快楽を得たそのあとに罰せられるわけがない
植島 『官能教育』の中で、Uさんっていう人がずっと対談で出て来るんだけど、僕は彼女が高校生の時に教えた子でいま40代後半。いまだに仲良しなのね。彼女が40代のはじめぐらいに結婚して、子どもはいないんだけど、すごく幸せそうにしてるわけ。彼女の友だちは誰も結婚してないけど、みんな年下の愛人がいて、すごい楽しいって言うんだけど。
湯山 私の友人たちも、たまたま好きになって、気が合う相手がいたとしたら、べつに一緒に住む必要ないな、いろいろコミュニケーションもとれるし、関係ないなって。でも、世の中っていうのは、いろんなテレビ番組だったり、歌謡曲だったりが、不倫のさみしさや不安みたいなのを喧伝するわけじゃないですか。私の友達は、そういうのに影響されて不安になることを切った人たちなんですよね。人間、いろんなことに制限があるのは当たり前で、その制限の中で幸せを取ったらいいじゃないかと両立を選んだ。それがすごくうまくいってますね。
その中の一人は、家族ぐるみの付き合いがあって、奥さんも彼女の存在を受け入れてるのよ。事実っていうのは、ほんと不思議なもので、そういうことがありえちゃう。でも、あんまりみんな信じないんだよね。
植島 たしかにね。昨日、小池真理子原作の『恋』っていうドラマを偶然観たのね。小説が出た時はかなり衝撃的だった。1972年の物語で、浅間山荘事件がちょうど背景であって、立教大学の先生と奥さんが軽井沢の別荘にいるところに、大学院生の女の子と翻訳の手伝いにくる。3人で暮らしてる様子をとても幸せそうに描くのね、セックスも含めて。こんな幸せな関係性って、ほんとうにもう理想的だなと思ってワクワクするんですけど、やっぱり最後のほうで、ちょっと事件が起きてしまう。
湯山 ホーソーンの『緋文字』みたいな? 罰を受けちゃうんだ。
植島 うん。
湯山 そうなんだよね。結局何かそういう快楽に行くと、罰を受けてしまうっていう考え方って、日本人は大きいかもしれないね。こんな楽しいわけがない、なんて。それが、あるんだよっていう(笑)。罰受けてないもんね、みたいな感じですよね。
植島 やっぱりいいことがあると悪いことがある、っていう考え方がちょっと単純過ぎるんだよね。まあ、そうしないとドラマが成立しないということもあるのだろうけど。
(第3回に続く)