一九七五年、高校一年の夏休み、少年・佐藤優は、冷戦下のソ連、東欧へたった一人で旅に出た。断絶されていた社会主義国を自分の目で見るために。
それから四十五年――。世界はコロナ禍で旅すらままならなくなった。見えない新たな壁が個々人の間にもできつつある。大人も右往左往するこれからの世界をどう歩いていけばいいのか。今まで通りには戻れないし、戻りたくない……足搔く大人へも贈るメッセージ。
(構成: 斎藤哲也、『小説幻冬』8月号より転載)
意識して他人と対話する ぎこちなくていい
―――子供から大人への過渡期にあたる十五歳という時期を、佐藤さんはどのように捉えていらっしゃいますか。
佐藤 高校一年生を想定して話しますが、十五歳というのは人間関係が大きく変容していく大事な時期です。というのも、中学と高校では、人間関係をつくる前提がまったくちがってきますから。
ふつうの公立校に通う中学生にとって、学校は基本的にコミュニティーの延長線上なんですね。友達も、自分が生まれ育った地域の子供です。それに対して高校には、バックグラウンドの異なる人たちが大勢集まる。しかも行動範囲が広がりますから、誰とつきあい、誰とつきあわないかという判断が求められる。つまり自発的に人間関係をつくっていく比重が高まっていくわけです。
―――『十五の夏』を読むと、十五歳の佐藤少年は同世代の外国人だけでなく、大人とも真剣に対話しています。十五歳にとって、大人とつきあうことにはどういう意味があるでしょうか。
佐藤 大人が十五歳の私に対等に接してくれたことは、とても幸福なことでした。十五歳くらいで、本を読むのが好きな子供だと、大人と同じような知識を部分的に持っています。
ただし、圧倒的に社会経験が足りません。“佐藤少年”もそうでした。でもだからといって手加減をせずに向き合ってくれる大人がいたことは、その後の人生にも大きな意味がありました。
昔は、切手の収集やアマチュア無線などの趣味を通じて、大人と接する機会がけっこうありました。ボーイスカウトやガールスカウトも縦のつながりもありました。でも現在は、学校の拘束時間が長いから、学校や塾の先生のように限られた大人としか接しない高校生が増えています。
学校の先生でも対等に話してくれればいいんですが、いまの教師は贔屓をしてはいけないという意識が働くので、なかなか腹を割ったような対話がしづらいんです。
―――十五歳が自分から大人と接する場を求めようとしたら、どんな選択肢がありますか?
佐藤 いちばん手っ取り早いのはネットですが、私はあまり勧めません。子供を利用しようとする危険な大人がいますからね。やっぱり、こういう世の中になっても、リアルに顔の見える関係のなかで探したほうがいいと思います。
たとえば、部活や地域のスポーツチーム、趣味のサークルなどは、話せる大人と出会える可能性がけっこうあります。塾や予備校にも、教育熱心な先生や職員がいます。そうやっていろんな機会を利用して、大人と話してみることが重要です。
そのときに一つだけ、原則を持っておいたほうがいいと思います。それは「約束したことは守る」ということです。裏返しに言えば「できないことは約束しない」。これはインテリジェンスの鉄則でもあるんです。
ほんとうの個の確立 庇護者から離脱する
―――十五歳というと、家族との距離感に悩む時期のように思います。父親、母親と接するうえで考えておくべきことはありますか。
佐藤 私たちの時代よりも現代のほうが、母親が子供の生活に介入するウェイトが高まっています。モンスター・ペアレントとまで行かなくても、ヘリコプター・ペアレントになってしまって、上空でホバリングしているんですね。子供に何か大変なことがあると、スーッと上空から降りてくる。その結果、子供のほうも母親に依存するようになってしまう。特に男の子の依存度が高い気がします。
しかし、それでは母親の目を通した人間関係ばかりになり、そこから広がっていきません。だからお母さんの庇護からどう脱するかということは、十五歳にとって切実な問題になっています。
私自身の経験からいっても、親から自立をすることと、良い大人と知り合うことは対になっています。両親は私が十五歳のときに、東欧とソ連の一人旅に行かせてくれた。これはいま思えば、親離れをどうさせるかということが親の意識にあったのだと思います。
―――かわいい子には旅をさせよといいますが、いまはコロナ禍で旅に出たくても出にくくなってしまっています。
佐藤 それに加えて、子供の旅行が大人の個人旅行と変わらなくなっているんです。友達と旅行にいっても、それぞれ個室でないと嫌だという。人と一緒に寝ることをストレスに感じてしまっているんです。
―――コロナで友達と会えない生活が続くと、さらに個室生活志向が増幅されそうな気がします。
佐藤 リアルな場で対面のコミュニケーションをとることさえ、ストレスに感じるようになってしまうかもしれません。生身の姿は晒さないで物事を処理する傾向が強くなると、後々になって苦労します。高校はある程度、個室で完結してもなんとかなってしまうんです。でも、大学生、社会人となるにつれて、どうしても生身の自分を晒す身体的行為が必要になります。だから十五歳のうちからあえて外に出て、いろんな人間と話す経験を重ねるべきでしょう。
―――緊急事態宣言下のように外出がままならない場合は、どうすればいいでしょうか。
佐藤 外に出られないから、ふだんよりも内側に籠もりやすくなります。そうすると、家の中で見聞きしたものでイメージを組み立て、そのイメージに自分のなりたい像を投影してしまいます。それだけに、コロナ禍の間は何を見聞きするかがすごく重要です。
最悪なのはゲームだけに熱中してしまうパターン。下手をすると依存症になってしまいます。YouTubeは時々ならいいけれど、どっぷり浸かるのは避けたほうがいいでしょう。
私がお勧めするのは、プロがしっかり編集や編成をしたコンテンツを選ぶということです。たとえば、NetflixとかAmazonプライムなどのコンテンツ配信サービスで、ドラマや映画を視聴する。そのときに自分の関心の延長でコンテンツを選ぶといいと思います。
『十五の夏』文庫化
高校一年の夏、僕はたった一人で、ソ連・東欧の旅に出た―—。
1975年の夏休み。少年・佐藤優は、今はなき“東側”で様々な人と出会い、語らい、食べて飲んで考えた。「知の巨人」の原点となる40日間の全記録。15歳のまっすぐな冒険。