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高野病院日記

2017.04.06 公開 ポスト

最終回

馬鹿、何かを成し遂げたわけじゃない中山祐次郎

患者さんのご家族からいただいた、原発近く富岡町の桜の写真。見事だ。

福島第一原発から22キロ、福島県双葉郡広野町にある高野病院は、震災後も1日も休まず診療を続けてきました。病院でただ1人の常勤医として、地域の医療を担ってきたのは高野英男院長。その高野院長が、2016年末に火事でお亡くなりになり、病院の存続が危ぶまれる事態になりました。その報に接し、2017年2月からの2カ月間、高野病院で常勤医として働くことを決めた中山祐次郎さん。先日3月末で、勤務を終えられました。中山医師が広野での日々を綴る「高野病院日記」最終回です。

* * *

【Day 58】

今日は最後の回診日だった。

朝目が覚めると、体中をベッドに落しつけられているように感じた。体が異様に重いのだ。目覚まし時計代わりの携帯電話のアラームと何度も何度も格闘し、17度寝ぐらいでやっと目を覚ました。

まだ風邪がくすぶっているのだろう、のどが少し痛かったが、のど飴を舐めながら車に乗り込んだ。

福島の浜通りは今日も快晴だ。いつものようにむちゃくちゃに混むロッコクを通り、高野病院に着いた。

ふと、無性に花が見たくなった。思えば前の病院にいた時は毎日、通勤途中の花(ランタナ)の写真を撮っていたのだった。もうしばらく花をまじまじと見ていない。茨木のり子さんの詩にこんなものがある。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」。たまには自分の感受性に水やりをしなければ。

前職駒込病院近くの、ランタナの花。ほぼ毎日写真を撮っていた。

病院の玄関に咲いているあの黄色い花は、水仙だろうか。お昼にでもこっそり見てみよう。

午前中の回診。僕の腰をいたわってか、ヘルパーさんと看護師さんが、患者さんのベッドに座れるようにスペースを空けてくれている。有難い。僕もやっとこうして仕事に慣れてきたのになぁ。

今日の昼ごはんは、なんとうどんだった。あまりに美味くて感動し、給食部の人たちにお礼を言いに行った。「あれが稲庭うどんというやつですか」と尋ねると、「いえあれは300グラム90円のうどんです」と。なんと。だがうまいものはうまい。

昼食を終え、病院の待合ロビーから黄色い水仙の花を見た。寒そうに、風に揺れていた。

午後から少し咳が出た。マスクをして、薬を飲みながら仕事を続けた。回診で見た60人分のカルテを書いていく。日付と回診の印鑑はいつの間にか看護師さんが押してくれていた。それで浮いた時間で、いつもより詳細にカルテを書いた。

「この患者さんの疾患はこれとこれとこれで、現在の問題点はこれで、こう対処しています。こうなったら薬を減らし、こういう時はこの薬がいいと思います」というように。そう、次の先生へのお手紙だ。こうやって医師たちは、患者さんの治療のリレーバトンを繋いでいくのだ。

仕事が終わり、時計は7時半を回っていた。そこで1日2回、欠かさずお見舞いに来ている、ある患者さんのご家族と話をした。お元気だった頃の患者さんのお話。6畳2間に5人が住んだ辛い避難生活のこと。みるみる半年で悪くなっていった患者さんのこと。広野町に帰還してからも、容態が戻ることがなかった話。そしてこの春、「石橋を叩いて渡らない」タイプのお孫さんが就職し、ほっとしたことなど。

こういう話を聞いていて、これは私が書いて世に伝えなければならないのではないか、と強く感じた。しかし医師には守秘義務があるので簡単には書くことができない。刑法で罰せられるのだ。許可をいただいて、書くことにしようか悩む。

小一時間話をしていると、何やら荷物をごそごそと探していらっしゃる。「はい、これ」と渡されたのは、若かりし頃の患者さんの写真。1985年とある。そして渡されたもう一葉は、見事な桜の写真だった。しかも大判にプリントしてある。

「これは富岡の有名な桜なんですよ。先生に差し上げます。ちょうどこの桜の手前20メートルぐらいのところに小学校があってね。避難区域だからパトカーが止まっていたけれど、写真だけ撮ってきますからと無理を言ってね」

「そんな大切なもの、いただけません」

「いいんですよ。差し上げます」

「もう一つあるのよ」。そう言って取り出したのは半紙に達筆で書かれたもの。

「私の好きな言葉を書いたのよ、よかったら」

そう言って渡された封筒の中には、なんと「駄目なことの一切を 時代のせいにするな わずかに光る尊厳の放棄」とあった。これは朝ふと思い出した、茨木のり子さんの詩じゃないか! 本当に驚いた。こんなことってあるのだ。

茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」より。これも患者さんのご家族から。

病院からの帰り道。いつものように真っ暗な道を走る。あっ!何か横切った!と思ったら、タヌキだった。こちらに来て初めて会うタヌキさん。お別れを言ってくれたのかな。

帰宅し、いつものようにベッドにダイブした。

⇒次ページ【Day59】に続く

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高野病院日記

福島第一原発から22キロ、福島県双葉郡広野町にある高野病院は、震災後も1日も休まず診療を続けてきました。病院でただ1人の常勤医として、地域医療を担ってきたのは高野英男院長。その高野院長が、2016年末に火事でお亡くなりになり、病院の存続が危ぶまれる事態になりました。その報に接し、2カ月限定で、高野病院で常勤医として働くことを決めたのが中山祐次郎さん。中山医師が、高野病院での日々を綴ります。

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中山祐次郎

1980年神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、同院大腸外科医師(非常勤)として10年勤務。2017年2月-3月、福島県高野病院院長を務め、その後、福島県郡山市の総合南東北病院外科医長として勤務。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医、感染管理医師、マンモグラフィー読影認定医、がん治療認定医、医師臨床研修指導医。日経ビジネスオンラインやYahoo!ニュース個人など、多数の媒体で連載を持つ。著書に『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと~若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日~』(幻冬舎新書)、『医者の本音』(SB新書)がある。

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