ほどなく、襖が開き、母君様の案内で若い男性が姿を見せた。
では、と母君様が会釈して部屋を出て行くと、男性は花に向かって一礼した。
「はじめまして。心霊コンサルタントの群青です」
彼の姿が目に飛び込んできた瞬間、人気コミックのレギュラーメンバーが現われたかと思い、唖然とした。
「……あっ、はじめまして」
花は慌てて挨拶を返した。
年齢は、おそらく二十代半ば。オリエンタルな藍染めの着物と袴をきりっと着こなす姿に、十三代目石川五ヱ門のイメージが見事、重なる。だが、よく見ると、面立ちは今風のイケメンだし、五ヱ門と違って両手にロック・ミュージシャンみたいな鋲だらけの黒い手袋を嵌めている。
しかし、服装もさることながら、透き通ったブルーの瞳が何とも異彩を放っていた。カラコンだというのは明らかだが、相手を凍らせてしまうような冷たい眼差しには独特の凄味がある。
「えっと、わ、私は……」
「小日向花――」
名乗る前にフルネームを言い当てられ、ドキリとした。特殊な能力があるという住職の話が、俄然信憑性を増してくる。
「すごい、この人には不思議な能力がある。今、そう思って私のことが少し怖くなったみたいですね」
――名前ばかりか、こちらの心の動きまで透視するとは、やはり只者ではない。
「おっしゃる通りです。まだ口にしていない私の名前をご存じとは……びっくりしました」
萎縮する花を尻目に、群青という名の青年は座卓の向こう側にどっかりと腰を下ろし、胡座をかいた。
「騙されやすいタイプだね。気をつけたほうがいい」
「…………?」
きょとんとする花に、彼が笑い掛けてきた。笑顔は笑顔でも、ニヤッと唇の端を歪めたその表情は、悪魔的と表現するのがぴったりだった。
「鈍い奴だな」
花はぼうっと彼の顔を見つめた。初対面の相手に「鈍い奴だな」とは、失礼にもほどがある。だが、反撃したくても咄嗟に適当な言葉が思い浮かばない。
数秒後、群青が手袋を嵌めた手で座卓の端を示すのを見て、ため息が洩れた。
――何だ、そういうことか。
彼が指さした教科書「近代文学概説」の裏表紙には、マジックインキでデカデカと「小日向花」と名前が記入されている。
「何だ、そういうことか。態度がデカくて偉そうなところがちょっとムカつくけど、それほど怖い相手じゃなさそうね。今、私の印象を少し改めた」
「読心術ですか」
恐る恐る尋ねたところ、群青は手袋を嵌めた手で花の鼻先を指した。
「顔に描いてある」
――何、この人?
ずけずけと物をいう割に、無表情の顔からはとても冷たい印象を受ける。「情熱的」とか「覇気」「朗らか」「陽気」といった言葉がこれほど似合わない人も珍しかった。
「年齢を教えてくれるかな」
群青は腕組みして、花の顔にじっと目を凝らしながら尋ねてきた。
こちらの年齢なんて、それこそ透視すればすぐにわかりそうなものだが、なぜわざわざ聞いてくるのだろう?
怪〓に思ったものの、それを口に出すような勇気はない。
「十九歳です」
「よし、合格」
「な、何ですか、今の『合格』って……」
「今の質問に、君が『いくつに見えますか?』と答えたら失格。誰か他の人に相談してくれ、といってこの話は断るつもりだった。そういう女が、大嫌いなんだ」
――大嫌いなんだ……って、別に合コンじゃないんだし……。
群青の偉そうな物言いに、さすがの花もカチンときた。
もう結構です、といって席を立とうとしたときだ。襖の向こうから「お茶をどうぞ」と上品な女性の声がした。
「さ、召し上がれ」
母君様の笑顔が、気まずい空気を一掃してくれた。
「お菓子まで用意してくださるとは、恐縮です」
「私は隣の居間におりますから、何かありましたら遠慮なく呼んでくださいな」
「ありがとうございます」
群青は礼儀正しく母君様にお辞儀をすると、さっそく茶碗を取り上げ、緑茶に口をつけている。
今度は花が彼の様子をじっと観察する番だった。
激しい雨の中を歩いてきて身体が冷えているのかもしれない。だが、それにしてもお茶を飲むときくらい手袋を外せばいいのに。花は不思議に思った。
「では、本題に入るとしよう」
茶碗を茶托に戻すと、群青は花に向き直った。
「悩みを詳しく聞かせてくれないか」
「……悪霊に祟られて……困っているんです」
緊張して口の中が乾く。花はお茶を一口飲んでから話しはじめた。
「……つづけざまにいろんなことが起きて……どこから説明すれば良いか……」
困って顔を上げると、群青が「好きなところから話してください」と初めて優しい口調でいってくれた。
