陛下と雅子さまは、周囲の期待に応えてきた「似た者夫婦」
2019年5月1日のNHKニュースのことはすでに書いたが、陛下のご友人として、幼稚園から中等科まで学習院で一緒だったという立花眞さんが出演していた。
立花さんは陛下のことを、小さい頃から思いやりがあり優しい方だと繰り返していた。やんちゃなことも一緒にした幼少期から、陛下が変わられたのは中学1、2年の頃だったと振り返った。「◯◯だ」と言い切っていたお言葉遣いが、「そうであるといいですね」とご希望を述べるようになったと例をあげていた。司会の武田真一アナウンサーが「意思を少しずつ和らげるようになったのですね」と、まとめていた。
自分の立場を理解するにつれ意思を和らげるようになった陛下が、決して和らげなかったのが、雅子さまとのご結婚への意思だった。最初のプロポーズで断られても、母方の祖父がチッソの経営にかかわっていたことが問題になっても、「雅子さんではダメですか」と関係者に伝え続けた。
陛下と雅子さまのことを「誤解を怖れずに云えば、似た者夫婦なのだと思う」と書いたのは、評論家の福田和也さんだ(『美智子皇后と雅子妃』文春新書)。小さな頃から「孤独」を引き受け、親と周囲の期待に応えてきた、という点に注目しての記述だ。
陛下は天皇家の長男として、弟である秋篠宮さまとは違う育て方をされている。秋篠宮さまが生まれた1965年(昭和40年)、上皇さまは32歳の誕生日にあたっての記者会見で「上の方(現在の陛下)は自由に、下の方(秋篠宮さま)は窮屈にとの方針で育てたいと考えています」と答えている。
だが実際は、そうとばかりはいかなかった。陛下の高校時代、国語を教えていた小坂部元秀さんが父母面談の席で、課題の作文について話したというエピソードは有名だ。個人の感情があまり出てこないという小坂部さんの指摘に、美智子さまは「長男なのでいろいろと細かい点を注意したため、のびのびしたところが多少不足するようになったかもしれません」と答えたというのだ。
雅子さまも、母が外交官の妻として不在がちだったことに加え、双子の妹を持つ姉として、小さな頃から聞き分けのいい「手のかからない子」だった。結婚前に、そう両親が証言している。そういう二人が出会われ、結婚された。「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」という決め台詞が、外務省のキャリア官僚だった雅子さまの心を動かした。
雅子さまの友人の土川純代さんのことも、5月1日のNHKの番組に出演したとすでに紹介した。番組の中で土川さんは、雅子さまが陛下との結婚に悩まれている頃の話もしていた。大手銀行の総合職として、社宅に住んでいた土川さん。社宅は雅子さまの実家のすぐ近くだったので、「何も聞かないでね」と言って雅子さまが訪ねてくることが何度もあったそうだ。その話をして土川さんは、こう語った。
「陛下のまっすぐなお気持ちにお応えになりたいということと、常に何か人の役に立ちたいお気持ちがずっとおありと思う。そちらがやはり決定的にあり、合わせて総合的に決断されたと思います」
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