「カウンターに座ったら、本当のことを話す」
それが唯一のルールだという、通称「Bistro Toh」。矢吹透さんが料理をふるまう自宅キッチンです。ふだんは、矢吹さんのご友人が主なお客ですが、2月のある休日、幻冬舎plusの読者の方3名がカウンターに座りました。
11月に募集した「下町おっさんキッチン」への読者ご招待企画の始まりです。
この企画、読者に料理をふるまってお話をしてみたいという矢吹さんの提案から始まりました。
ちょうど、連載エッセイ「美しい暮らし」の内容が少し変わり始めたとき。連載開始からずっと曖昧にしてきたこと――男性であること、同性愛者であること――も書いていこうと決めたあとでした。
募集の文章には、「本当のことを話す」以外にこんなことが書いてありました。
「もし、あなたが、肩書きや名刺を拠りどころにして、普段、生きているとしたら、この店で過ごす時間には、束の間、それを忘れて頂きたい。
妻であること、夫であること、親であること、子供であること、そういったもろもろも脱ぎ捨てて、単なる一個の人間として、時間を過ごして頂きたい」
応募に際しては、矢吹さんと話をしてみたいことを書いていただきました。そして、矢吹さんと担当編集である私が、コメントだけを読み、当選者を決めました。
招かれた3名の方は、それぞれ面識はありません。私も事前に必要事項を連絡しただけですし、細かいプロフィールも存じていません。矢吹さんも同じです。
つながりは、「美しい暮らし」の連載を読んでいる、その1点だけでした。
ハイビスカスのシャンパンで乾杯し、ナスのカルパッチョからスタート。
簡単な自己紹介をしながら、作家の方に会うようなイベントによく参加されているか伺ったところ、みなさん、初めてとのこと。今回は、矢吹さんと話をしてみたかった、と。「正直に話す」という条件が魅力的だったけれども、同時に緊張もした、と。
料理は、枝豆のペペロンチーノ、焼き林檎とモッツァレラチーズ。アボカドとコチュジャンであえたマグロ。赤いつくねと続きます。
枝豆のペペロンチーノのレシピを聞いた沖縄での出来事を聞き、連載にもあった「大草原の小さな家」の話から、豚のしっぼが美味しそうだったこと、冬の備蓄への憧れで盛り上がり、実家から送られてくる鴨一羽への驚き、好きな映画、好きなレシピ本。
たくさん話し、食べ、飲み、大笑いしました。
「今日、自分の何を正直に話すか迷ったんです」
途中、隣に座っていた参加者の方が、そんなことをつぶやかれました。
「でも、なんでもあけっぴろげに話すことや秘密を明らかにすることだけが正直ではないと思いますよ」
私は、そう伝えました。
実際、この日、どんな仕事をしているかや、経歴、そういったことはほとんど話しませんでした。人生の暗部を明らかにしたわけでもありません。
最後は、蕗の董のピッツァ。苦味に春の気配を感じます。
12時から始まった食事が気づけば17時前。15時には終わるつもりだったのに、本当に気づけばこんな時間だったのです。このまま夜までおしゃべりが続きそうでしたが、区切りをつけなくては、とお開きに。
「その日帰宅して一人反省会をすることもなく眠りにつきました」
後日、参加者の方から感想をいただきました。
場の雰囲気に合わせたり、とりつくろったりする必要がなかったから、そう思えたのかもしれません。
ただそこにいること。それを許しあうこと。その親密さと安心。
これが今回、この場で感じた「正直さ」です。
さきほど引用した矢吹さんの文章の続きはこうです。
「一個の人間であるあなたが、同じく一個の人間である店主や、たまたま隣り合わせた客の誰かと過ごす、ただそのひとときを味わい、楽しむ空間を、私は提供したいと思う。」
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今回、たくさんの方にご応募いただきました。ありがとうございました。ぜひまたこのような機会をつくりたいと思います。そのときは、ぜひご応募ください。
次のページでは、参加者3名の方の感想をご紹介します。
美しい暮らし
日々を丁寧に慈しみながら暮らすこと。食事がおいしくいただけること、友人と楽しく語らうこと、その貴重さ、ありがたさを見つめ直すために。