで?!
石田:ええ、バンクーバーで。住宅街にある友達の家に行ったとき、電話を持っていない友達だったから、家のドアに紙を挟んで戻ってきたら、荷物がなくなってたんです。まだ旅にでて2ヵ月くらいのときだったから、パニックになっちゃって。
そのときは、たまたままた聞きで聞いてた天理教の教会に電話して、そこにぼくの友達がいたから「こんな目に遭ってもうてん!」って駆け込みました。
井上:バンクーバーでは、ナイフをつきつけられてお金を持っていかれるっていう、そういう単純な犯罪が多いって聞いたな。私が滞在してたのはダウンタウンなんだけど、そこでも1ブロック先でそういうことがあったみたい。私は、メインの通りから一本裏に入るときは、目的地までいつも走ってたのね。怖いから。それか、歌を歌いながらとか、ちょっと変な人っぽくしてました。
石田:やっぱりぼくと同じようなことしてますね。
井上:留学生の人は、携帯を盗まれたりとかしてたしね。日本人=携帯を持っているって思われてるから。あとね、携帯のバッテリーだけとられた人もいた。もちろん現金もだけど。それでもナイフで脅されて、っていうのがやっぱり多くて。
ただ、あそこは危ないエリアが限定されていて、みんなが教えてくれるんですよ。だから、そういうところにはなるべく近寄らないようにしてましたね。通ると絶対にレイプされるっていう公園があって、そこはね、昼はすごくきれいな公園なの。だけどそういう話があるから、遠回りでも迂回して帰った方がいいよって言われて、忠実に守ってました。
石田:今までの原稿を読んでいても、晴美さんはそういうのをきっちりやっているタイプですよね。油断しないっていうか。でもそれって基本ですよ。
井上:ただね、旅にしろなんにしろ、慣れると気が緩むでしょ。周りを見てると、みんなそういうときに被害にあってましたね。一年とか半年とか留学している子は、最初の数カ月は緊張して、いろいろと警戒してるんだけど、だんだん慣れてくるでしょ。そうすると、なにかをとられたりとか。
石田:どのくらい行かれてたんですか?
井上:カナダ? カナダは半年。
石田:カナダの中でも、バンクーバーって治安、そんなによくないじゃないですか。
井上:場所によってはね。だから危険なエリアっていうのは、いわゆるジャンキーの通りっていうか……。道端とか、公園で麻薬を売ってるんですよ。そこに、中毒者が集まってくるわけです。私、その地域をバスで通ったりしてたのね。バス停もあるから、当然そういう人たちも乗ってくる。だから、バスの中に注射器があったり。それは怖かったですね。夜になるとバスは使わないで、電車で移動するようにして。
ダウンタウンのカフェでも、なかなかトイレが空かなくて、やっと入れたと思ったら、便器の中に注射器が。「ダウンタウンでこんなのアリ?!」って思いましたね。
石田:注射器ですか……。あれはぞっとしますよね。
井上:うん。
石田:ぼくも、イランだったかな。テントを張ろうと思って薮の中に入って行ったら、そこに注射器がいっぱい落ちてて「や~めた」って(笑)。なんでこんなところに注射器が落ちてるんだ~って。注射器って、見た目が怖いですよね。
井上:そうなの。バンクーバーも、安全だなって思うんだけど、ちょっとしたところでやっぱり……。でも、どこでも危ないエリアってあるでしょ? 日本だって、歌舞伎町には積極的に行きたいと思わないし。上野とか、池袋も。危ないっていう種類は違うけどね。だから、どこにでもそういう危ない場所っていうのは存在するから、なるべくそういうところには行かなきゃいいって。それは外国でも同じで。
石田:正しいかもしれませんね。
旅に出る理由
井上:石田君は、この後旅に出る予定は……?
石田:今のところないですね。
井上:でも日本に永住する気はないでしょう?
