椰月美智子さんの最新刊『その青の、その先の、』。この傑作の魅力を紐解くべく立ち上がったのは、小説家・樋口毅宏さん。『さらば雑司が谷』で鮮烈なデビューを飾って以降、『民宿雪国』など話題作を連発。最近では、革命的芸人論『タモリ論』を上梓し、話題をさらった。
少年少女の繊細な感性を瑞々しい筆致で描く椰月美智子さん。愛も哀しみも性も暴力も丸呑みするかのごとき作品を放つ樋口毅宏さん。一見すると正反対にも見える二人の小説家が、椰月さんのホームタウン小田原で、いざ対談!
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「作り手の魂胆」はどう機能させるべきなのか
樋口 146ページで、ある登場人物がいよいよ初体験をするっていう場面があります。このシーンの描写がほんとうに素晴らしいと思った。
椰月 そうですか。よかった。編集者から「初体験はぜひ入れて下さい」という要望があったんですけど、なかなか書きづらくて(笑)。初体験を入れると、本当にただの高校生の恋愛話になっちゃうかなと思ってて。
樋口 難しいよね。
椰月 そうなんです。難しいなと思ったので、さらりと書きました。でも、さらりと流すような小さな出来事でもないので、色々と考えたんですけど。
樋口 これは僕には書けないと思った。「なにがなんだかわからないまま、亮司の肩のあたりをじっと見つめていた。角張っていて硬そうで、女の子の肩とはぜんぜん違う」っていう文章。これは書けないよ。俺、すぐに「ペニス」とか書いちゃうもん(笑)。
椰月 直接的にね(笑)。
樋口 そういうのが正解だと勘違いしている人間だから(笑)。
椰月 自分でも忘れていたようなところをありがとうございます。
樋口 帯のコピーでも使われているけど、180ページの指輪をプレゼントする場面の「こういうの、大人が見たらばかみたいだって言うのだろうか。高校生のおままごとだって言うのだろうか」。本当にきらびやかなフレーズだよね。どうして書けたの、これ。キラッキラなフレーズだよ、もう。
椰月 そうですか、キラッキラですか(笑)。
樋口 何て言ったらいいんだろうな。さっきも言ったけど、ノスタルジーでもないし、「何々っぽく書きました」でもないし、リアルとも違うんだよね。
椰月 たしかにノスタルジーではない感じですよね。
樋口 読んだ時、びっくりしましたよ。これはネタバレになるから詳しくは言えないんだけど、ある登場人物にある不幸が訪れるじゃないですか。物語において「不幸」って往々にして「装置」であってね、下手な作り手だったりすると魂胆が透けて見えるんですよ。「ほら、嫌な感じがするだろう?」とか「嫌だろう、こういうの?」っていう魂胆が。ところが椰月さんの作品にはそういう作為が感じられないんだよね。それって、作り手の誠意だと思うんですよ。
椰月 そこは意識していて、そうじゃないと読者が純粋に物語を楽しんでくれないように思っているんです。それは、子どもが主人公の作品も書いているからかもしれないです。子ども向けの作品ってたまにそういうのがあるじゃないですか。上から目線というか、わざとらしく引っ張るというか。
樋口 泣かせよう、泣かせようとする作品とかね。
椰月 そう。そういうのって、子どもをバカにしている、読者をバカにしている書き方なんじゃないかって思うんですよね。
樋口 椰月さんはデビュー作から、そのへんを本当に気を付けて書いていますよね。インタビューでも、「子どものほうが作者の意図を本能的に見透かすから気を付けて書いている」っていうようなことをおっしゃっていたし。『その青の、その先の、』に戻りますけど、この作品では、椰月さんの魂胆が「装置」としてじゃなくて、「必然」として物語の中に配置されていて、祈りと共に物語の中で最高の機能を果たしているんですよね。
椰月 言葉にしてもらうのって、すごい嬉しいですね。
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