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『だからこそ、自分にフェアでなければならない。 プロ登山家・竹内洋岳のルール』刊行記念対談

2014.09.16 公開 ポスト

後編

プロ登山家ならば死を見せてもいいと思っている。小林紀晴(写真家)/竹内洋岳(プロ登山家)

プロ登山家として、「登山はスポーツ」だという竹内洋岳さん。『だからこそ、自分にフェアでなければならない。 プロ登山家・竹内洋岳のルール』にも竹内さんのその哲学は随所に語られている。一方、小林紀晴さんは、登る山は、小さい頃から身近にある八ヶ岳。あらためて「山と登山」を語り合う。(構成:小西樹里 撮影:菊岡俊子 天狗岳写真:小林紀晴)

八ヶ岳の向こうにも世界はあった。

登山のことを書いてるのに、読み進むうちに生きることそのものを描いているような気持になる。

竹内 日本の山はみずみずしくて表情が豊かですよね。私たち日本人がヒマラヤに行ってすごいなと感じるように、外国の人が日本の山を訪れてきれいだなと思う感覚と、日本人が日本の山を見て思う感覚は少し違っていて、日本人として日本の山を見る喜びなんですね。実は、私は8000メートル峰のある場所(アジアのヒマラヤ山脈、カラコルム山脈)を訪れることがほとんどなので、外国では他にカナダの山に行ったことがあるくらいで、いろいろな国の山を見ているというわけではないんです。

小林 そうだったんですか。

竹内 日本の山は、どこにでも人の気配があります。人と山とのつながりが長くて深いからでしょう。日本で好きな山は剣岳です。日本の登山史においても独特の存在ですし、初登頂の経緯においては日本の山の象徴的な存在です。もともと登山は、戦前にイギリスから貴族的なスポーツとして入ってきて、戦後には、マナスル登山ブームに牽引され、登山の内容に違いはありながらも、ドイツ的な大衆登山が盛んになりました。しかし、日本ではその前から、山岳信仰としての宗教的な登山や山がある。宗教的な登山はアジアにありますが、その3つが融合しているのが剣岳なんです。ヨーロッパで発展した戦術的な登山を実践する軍と、貴族的な登山を実践する山岳会が初登頂を競うわけですが、登ってみたら、山岳信仰の修験者がもっと先に頂上に立っていた。日本の登山文化を象徴している剣岳の存在はおもしろいんです。

小林 なるほど。

天狗岳登山では、植物の写真をよく撮る竹内さんの姿が印象的だったと小林さんは振り返っていた。

竹内 私は大学に8年間いまして、学校に通わずに剣岳に通っていました。夏は剣沢や真砂沢をベースキャンプにして3、4週間もそこにいて、朝起きて岩場に行って帰ってきてという生活をしながら、そこから槍ヶ岳などを縦走していく。剣岳で山の基本を学んだし、たくさんの出会いがありました。槍ヶ岳を登り続けて、その先にヒマラヤを知って向かっていった。先に次なる山を見つけていく感覚は、「より高く、そしてより困難に登山をしていきたい」というイギリス人のアルベルト・F・ママリーのアルピニズムの原点になったママリズムです。私が剣岳の先にヒマラヤを見つけられたことは、ママリーの思いに似たような感じでした。

小林さんにとって馴染み深い天狗岳をプロ登山家と登る気持ちはどのようなものだったのだろう。

小林 僕にとっての八ヶ岳は、長野の実家から見える、生まれたときからずっと見ているような山で、子どもの頃、世界はここで終わりみたいな感覚がありました。諏訪から見ると壁みたいにそびえていて、山の向こう側から入道雲があがるのを、あの世から上がっているみたいに思っていたんです。中学生になると集団登山ではけっこうな距離を歩きますが、子どもにとってはほとんど命がけで登る。僕は全然行きたくなかったんですけど、林の中を歩いてきて硫黄岳の尾根に出て視界が開けたとき、諏訪湖や中学校の校舎が見えて、世界の終わりだと思っていた山の反対側にもちゃんと人と住んでいることがわかって、けっこう感動的でした。世界がつながっていたという感じとか、自分が下から見ていたようにここからも誰かが自分を見ていたような感じとか、不思議な感覚がありました。

竹内 わかります。

小林 そのあとの八ヶ岳は全然違って見えました。見ていても飽きないようになった。今回、八ヶ岳に行きたいと僕が提案したんですけど、そういう自分のルーツみたいな山に竹内さんと一緒に登ったら素敵かなと思ったんです。でも僕は、基本的に八ヶ岳にしか登らなくて、八ヶ岳ばかり何回も行っているんですが(笑)。

竹内 自分の家の山みたいな感じってありますよね。

小林 そうですね。安心というのもあります。

竹内 うらやましいですね。

小林 地元の人はあまり登らないんですよね。もの好きみたいに見られる。僕もきっと地元に住んでいたら登っていなくて、ふだん東京にいるから、住んでいるのとはまた違う特別なものがあるんです。

竹内 地元の人が登らないというのは、おそらく自然な感覚なんでしょう。信仰的には「山中他界」といって山の中はあの世だから、神社や祠やお墓が必ず山と村の境界線に作られていて、その先には入っていかない。入っていくのは特別な能力や技術を持った修験者といった人たちで、薬草などを持って帰るというのがあったみたいです。山は特別な場所というのがずっと受け継がれているのかもしれません。ヒマラヤでも、シェルパが仕事として登る以外は、地元の人は登らないです。でもネパールも豊かになってきて、中にはビジネスに成功して趣味で登山をしたり、トレッキングをしたりする人も出てきているようです。

小林 そうなんですか。

竹内 たまにそういう人たちに行きあいますよ。本来、山の麓に住んでいるようなチベットの人たちは、基本的には信仰の対象なので登らない人が多いです。私たちが登ってはいけない山もあります。有名なのはカイラス山ですね。登ってみたいと思わなくもないけど、登ったら大変なことになります。8000メートル級で3番目に高い山のカンチェンジュンガは、頂上のいちばん高いところにある岩場には足をかけないという約束事になっています。宗教的な理由で登山ができない山もネパールにはたくさんあります。

 

関連書籍

小林紀晴『だからこそ、自分にフェアでなければならない。 プロ登山家・竹内洋岳のルール』

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『だからこそ、自分にフェアでなければならない。 プロ登山家・竹内洋岳のルール』刊行記念対談

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小林紀晴 写真家

1968年長野県生まれ。写真家、作家。1995年「ASIAN JAPANESE」でデビュー。97年「DAYS ASIA」で日本写真協会新人賞、2013年写真展「遠くから来た舟」で第22回林忠彦賞を受賞。著書に『ASIA ROAD』『写真学生』『メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年』など。

竹内洋岳 プロ登山家

1971年東京都生まれ。プロ登山家。立正大学客員教授。㈱ICI石井スポーツ所属。高校、大学で山岳部に所属。95年にマカルー登山隊に参加し、8000m峰初登頂。2012年14座目のダウラギリに登頂し、日本人初、世界で29人目の8000m峰14座完全登頂を果たす。

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