石田:わかんないですね~。ちょっとまだ、計画が定まらない。
井上:定まらない? でもそれって、今後の人生設計では大きなポイントになることでしょ?
石田:そうですね。でも……場所はあまり考えてないですね。
井上:どこへ行ってもべつに関係ないってこと?
石田:それはあります。
井上:そうだよね。関係ないくらいいろんなところに行っているわけだから。
じゃあ、今回の旅で行ってないところで、これから行ってみたいところってありますか?
石田:グルジアとか。
井上:どこですか、それ?
石田:トルコの北なんですけど。あの辺りにはすごい行ってみたいですね。コーカサス地方って言うんですけど、あの辺みたいに人が行かないところに行きたいんです。最近はアジアでも日本人のバックパッカーとか、旅行者が本当に多いんですよ。そうなると現地の人もスレてきて、その国の裸の部分が見れなくなってくる。旅行者のいないところで、その国のピュアな部分を見たいから。
だからイラクにも行きたいですね。あそこは本当にいいらしいですよ。まったく旅人が入ってないからっていうのはあるでしょうね。
井上:そうか~。私ね、おばあちゃんになっても旅は続けたい! 石田君もそうでしょ? なんでって理由を問われると難しいんだけど。
私、どこかに行きたいって言い出すのは、いつも突然なのね。それは、今いる環境から逃げたいっていうことなの。自分がいっぱいいっぱいになっちゃうのね。
石田:あ、その衝動はぼくも一緒ですよ。ぼくも、逃避行動とは言わないですけど、小学校のときに書いていた作文がめちゃくちゃ変わってて、とにかく家出する話だったんですよ。家出して社員寮に入って麻雀するっていうわけのわからないものだったんですけど。とにかくここじゃないどこかっていうの、ありますよね。常にひとつの場所にいると窮屈な思いが出てくるから、どこかに抜け出したいっていう衝動が起きる。
井上:そう。自分を改めるというか、探すというか……。仕事でいろんな人に会うと自分に合う人もいれば、合わない人もいて、それでも一緒に仕事しなきゃいけない。そうすると、なんだかわからない疑問みたいなものが生まれてきて。ストレスだとは思っていないんだけど、それを周りの人にぶつけずに解消するために「行ってきます」って。
私、旅行するようになって、文句を言わなくなったんですよ。
石田:旅をすることではけ口が見つかったってことでしょうね。
井上:そう……。10代の頃はアイドルだったし、わがまま言ってナンボだって思っていたりしたのね。それが、違うなって思って。で、自分がなにか迷ったり、こうじゃないんじゃないかって思ったりすると、旅行に行って。旅先から帰ってくると、自分が大丈夫になってる。
石田:それはありますよね。ぼくもストレスフルな仕事をしていたので、旅に出て、いろんな部分でおおらかになったとは感じます。バランスが取れるんだと思うんです。旅に出ることで。
井上:そうだよね。
旅に出ることで、いろんなことを学んだり、新しい見方ができるようになったり、もちろん友達もできる。だからこそ、一生旅を続けたいんだよね。
自転車くんの今までの旅をふりかえる「自転車くんの長い旅」。ペルーにある、広大な砂漠のど真ん中。そこに立つ一人の男……。自転車くん、絶体絶命のピンチ!
“強盗に襲われ、見ぐるみはがされた。その後、ぼくはある一つの事実に思い至った”石田裕輔
自転車くんに会いに行くの記事をもっと読む
自転車くんに会いに行く
女優――井上晴美。もう5年以上、世界を自転車一つで旅する男――“自転車くん”こと石田裕輔。二人はまだ出会ったことはありません。この連載は井上晴美と自転車くんが出会うまでを追いかける、リアルタイムドキュメントです!
※本連載は旧Webサイト(Webマガジン幻冬舎)からの移行コンテンツです。幻冬舎plusでは2003/04/15のみの掲載となっております。
- バックナンバー