学歴もなければ、金もなく、恋人もいない、売れないマジシャンの晴夫。5月24日公開の映画『青天の霹靂』は、劇団ひとりのこの書き下ろし小説から始まった。第一章「蕾の頃」の冒頭の、冴えないモノローグには思わず心を掴まれてしまいます。
第一章 蕾の頃
みにくい大人のアヒル
いつからかな、自分が特別だって思わなくなったのは。昔からずっと疑わずに信じてたんだけどな、自分だけは特別な存在なんだって。なにがどのように特別なのか具体的には分からないし、その根拠も全くないんだけど、当たり前のようにそう思ってた。
人よりも才能があって、波瀾万丈な運命が待っていて、歴史上の偉人と呼ばれたりする連中だったり、まぁ、そこまでいかないとしても例えばテレビのドキュメンタリー番組に密着されるような有名人だったり、そういう一握りの特別な人間になるんだって思ってた。いや、わざわざ『思う』ってことをしないぐらいに当たり前のことだったような気がする。日頃、自分が「人間である」とか「男である」とか「パンツを穿いている」とかってわざわざ意識しないのと同じぐらいに「特別である」ってことが当たり前のようにあった。
それが、いつからか少しずつ気が付いてくるんだ、どうやら違うってことに。「大地震が来ても自分だけは死なない」とか「この世は自分以外の人はみんな演技をしている」とか物思いにふけっては、こんなこと考えちゃう俺って変わり者?んて思ってたけど、それも実は誰もがするような発想だって分かり始める。
「ひょっとして俺は特別じゃないのかも……」
最初はなるべくそのことから目を背けるんだけど、どうしたって視界の端っこには『普通』とか『平凡』とかっていう言葉がチラついてくる。普通とか平凡ならまだマシで、その内に『無能』とか『退屈』なんて言葉がチラついてくるから、一生懸命に見えてないフリをするんだ。でもさ、見えてないフリをするには家賃四万八千円のワンルームじゃ狭すぎるんだよ。三十五歳にもなって独身で四畳半のカビ臭い部屋に住んでればイヤでも見えてきちゃうでしょ、そういう現実が。いくら目を逸そうとしたって埃まみれのテレビの上とか、抜けたチリチリの毛が固まりになって落ちてるユニットバスの端っことかにそういう現実がイヤってほど転がってるんだよ。
中学とか高校の時は勉強もスポーツも大して出来なかったけど、それでも「俺は特別だ」って思えてたな。いや、むしろ学校のテストの点数が悪いことこそ『特別』の証で、特別な人間ってのはそうやって落ちこぼれてナンボだろって信じて疑わなかった。だって、エジソンは子供の頃に低能扱いされるほど学校の成績が悪かったとか、坂本龍馬も周りから馬鹿にされるような出来の悪い子供だったとか、歴史上の偉人といわれるような連中でもそういうふうに意外と問題児だったなんて話をよく聞くし。だから、普通に勉強が出来て、普通にスポーツも出来る、そういう連中は、どうせ普通のサラリーマンになって、普通に結婚して、普通の家に住む、そういった普通の空しい人生を送るんだって馬鹿にしてた。
けど、大人になると分かってくるんだよ、その『普通』を手に入れる難しさが。俺が思っていたよりも『普通』って奴はウンと上の方にあったんだ。頑張って頑張って努力しまくって、それでやっと手に入れられるのがどうやら『普通』ってやつらしくって。頑張って頑張って努力しまくって、その上で才能や運のある連中だけが『特別』になれるんだ。
あーあ。何してたんだろう、俺。
「ある日、ひょっとしたら階段から落っこちて頭をぶつけた衝撃で本当の自分が開花するかも」
なんて期待してる場合じゃなかった。
本当の自分なんていないんだよ。いるのは、発泡酒を飲みながらスケベなDVDを見るのを唯一の楽しみにしている本当に駄目で惨めな自分。それだけだ。
もっと早くに気が付けばよかった。いや、もっと早くに認めればよかったんだ。自分が特別じゃないってことを。自分が普通以下の人間だってことを。そうしたら、今より少しはマシな人生を歩んでいたかもしれない。無能には無能なりの生き方があるんだから、不相応な夢なんか抱いちゃいけなかったんだよ。
そう考えたら、あの『みにくいアヒルの子』というのは有害図書かもしれないな。あんな話を子供の頃に読んじゃうから、「いつか僕も白鳥になる日が来るんだ」なんて儚い夢を抱いちゃうんだよ。夢を見させるってことは、いつかその夢から醒めさせるってことなんだから、無責任なことを言っちゃいけないよな。もし、俺が本当に子供達の未来を考えて書くんだったら、こう書くな。
「みにくいアヒルの子はやがて成長して、やっぱりみにくい大人のアヒルになりましたが、その現実を受け入れられずに苦しんだとさ。ガァーガァー」
子供には厳しい現実かもしれないけど、それを教えてやるのがみにくいアヒルの先輩としての優しさだよ。
まぁ、随分と愚痴っぽくなっちゃったけど、これから刺される男の戯言だと思って許して欲しい。そう、これから俺は刺されるんだからな。ガァーガァー。
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