「小説家になれる」と思った瞬間
樋口 そういえば、デビュー作の『十二歳』って、元カレか誰かと飲んでたときに……?
椰月 元カレと飲んでて、その時、仕事の愚痴を言い合っていたんですよ。で、「何かで一発当てよう」的な感じで、「小説家になろうかな」みたいなことを言っただけなんですけど、「みっちゃんならなれるよ」って言ってくれて。それで、なんか天啓のように。「なれるんだ!」と思ったの。何かピーンときて、「あ、書けるんだ」ってストンと思ったんです。で、小説を書いたの。
樋口 わかる。僕もそう。白石一文さんに……今でもはっきり覚えてるよ。白石さんに50枚を先に送っていたんだけど、電話がかかってきて「とりあえず君が書ける人だっていうのはわかった。それじゃあ今から1年かけて1000枚の作品を書きなさい」って言われたの。部屋で一人で正座しながら、その電話の声を聞いてたんだけど、「書かなきゃいけないんだ」って思ったもの。1000枚書けるなんて、自分はまったく思ってなかったのに、とにかくそれもやっぱり天啓のように受け取ったんだよ。だから、椰月さんが言ったこと、すごくわかる。
椰月 そう、その時に思っちゃったんですね。まあ元カレは適当に言ったんだと思いますけど。白石さんが樋口さんに言ってくれたように真剣に言ってくれたのとはまったく違うと思うんだけど、なぜか「小説家になれるんだ」って思ったんだよね。
樋口 そこで聞きたいんだけど、僕は1000枚書けって言われた時、とてもじゃないけどフィクションじゃ書けないと思ったの。ほぼ自伝に近いものにならないと、そんなにたくさんの枚数は書けない、いちばん手短なところを書こうと思ったのね。椰月さんは何で『十二歳』っていうね、子どもを主人公にした小説を書こうと思ったの?
椰月 『十二歳』の前にもう一作あったの。それを色々な賞に応募したんだけど、どこにも引っかからなくて。で、二作目で書いたのが『十二歳』なんです。
樋口 二作目であれかよ!
椰月 一作目は、自分をまったく反映してない小説だったんですけど、二作目の『十二歳』はなんかやっぱり自分の小学生時代を、十二歳の頃を思い出しながら書いた部分も多いですね。一作目はただただ懸命に書いていただけだったけど、『十二歳』を書いているときは、とてもたのしかった。書いている自分が書くことを面白がってて。原稿用紙で300枚ちょっとだと思うんですけど、一ヶ月半ぐらいで書いたの、あれは。
樋口 へえー、ちょっと似てるかも。僕、二作目が『さらば雑司ヶ谷』なんだけど、一ヶ月ちょいで350枚の小説を書いたんだよね。
椰月 あり得ない、今では考えられない。何であんな書けたんだろうと思います。しかも当時は別の仕事をしていて、仕事が終わってから書いていたんです。
樋口 僕もそう。
椰月 今はその頃より執筆の時間があるのに、とてもじゃないけどそんなに書けない……。
樋口 当時は何のお仕事を?
椰月 家の仕事、介護の仕事なんですけど、それを手伝っていました。
樋口 そうか。介護の仕事はちゃんと『坂道の向こう』で書いてるもんね。
椰月 ああ、そうそう。
(構成:編集部 写真:小嶋淑子)
※この対談は全3回です。次回は11月23日(土)に掲載予定です。