石畳を敷いた小道が、澄んだ疏水に沿って続いている。
紫乃は夕方の空を見上げた。連なる新緑の山並みが、すぐそばに迫っている。
ここは京都盆地の東の果て、東山山麓に沿って一・五キロほど続く哲学の道だ。
ソメイヨシノや大島桜、八重桜などが疏水に沿って植えられている桜の名所であり、道沿いには永観堂など紅葉の美しい寺院もある。
有名な観光地ではあるが、午後五時を過ぎた今は沿道の小物屋や喫茶店も閉まり、道行く人はほとんどいない。
白川通という大通りの側にある高校の授業が終わった後、バスには乗らずこの哲学の道に立ち寄ってみたのは、寺や神社が多いと観光ガイドブックで読んだことがあるからだ。
紫乃はベンチに座り、バッグからガラス細工を出してみた。相変わらず小さな白い人影が、白鳥の背に腰掛けている。
──どこかでお祓いしてもらわなきゃ。大事なお祖母ちゃんの形見なんだから。
紫乃がこの白鳥を手に入れたのは、つい先月のことだ。転居にそなえて久多の実家で荷造りをしている時、母親が「これ、持っていって」と小箱を出してきた。
「お祖母ちゃんの形見のガラス細工。紫乃が久多を出る時にあげてって、遺言書に書いてくれてたよ」
母親にそう言われた時、紫乃は幼い日の祖母の言葉の意味を悟った。
いつか紫乃ちゃんにあげようね。その「いつか」とは、自身が命を終え、紫乃が久多を離れる時だ。
そう悟った紫乃は、箱は受け取ったものの蓋を開けられなかった。中を見てしまったら、久多を離れる心細さに加えて祖母の思い出まで胸にあふれて、きっと泣いてしまうと思ったからだ。
だから、箱に入れたまま下鴨の女子寮あおいに来た。
自分の部屋で箱を開けてみたのは、寮生たちとの顔合わせや高校の入学式が済んで身辺が落ち着いてからだ。
箱から出てきたガラスの白鳥を見て「かわいい」と思わずつぶやいたが、手に載せた途端に白い小人の姿が現れて危うく床に落としかけた。
おまけに、ガラス細工からは祖母の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
この声は、ふることぎきの力がもたらしたものかもしれない。
しかし白い小人は、お化けとか妖精とかいうものではないか──と、紫乃は考えた。
世間一般ではいないことになっているけれど、ふることぎきの力は現に機能している。本当にお化けや妖精がいないと言い切れるだろうか?
紫乃はガラスの白鳥を持って、寮の二階にある談話室に向かった。大学で民俗学を学んでいる里沙がそこでよく本を読んでいるのを知っていたからだ。
「里沙さん、ちょっといいですか?」
「何、紫乃ちゃん?」
「この白鳥……」
里沙にも人影が見えるかも、と期待しつつ紫乃は白鳥を見せた。
「何これちっちゃい!よくできてるやん!軽いし、中は空洞なんやな」
感心する里沙に、人影は見えないようであった。
「これどこで買うたん?」
「祖母の形見なんです」
ここまで話しても、里沙の態度におかしなところは見られない。やはり、人影は見えていないのだ。
「大事なもんやねんな」
里沙の視線から、どうしてこれを見せに来たのかという疑問を紫乃は感じ取った。
まさか「小さい人が乗っています」とは言えず、紫乃は嘘をつくことにした。
「いつ頃どこで作られたものか、里沙さんなら分かるんじゃないかと思って。民俗学のゼミに入ってるって聞いたから……」
「あー、それで見せてくれたんや。ごめんやけど、分からへんわ」
「いえ、いいんですよー。いきなりすみません」
返してもらおうと紫乃が手を伸ばしかけた時、里沙はティッシュボックスから二、三枚引き抜いてガラスの白鳥を丁寧に包みこんだ。
「うちは分からへんけど、良かったらゼミの人らや教授に聞いてみるわ」
「あっ……ありがとうございます」
お願いしてしまおう、と紫乃は思った。ガラスの白鳥がどこで作られたのか分かれば、声の正体が判明するかもしれない。
しかし結果として、今朝になって返ってきたのは「不明」という答えであった。
──きっと、この小さな人はわたしにしか見えないんだ。お母さんも、見えてないからお守りとして持たせたんだろうし。
母親か父親に相談することも一度は考えたが、すぐに断念した。ふることぎきの力については、両親は知らない。そんな状態で娘が超自然的な現象を語りだしたら、きっと心配するからだ。
──お祖母ちゃんだって、わたしがふることぎきの力を受け入れられるように、離れに上げないようにしてたもの。わたしも、ちゃんと気配りできなきゃね。
制服の胸ポケットにガラスの白鳥を入れたまま、疏水べりを歩く。観光客向けの道しるべによると、寺や神社はもっと先、つまり南にあるらしい。
* * *
次回は1月31日(水)公開予定です。
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本編をお読みいただく前も後も楽しめます!
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アンティーク弁天堂の内緒話
進学のため京都・下鴨神社近くの寮で暮らす ことになった女子高生の紫乃。ある日、実家からお守りとして持ってきたガラスの白鳥から、亡き祖母を呼ぶ声がすることに気づく。 途方にくれる紫乃だったが、琵琶湖の弁財天 を名乗る女性に、哲学の道にある骨董店へ行くよう促される。そこには不思議な力で訳ありの品の謎を解く店長・洸介がいて――。
2018年1月の幻冬舎文庫キャラクターノベル『アンティーク弁天堂の内緒話』特別番外編です。