「それでは、真夜中のチャイム事件から聞いてください」
最近、五十嵐フラットの一〇一号室で起こる不可解な出来事について花が語るのを、群青は腕組みをして聞いている。目を瞑った彼の顔を見て、花はほっと息をついた。カラコンとわかっていても、冷たいブルーの瞳はじっと見ていると吸い込まれそうで、さっきから怖かったのだ。
「……大家さんに相談したところ、アパートに防犯カメラを設置してくれることになりました。工事は、来週です。その矢先に、またしても気味の悪い事件が起きたんです。アルバイトから戻ってみると、洗面所の歯ブラシが消え、反対にお風呂場には、干した覚えのないひまわりの造花が四輪、吊るしてありました」
花は下唇を噛み、気持ちを鎮めてから話をつづけた。
「留守中、誰かが部屋に忍び込んだ……。それだけでも不気味なのに、犯人は、百均でひまわりの造花を買おうか買うまいか迷う私のことをどこかから見ていたのかもしれない。そう思ったら怖くてたまらなくなり、すぐに管理人さんに連絡しようとしました。でも、携帯電話の電波が圏外になっていて使えなかったんです。仕方なく、駅前のマン喫へ――」
花は話しながら、おや? と瞬きした。
目を瞑り腕組みする群青の頭が前後に揺れ、船を漕いでいるように見えるのだが、気のせいだろうか。
「――お隣の美穂子さんと管理人さんを連れて部屋に戻ってみると、消えたはずの歯ブラシが元の場所にありました。逆に、お風呂場に吊るしてあったひまわりの造花は四輪ともなくなっていたんです」
あのときは、まるで花が〓をつき、ありもしないことを騒ぎ立てているようで、きまりが悪かった。
「妄想でもなければ幻覚でもありません。お風呂場にひまわりの造花が逆さ向きに吊るしてあるのを、間違いなくこの目で見たんです。……あ、見たと言えば、山岸さんのことを話し忘れていました。ケータイの電波状況がよくなかったので外に出ようとしたら、そこに山岸さんがいたんです。横浜市役所に勤めている男性で――」
花は必死の思いで説明した。だが、群青は依然目を瞑ったまま、うんともすんともいわない。
彼の身体が気持ち良さそうにゆらりゆらりと揺れているのを今度ばかりは花も見逃さなかった。ぐうぐうと寝息が聞こえてくるのも時間の問題だろう。
「先生、起きてください!」
群青がパッと目を開けた。
透き通るようなブルーの瞳は、柩の中で永い眠りから目を覚ましたドラキュラ伯爵みたいだ。その目にギロッと睨まれたら、誰だってすくみ上がる。
「居眠りはしていない」
――もー、うそでしょ。
「人が一生懸命、説明しているのに、こっくりこっくり船を漕ぐなんてあんまりです」
「表面だけを見て判断するから、間違える。私は居眠りをしているふりをしていたまでだ」
ああ言えばこう言う、とは、彼のためにある言葉かもしれない。
「しかし、ひまわりの造花とは、面白い。私はあなただけを見つめる……か」
「何です、それ」
顔を顰める花のことを、群青がしげしげと見つめた。こんな簡単なことがどうしてこいつにはわからないのだろう、と不思議な生き物でも観察するような目つきだ。
「花言葉だ」
「……もしかして、ひまわりの?」
「脈絡もなく、突然ヒヤシンスの花言葉を口走っても意味がない」
――花言葉だなんて、咄嗟に考えたでまかせに決まっている。だいたい、ひまわりの花言葉を即、口にできる男性がこの日本にいったい何人いるだろう。
とはいうものの、悪い人ではないのかもしれない、と花は思った。少なくとも、学生の自分よりは社会経験が豊かで、人生の深みを知っていそうだ。表面だけを見て判断するから、間違える、との言葉には、正直ハッとさせられた。
物事の本質を見極めるには、裏を見る目を養わなければいけない――。
花は気を取り直し、説明に戻った。
「管理人さんと美穂子さんを連れて戻ると、アパートの部屋は何事もなかったように元通りになっていました。歯ブラシとひまわりの件は私の勘違いだろう。管理人さんたちは、きっとそう思ったはずです。でも、その晩さらに恐ろしい事件が起こったのです――」
青山群青の憂愁
次々起きる怪奇現象を解決してもらうため、貧乏女子大生・花は、心霊コンサルタント・群青を紹介される。長髪に藍染の袴姿、ブルーのカラコンをした群青は、超感じ悪いけど、腕は確か。洗面台一杯の鶏の頭、血染めのライブ会場などの謎を〝降霊〟して次々解決! クールでイケメンの〝心霊コンサルタント〟が紐解く怪奇ミステリ、始まります。