葛飾北斎はいかにして「世界の北斎」になったのか? 北斎を西洋美術界へ売り出した天才画商・林忠正とは? 7月26日発売『知られざる北斎』(小社刊、本体価格1,400円+税)の中身を一足早くお届けします。
忠正のマスクが
ヨーロッパ取材からの帰国後、私は大宅壮一文庫や国会図書館を中心に林忠正関連の資料を探し、ネット検索でヒットした書物を集めまくった。
ほどなくして、忠正の孫嫁が作家となり、忠正関連の書物を数冊だしていることを知る。本を注文したのは当然だが、その著者に会ってみたいと思った。親族なら、忠正の遺品等も持っている可能性がある。代々伝わるエピソードもあるかもしれない。ただしネックだと思ったのはその年齢だ。昭和4年生れというから、すでに90歳近い。健康状態はどうだろうか。編集者のつてを辿って手紙を書くと、ほどなくして「お役に立ちますことなら、どうぞ私宅までお訪ねください」と返事が来た。
東横線「反町」駅を降り、住宅街を行く。目指す家の洋風の門にかかる表札には、「木々康子」とある。おそらく「林」という本名を2文字に分けて、ペンネームを「木々」としたのだろう。迎え入れられたリビングは、レンガ壁造りだった。グランドピアノとアールヌーヴォー調のソファセット。壁には何枚もの額装された絵画や写真がかけられ、書架には重厚なフランスの写真集等が何冊も見える。
ひときわ目を引くのは、壁の中央に飾られた貴婦人の肖像画だ。木々氏の記した『林忠正』(ミネルヴァ書房)の中で、印象派勃興期のパリの社交界で人気ナンバーワンだった肖像画家ポール・エルーの「グレフュール伯爵夫人」と紹介されていた作品だ。夫人は詩人ロベール・ド・モンテスキューの従妹であり、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』にも登場するほどの絶世の美女だったという。室内全体のしつらえに、古き懐かしきベル・エポックのパリの香りがそこはかとなく漂っている。
その光景を舐めるように見回しているとーーあった。オルセー美術館で対面した忠正の古色ブロンズのマスクが、ここにもかかっていた。
――確かに忠正は存在していたのだ。
改めてそう思わせてくれる、存在感のあるマスクとの再会だった。
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知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
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