――なるほど。それで杉山さんは本格復帰されてから、以前の情熱を取り戻されて。
杉山 そうですね。宮脇さんの亡くなったあとに「もう一度やろう」と思って記録を付け直し、地図も新調しました。宮脇さんも使っていて、僕も愛用していた武揚堂の白地図――日本地図と県境と線路だけ薄く書いてあるんですが――をあらためて買いにいったら、時代の移り変わりなのか、その白地図は高速道路と国道が書かれたものしか売っていなくて困りました。それでいろいろ試した中で、最終的に落ち着いたのが、昭文社の「全国鉄道旅行」です。
――行った線に黒い線が引いてありますが、ほとんど真っ黒ですね。
杉山 九州はケーブルカーに至るまで全部終わりました。北海道は富良野線が残っていますが、これはちょっと楽しみにとっておいているんです。僕は『北の国から』が好きで、最後にのんびりした旅をする時のためにとっておこうと思いまして。あと地図でぽっかり空いているのは三陸ですね。乗ろうと思っていた矢先に大震災が起こってしまって。
乗り鉄に本格復帰する前は、コンピュータオタク憧れのアスキーで広告営業の仕事をしていまして、直行直帰の時や出張ついでに、乗っていない都内の路線に足を延ばしてはいました。営団地下鉄とか相模鉄道とか都電荒川線とか、いつでも行けると思っていた線に、意外と乗っていないことに気づきまして。
しかし、あの頃はいい時代でしたねえ。ちょこちょこ出張に行かせてもらっては田舎の列車に乗って。傑作だったのは、北海道の稚内(わっかない)に広告を出してくださる大学があったのですが、なにせ当時はバブルですから、「部長、営業担当になったからには、1回ご挨拶行ったほうがいいですよね」「ああ、1回は行かなきゃダメだな。しかしお前、電車で行くのか?」みたいな会話をして、実際、ご挨拶に行ったりしていました。
――電車で稚内まで!?
杉山 さすがに行きは飛行機です。でも飛行機も好きだからうれしかったですね。先方には、「金曜日にご挨拶しに伺います」と言って顔を出す。そして土日を使って、稚内の夜行の急行に乗って札幌へ戻り、札幌始発の飛行機で帰ってくるという。そんなことばかりしてました。もうアホですね(笑)。
(このインタビューは全2回です。次回「乗り鉄の楽しさはどこにある?」は12月21日公開予定です) 取材、文:plus編集部 イラスト:霜田あゆみ 図版:美創