やっぱりこの事件の核心は「命の価値」
――第三章では「匿名裁判」として、被害者のご遺族に取材されています。
石川 我々も当然、ご遺族の方たちのお話を伺いたいと思い、川島と手分けして取材のお願いの手紙を送っていました。あるときは弁護士を通じて、あるときは直接ご自宅を訪ねたこともありました。ただ、結果的に我々の単独取材に応じてくれたご遺族の方は、裁判直前までいませんでした。
忘れられない出来事があります。僕は植松との接見を重ねながら記事を書いていたので、あるご遺族から社に、「植松の代弁者になり下がるな、石川に会わせろ」と連絡をいただいたことがあります。僕はそのとき、ご遺族と初めて対峙したんです。「お前はいつまで植松の代弁者をやっているんだ」と叱られましたが、僕なりの思いをその方に伝えさせていただきました。
僕の言葉にどれだけ納得してくれたかはわかりませんが、その後は僕の記事をとてもよく読んでくれました。僕は植松だけじゃなく、重度障害のある娘と暮らす最首さん(最首悟・和光大名誉教授)や事件の被害者やそのご家族についての記事も書いていたので、それらも含めて石川という記者を見て判断していただいたようです。最終的には裁判の直前にそのご遺族のお話を書くことができました。それが初めて自社で書けたご遺族の話になりました。そういった意味では、本当に複雑なスタートでしたが、その分、心の通ったご指摘やお話を聞くことができました。
今回、川島が書いた第四章にそのご遺族の話が出てきます。その方は「自分の気持ちを直接伝えたいから」と植松に合計9回、接見していました。あるとき、川島と僕で接見に行ったとき、狭い待合室でたまたま居合わせたんです。僕たちは「辞退する」とお伝えしたのですが、「いや、君だったら同席していいんだ」と。「俺が植松に伝えたいことは一つだから、隣で見ていてくれ」とおっしゃってくれて。ご遺族の方は、僕たちを信頼してくれていたんです。その方は植松にこう言いました。
「君に死刑宣告しようと思っている」
それが初めて書いたご遺族についての記事です。すぐには出せなかったのですが、裁判の間が空いた時期に、ご遺族の方に「植松との面会室でのやりとりを書かせてください」とお願いしたところ、「君にすべて任せる」とおっしゃってくれて。嬉しくて泣きそうになりました。だからこそ、遺族の思いをちゃんと伝えたいと原稿に向かいました。我々は今でもあまり遺族の取材ができていませんが、非常に象徴的な記事になったと思います。
川島 ご遺族の方と植松が対峙している場面に僕たちがいるというのは、すごい光景だなと思いながら、二人の対話を聞いていました。ご遺族の方は「死刑宣告」をしたのと同時に「おれも十字架、背負うよ」とおっしゃった。これはものすごく重い言葉です。死刑宣告をした十字架を一生背負って生きていくというのですから。
ご遺族の方は、この事件の根本である「命の価値」について熟慮されたからこそ、このような言葉が出てきたと感じました。ご遺族の方も植松の命に対して責任があると考えていた。だからこそ、僕たちも、植松の死刑囚としての死についても命の価値という観点で考えなきゃいけないと思いました。「植松を早く死刑にしろ」といったツイートもたくさんありますけど、彼の命は生きるに値しないんだろうか。やっぱりこの事件の核心は「命の価値」なんです。
これまでの記者人生で、こんな局面に立ち会ったことありません。すごい方だな、と思いました。あの面会は、僕らの取材の中でも強烈に心に残るものでした。
やまゆり園事件
〈目次〉
第1章 2016年7月26日
未明の襲撃/伏せられた実名と19人の人柄/拘置所から届いた手記とイラスト
第2章 植松聖という人間
植松死刑囚の生い立ち/アクリル板越しに見た素顔/遺族がぶつけた思い/「被告を死刑とする」
第3章 匿名裁判
記号になった被害者/実名の意味/19人の生きた証し
第4章 優生思想
「生きるに値しない命」という思想/強制不妊とやまゆり園事件/能力主義の陰で/死刑と植松の命
第5章 共に生きる
被害者はいま/ある施設長の告白/揺れるやまゆり園/訪問の家の実践/“成就”した反対運動/分けない教育/学校は変われるか/共生の学び舎/呼吸器の子「地域で学びたい」/言葉で意思疎通できなくても/横田弘とやまゆり園事件
終章「分ける社会」を変える