葛飾北斎はいかにして「世界の北斎」になったのか? 北斎を西洋美術界へ売り出した天才画商・林忠正とは? 7月26日発売『知られざる北斎』(小社刊、本体価格1,400円+税)の中身を一足早くお届けします。
北斎登場
やがて1854年に日米、日英和親条約が結ばれ、フランスとの間では58年に「安政五ヶ国条約」が結ばれて鎖国が解かれる。それから10年ほどすると、一人の日本人の名前が西洋の書物にたびたび現れるようになる。国立西洋美術館の馬渕明子氏は、同館で行われた「北斎とジャポニスム」展の公式図録に、「ジャポニスムにおける北斎現象」と題してこう書いている。
「それはウクサイ『Ou-Kou-Say』、オクサイ『Oksai』、ホッフクサイ『Hoffksai』といった名前で、絵本を残した画家である、というところから、私たちはそれが葛飾北斎のことである、と推測できる。
じつはそれよりも早くに、彼の絵本、とりわけ『北斎漫画』のいくつかの図が、画家の名前を記さずに西洋の紀行書などに掲載されていた。それらは日本の風俗や情景を現す挿絵として利用されていた。そうした挿絵は1860年代の早い時期には大量といってよいほど繰り返し使用され、同じ出版社から刊行したものには、同じ図が用いられたものもある」
馬渕氏によれば、この手の紀行書の筆者たちは軒並み北斎の画像を挿絵等に用いながら、その名前には触れていない。
では誰が最初に北斎の名前を記したのかというと、
「(難しい問題ではあるが)現在のところそれはラファエロ前派の画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティの弟で、美術評論家のウイリアム・マイケル・ロセッティではないかと思われる」と馬渕は書く。1865年の5月24日にパリで2冊の北斎を買ったと日記にあるという。
では「初めて北斎を評価した評論家は?」というと、ラカンブル氏が名をあげた美術評論家フィリップ・ビュルティだった。66年発行の「産業芸術の傑作」の中で、こう述べている。
「著名な北斎の28冊のシリーズ本は(中略)優美さにおいてはヴァトーから、力強さにおいてはドーミエ、幻想においてはゴヤ、動きにおいてはウジェーヌ・ドラクロワに至るまでと比べ得る」
ロココ美術を作り上げたヴァトーやロマン主義のドラクロワをあげて絶賛だ。
これ以降、他の美術品に混じって浮世絵も決して少なくない数が海を渡っているが、その中で北斎の評価が決定的になったのは82年のことだった。
美術雑誌「ガゼット・デ・ボザール」の中で、日本美術をコレクションした研究者テオドール・デュレはこう語っている。
「彼は日本が生んだ最も偉大な芸術家である。(中略)北斎の素描はのびのびし、神経が行き届き、堅牢で正確だが滑らかでもある」
さらに翌年、日本美術愛好家ルイ・ゴンスはこう書く。
「彼は日本人の中で最も偉大な画家の一人である。(中略)わがフランスの最も著名な芸術家とも比肩しうるだろう。(中略)彼は日本のレンブラントであり、カロであり、ゴヤであり、またドーミエでもあるのだ」
このように「北斎インフレ」ともいえるような評価の高まりの中、忠正はパリにやってきた。78年の万博では、日本パビリオンは注目の的。多くの観客がやってきて大賑わいだった。だが本当のジャポニスムはここからが本番だ。忠正は、ある決断をすることでその中央に躍り出ていく。
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知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
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