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「小説幻冬」編集部より

2018.03.04 公開 ポスト

作家・土橋章宏さんと行く

吉良の屋敷は2550坪!! 赤穂浪士の凱旋ルートを歩いてみた幻冬舎編集部

時は元禄15年(1702年)12月14日寅の刻(午前4時頃)、赤穂浪士47人が仇、吉良上野介を討ち取りました。本懐を遂げた浪士たちは、江戸の町を縦断して泉岳寺まで歩き、吉良の首を旧主の墓前へ供えました。歩いた距離は約13km。この度、大胆な新解釈が話題の『身代わり忠臣蔵』を上梓された土橋章宏さんと、吉良邸から泉岳寺まで赤穂浪士たちが歩いた道を辿りました。

赤穂浪士の服装、実はみんな地味だった!?

※以下、=土橋章宏さん、T=担当編集。

T あっ、いたいた! 土橋さ~ん。お待たせいたしました。赤穂浪士たちの凱旋ルートを歩こうと言いながらスーツで来ちゃいましたよ。

土 今日はよろしくお願いします。まだ雪が残っていますね(※編集部注:数日前に大雪でした)。革靴だと歩きにくくないですか?

T 大丈夫ですよ。凱旋ったってそんな距離ないですよね……。

土 いや、13キロはありますよ。

T えっ、そんなに? 電車とかタクシーとか?

土 はぁ……。赤穂浪士はそんなものは使ってないでしょ。さぁ、行きましょう。先ずは吉良邸ですね。

T 両国駅から本当に近いですね。案内もある。しっかりと管理されていますよね。

土 吉良の屋敷は広大で、2550坪もあったようです。現在の「吉良邸跡」として残るのは、当時の八十六分の一です。邸内には吉良の首を洗った井戸「御首級洗い井戸」もありますね。

T 取り囲む「なまこ壁」と黒塗りの門も趣きがあって高家の塀って感じがしますね。この高さなら上れそうですね。

土 塀に縄ばしごをかけて侵入したようですが、武装しているわけですから大変だったと思いますよ。

T 歌舞伎や映画、ドラマでのあの服装の印象は強いですよね。

土 歌舞伎などの演出ですね。実際、武器や服装は一応自由にしたらしいですが、火事装束風には統一したらしいです。火事装束にしたのは万が一誰かに見つかったときなど「火消し」と噓をつけるように。だから実際は地味だったはずです。

T 討ち入り時間は午前4時頃なんですね。当時は江戸の中心地からも外れて静かだったでしょうね。

土 当時は街灯なんかないですから、それでも討ち入るまで緊張しますよね。今なら車も走っていて、警察の巡回とか、新聞配達の方とか夜勤明けの方とか通りそうだからすぐに見つかりそうです。

T ツイッターで、《討ち入りなう》とかすぐ呟かれて、拡散されて、吉良邸に着く頃には知れ渡っていそうですね。野次馬とか押し寄せて。吉良がお茶菓子用意して待っているとか……。

土 バカなこと言ってないで次行きますよ。

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