「あなた、その品を気味悪がっているんじゃなくて?」
面白がっているような問いに、紫乃は「少し」と答えた。
「それならばなおのこと、わたくしにくださらない?厄介払いできていいんじゃないかしらね」
意地悪な人、と紫乃は思った。
祖母の遺品だから大事だ、だが気味が悪い、という相反する気持ちを知った上で、揺さぶりをかけようとしている。
「このままあなたに渡すのは無責任な気がします。他の人は何も気づいていないし、このガラス細工から聞こえるのは、わたしの祖母の名前なんです」
「ふうん。それであなた、白鳥に乗っているその人のために何かできて?」
弁財天は挑むような声音で言う。あやうく腹を立てそうになり、引きずられてはいけない、と思う。何かしてやれないかと考えることは、恥ではないはずだ。
「できるかどうか、分かりません。お祖母ちゃんのお墓か、お仏壇へ持っていこうとは思っているけど、それで正解かどうか……でも、何とかしてあげたいんです。お祖母ちゃんに関わる物だから」
「なるほどね」
弁財天は腕組みをした。
「ならば、わたくしの知っている店に行ってごらんなさいな。どうすれば良いか、店主が教えてくれるでしょうから」
「店主、ですか」
紫乃は目の前にたたずむ美女を見た。
この人物が弁財天だというのなら、その知り合いも七福神なのだろうか。
「毘沙門天とか、大黒天とかですか」
「ほほほほ。いいえ、違うけれど」
袖で口元を隠して、弁財天はころころと笑った。
「まだ若いのに、七福神の名前が言えるのね」
「お正月に実家で飾っていた掛け軸が、七福神の乗った宝船でしたから」
「なるほどねえ。ご実家はどちら?」
「久多です」
ああ、言っても分からないだろうか、と思ったが、弁財天は「わたくし、知っていてよ」とうなずいた。
「京から北陸へ走る鯖街道を、途中で西にそれたあたり。琵琶湖から見れば、久多は山並みの向こうの町」
地図を見ているかのようにすらすらと、弁財天は言った。
「町って言うほど、人も家も多くないです」
「昔は町だったの。さあ、閉店する前に、店へ行って」
弁財天は、南の方向を指さした。
「この疏水に沿ってずっと歩いていったら、石灯籠に挟まれた道が左手に現れる。大豊神社の参道よ。看板が出ているからすぐ分かる」
「大豊神社……?」
「狛犬の代わりに、狛ねずみが社殿を守っている神社。でもそこまでは行かずに、途中で参道を左に折れて、両側に草木の生えた細道を進むこと」
相手の言葉を忘れないように、紫乃は無言でこくこくとうなずいた。
「疏水よりももっと細い水路の脇を歩いていくと、道がうねってくる。すぐに、三角屋根の大きな洋風の家が見えてくる……象牙色の外壁の角が、枯れ木色のレンガで縁取ってある。細長い四角の窓がいくつも並んでいる店だから、すぐ分かるでしょう」
「何のお店ですか?」
弁財天が指さした方向の、揺れる葉桜の列を眺めながら紫乃は聞いた。
「骨董の店。名前はアンティーク弁天堂」
声がなぜか誇らしげだ。
「同じ名前なんですね、あなたと……」
振り返った紫乃は、誰もいない空間に目を見張った。
お堂や絵馬の陰を覗いてみたが、幸せ地蔵尊の周囲には自分しかいない。
──まさか今の人も、幽霊?
紫乃は首をぶんぶんと振った。
ガラスの白鳥に乗る人影ならばまだ、幽霊として受け止められる。
しかしあんなに姿のはっきりした、言葉の交わせる存在が幽霊だったらかえって恐ろしい。制服の襟の後ろ側から、ひやりとした空気が忍びこむ。春でも夕方は寒い。
──帰っちゃおうかな。
そんな考えが頭をよぎったが、ガラス細工と小人をこのままにしておくわけにもいかない。
夕焼けの赤が濃くなりはじめた。
紫乃は、ゆっくりと南へ歩を進めていった。
* * *
ためし読みはここまで。
続きは『アンティーク弁天堂の内緒話』本編をお読みください。
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アンティーク弁天堂の内緒話
進学のため京都・下鴨神社近くの寮で暮らす ことになった女子高生の紫乃。ある日、実家からお守りとして持ってきたガラスの白鳥から、亡き祖母を呼ぶ声がすることに気づく。 途方にくれる紫乃だったが、琵琶湖の弁財天 を名乗る女性に、哲学の道にある骨董店へ行くよう促される。そこには不思議な力で訳ありの品の謎を解く店長・洸介がいて――。
2018年1月の幻冬舎文庫キャラクターノベル『アンティーク弁天堂の内緒話』特別番外編です。