私は、夫がいなくなり、一人で生活するようになってから、22kg太り、久しぶりに会った人には「誰だかわからなかった」と言われる程になってしまった。
まさに「寂しい女は太る」という20年以上前の「an・an」の特集を思い出す。
自由が丘の駅の改札をでると、すぐに甘い香りがしてくる。そこここに、甘い焼菓子のお店があるのだ。
絶頂時から、既に体重を12kg減らしたが、まだまだ大減量中の私は、バターと砂糖を混ぜて焼いた甘い香りの中を、キッと前を向いて、私は自由が丘の町をスタスタ歩く。
駅の近くに、「モンブラン」という名の老舗洋菓子店がある。ここのモンブラン(ケーキ)のマロンクリームは、昔ながらの黄色いクリームだ。そして、クリームの奥には栗の甘露煮が入っている。
この昭和を感じる黄色いクリームのモンブランには、胸がキュッとさせられる。
私が静岡の地元の小学校に通っていた頃、一人の用務員のおじさんがいた。今でこそ、用務員のおじさんと思えるが、小学校一年生の私には、すごくおじいさんに見えていた。小柄で細い、いつも背中を曲げて門の前を竹ぼうきで掃いたり、壊れた所を黙々と直していた。
何のきっかけか忘れてしまったが、私は、この用務員のおじさんと仲良くなり、お喋りするようになった。「そうか。あそこの歯医者さんの、お嬢ちゃんか」とおじさんは、ニコニコと笑いながら言い、おじさんと私の家がごく近所である事もわかった。
私は学校でおじさんを見かける度に、お喋りするようになり、その内、おじさんは私と友達を含めた一年生3人を、家に呼んでくれた。おじさんの家は、私の家の裏の通りを50メートル位歩いた所にあった。土曜日の午後少し歩くと、おじさんと、おじさんの奥さんが通りに出て手を振って待ってくれていた。
おじさんの家は、通りに面した二軒の家の間の細い砂利道を通って、通りから全く見えない奥の方にある小さな古い木造の家だった。私は、毎日、この通りを歩いて学校に通っていたのに、こんな所に家があったのかと、意外だった。
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さすらいの自由が丘
激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。