いまこそ「生きづらさ」を語っていただきたい
思い出したのが、即位の3カ月前、雅子さまが17年ぶりに出席したという「青少年読書感想文全国コンクール」の映像だった。茜色のスーツに同系色の帽子の雅子さまは表彰式の後、皇太子さま(当時)と一緒に受賞した子どもたちと懇談した。すぐに膝を曲げ、受賞した少女と同じ目の高さになった。次いで、皇太子さまも同じ目の高さに。楽しげなご様子のお二人にこちらの頬も自然と緩む映像だったが、雅子さまはこのような式への出席に葛藤されたのではないかと想像している。
読書感想文が問題なのではない。壇上で夫である人の横に座る。それを「自分らしい仕事」と感じられるか。お代替わりが決まって以来、初めての公務、○○年ぶりという公務を増やしていった雅子さまだ。これからは、「象徴」という立場にいる人の妻としての実存を模索することになる。
「社会貢献」をする新しい場として選んだ皇室という所で、雅子さまは皇后として、何を実存と感じるのか。そこにつまずくと、皇太子妃時代のような公務のままならない日々に逆戻りしてしまうかもしれない。その不安が誰しもの心に少しだけあるから、ティアラをつけての笑顔を「何度も見ましょう」になったのだと思う。
だからこそ、「適応障害」に至った葛藤を語っていただけたらと思う。療養に差し障らないということが前提だが、まさしく雅子さまにしかできない、意義あることだ。
「生きづらい時代」だと、誰もが当たり前のように言う。だから雅子さまが「生きづらさ」を語る。均等法第一世代には、まっすぐ届くはずだ。志高く就職しても、現実の厚い壁に阻まれることが多かった。でもそこからもあきらめず、人生を模索し続けた人たちだからだ。若い世代は若い世代で、「勝ち組」「負け組」などという言葉に翻弄されている。だが、勝ち負けの基準は自分たちで決める。そういう価値観も広がっている。
陛下と雅子さまより上の世代の人たちには、抵抗があるかもしれない。「生存」のために戦ってきた世代だから、実存の苦しみは理解しにくい。だが総じて言うならば、天皇皇后は完璧である必要はない。国民と地続きのところに生きていることが、敬愛につながる。そういう時代だと思う。
雅子さまは2002年(平成14年)のお誕生日にあたって開いた記者会見を最後に、会見というものをしていない。療養に入ってからは、「所感」「ご感想」という文書を発表している。
26年前、皇室会議後の記者会見では、雅子さまは控えめながら能弁だった。「雅子さんのことは、僕が一生、全力でお守りします」という皇太子さまの決め台詞を、恥ずかしそうに明かした。
あの日のように、雅子さまに語っていただきたい。
雅子さまには、自信を持って国民に飛び込んでいただければよいのだと思う。生きづらさを感じ、病を得て、今に至る雅子さま。これからも、いろいろなことがあるだろう。時々のお気持ちを繕うことなく、ありのままに語る。
その先に、「適応障害」を語られる日が来れば。均等法第一世代より少し上の先輩として、その日を楽しみに待っている。
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