頭の片隅にはいつも「やまゆり園」のことがある
――神奈川新聞の報道部として、この事件に対する報道の方針はあったのでしょうか。
田中 メディアには「節目報道」というものがあって、事件から1年目、2年目の節目で連載や企画を集中させるわけです。ただ、そのときだけバッとやっても、やはりいいものは出てこないですし、書けるものではありません。
そんな中で、植松との接見を継続していったり、関係者に手紙を送って会ったりしていきました。最首悟さんという、障害があるお子さんをお持ちの学者さんともつながることができました。企画に向けてアンテナを張って、たとえば川島が執筆した強制不妊手術の問題とやまゆり園の事件をどう重ねられるのか、みたいなことを常日頃から考えるようにしてきました。
神奈川で起きた事件なので、僕たちは逃れられない。僕たちは事件に対して最初に関わった人間でもあります。記者たちの頭の片隅には、いつもやまゆり園のことがありました。これは何かやまゆり園と関連づけて書けないものか、やまゆり園のことを何か伝えられないかというのは、常に考えています。最初の問いに戻ると、報道について明確に何か方針があったわけではありませんが、常に意識はあったと捉えていただければいいと思います。
やまゆり園事件
〈目次〉
第1章 2016年7月26日
未明の襲撃/伏せられた実名と19人の人柄/拘置所から届いた手記とイラスト
第2章 植松聖という人間
植松死刑囚の生い立ち/アクリル板越しに見た素顔/遺族がぶつけた思い/「被告を死刑とする」
第3章 匿名裁判
記号になった被害者/実名の意味/19人の生きた証し
第4章 優生思想
「生きるに値しない命」という思想/強制不妊とやまゆり園事件/能力主義の陰で/死刑と植松の命
第5章 共に生きる
被害者はいま/ある施設長の告白/揺れるやまゆり園/訪問の家の実践/“成就”した反対運動/分けない教育/学校は変われるか/共生の学び舎/呼吸器の子「地域で学びたい」/言葉で意思疎通できなくても/横田弘とやまゆり園事件
終章「分ける社会」を変える