棋士と哲学者が人間をめぐる様々な問いについて語り合った『僕らの哲学的対話 棋士と哲学者』(イースト・プレス)。「将棋×哲学」の知的異種格闘技戦として話題の一冊から、糸谷哲郎さんによる「あとがき」をお届けします。
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まえがきにも書いてあるように、私と戸谷さんは大阪大学大学院文学研究科文化形態論専攻現代思想文化学専修という思わず舌を噛みそうな長いゼミに共に所属していた仲、でした。
戸谷さんは強い向学の心と学識を備えながらも、一般的なことに対する興味と世俗に対する好奇心を失っていなかった。その姿は哲学科の学生としては異色ながらも、非常にまわりの人に愛される姿、そして多くの人々とわかり合うことのできる姿でもあったのでしょう。
後年の(それほどの年でもないが)戸谷さんの活躍、とくに『Jポップで考える哲学――自分を問い直すための15曲』(講談社)の出版や、主催する哲学カフェ、そして哲学講義など、様々な行ないがその世俗への好奇心にもとづいているのではないかと、いまから思い起こされます。
戸谷さんの専門はハンス・ヨナスというドイツの生命倫理を主軸とした哲学者で、ニーチェ、そしてハイデガーの研究者が多いゼミでは珍しい発表を行なってくれていました。生命倫理にあまり見識のない私たちにとってはヨナスの話は目新しく、つい色々と質問をしてしまうことが多かったように思います。
しかし、戸谷さんは嫌な顔をたまにしかせず質問に答えてくれていたし、説明が足りなかった、もしくはヨナスの主張の根拠がよくわからないときには潔くそれを認めていました。君子は豹変すとの言葉もありますが、まさにそのように自分の非を認め、改めることに躊躇がない人柄を表したものでしょう。
数少ない同じゼミの同級生として、私と戸谷さんは色々と語り合いました。それはゼミの後、空に暗い帳(とばり)が下りた後に大学のおんぼろなベンチの傍でコーヒーを飲みながら、さらには空いた腹を満たすために、そして虚ろな心を満たすために酒を酌み交わしながら、または失われた情熱をぶつけるために歌を唄いながら。
話は哲学の研究対象の話だったり、これから哲学がどのように社会の中で活かされるべきかといったような話、そして本の話、まわりの人々の話。また戸谷さんはアイドルソングが上手で、なかなかアイドルソングを聴かない私には非常に勉強になる内容でした。
そのうち、彼は留学に行き、私は将棋界での忙しさを増し、大学を休学するようになり段々とあまり会えなくなってしまったのですが、留学から帰ってきたときの戸谷さんは相変わらず世俗的な話をしていて、「ああ、変わらないなぁ」とほっとしたのを覚えています。
ドイツに行ったくらいで彼の人好きのする人柄は変わらなかったですし、初めての本を出したときも、指導教授の須藤先生に献本をしに行くように勧めたときも恥ずかしがっていました。私なぞ将棋の本を献本しに行ったのだから、堂々と哲学の本を献本しに行けばよいのに、恥ずかしがるその姿には初々しさを覚え、微笑を禁じえませんでした。
そんな、なんだかんだ馬鹿を言える間柄ではありますが、彼とこれだけ色々なことについてしゃべることができたのは久しぶりでした。大学時代の悪友とこれだけしゃべることができる機会も仕事につくとなかなかないものでした。内容も新鮮で、これだけ彼と哲学やもっと世俗的な話でなく真面目な話をしたのは初めてかもしれません。
哲学の話をするゼミではつねに緊張感が走っていましたが、哲学の話があまり出ないとこれだけ和気藹々としゃべることができるのだというのもまたひとつ新たな発見でした。
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