一流マジシャンの心得
店長の長いダメ出しもどうにか終わり、事務所の隣にある狭いロッカールームでジャケットやらズボンのポケットにマジックのタネを仕込んでいる俺に店のマネージャーが声をかけた。
「晴夫ちゃん、三番テーブルお願いね。新規です」
ロッカーの扉に付いている小さな鏡の中に体を左右に振りながら自分を映し、ジャケットの肩にのったフケを手で払うと、俺はホールへと向かった。
マジックバーというのは、その名の通り手品を見ながら酒を飲んだり食事をしたりする場所で、都内だけでも数十軒はあるだろう。まるで銀座のクラブのような豪華絢爛な店もあれば、場末の小汚い雑居ビルの中でこぢんまりと営業する店もあり、俺の働く店『ノブキチ』は文句なしに後者の方である。安易に自分の名前をそのまま店名にするセンスからも分かるように、店長には経営者としての資質はあまりなく、どうにか潰れずにやっているような状態だ。
店では一日に二回、二十分のショータイムがあり、ステージと呼ぶには些か大袈裟な三畳ほどの小さな台の上に立って俺達マジシャンが持ち回りでマジックショーを行う。
ショー以外の時間は客席を回り、クロースアップマジックやテーブルマジックなどと呼ばれる近距離でのマジックを披露するのだが、これこそがマジックバーならではの醍醐味だろう。テレビでしか見たことのないマジックの数々を目の前で見られるとあって、酒の入った客達がタネを見破ろうと躍起になって声を上げ歓喜する。
ただし、何度も通って同じマジックを見ているうちに客も飽きてしまう。だから、いかに飽きさせずにリピーターを確保出来るか否かがマジックバーの経営を左右するところだ。
『ノブキチ』は特に小さい店で、所属マジシャンは俺と店長を含めても全部で五人しかいない。この五人でマジックショーとテーブルマジックを持ち回りで担当するんだから、二日も来れば全てのマジシャンが見られてしまうわけだ。
接待で使う客や、口説きたい女を連れてくる男の客は場を盛り上げたいから、見たことのあるマジックでも一緒になって「ワー、すごい!」などと白々しく初めて見るフリをしてくれて気楽だが、面倒な客になると「それ前に見た」と白けたり、「この後に封筒からトランプが出てくるんだよな」などとオチを平気で口に出したりと、俺達を困らせた。だったら来るな、と何度言いかけたことか。
もちろん、なるべく新しいネタを取り入れてリピーターも楽しませようと工夫はしているが、そうそうネタは増えるもんじゃないし、まして増やそうと思って提案したところで店長がラーメンの話をして終わりだ。
じゃ、どうするのかっていうと、ずばり喋る。マジックのネタがないんだから、喋って笑わせてどうにか満足していただく他ないわけだ。そもそもマジックバーでなくてもマジシャンってのは喋りが上手くないとやっていけない。一流のマジシャンは一流の喋り手である、これマジシャンの常識。
それは『手品』という文字を見れば一目瞭然。『手』は一つしかないけど『口』は三つも入ってる。それぐらい口が大事ってことなんだ。実際にマジックの中には何のタネもなくて、ただ口だけで騙すような、マジシャンズ・セレクトとかマジシャンズ・チョイスなんてものもあるぐらいだしな。
とか偉そうに言ってる俺自身はあまり喋りが上手くなかったりする、というよりか寧ろ下手。だから、いつも黙々とマジックをやってて「それ、前に見たことある」と客に言われても「あ、そうですか。すいません」と言って無愛想にやり続けるしかないんだけど、そんな俺に比べると店長は浅草の出身で、落語家やら漫才師と同じ舞台を踏んでいただけあって器用なもんだよ。客に「前に見たことある」って言われても「デヘヘ。ご好評につき再放送でございます」なんて笑いにしちゃうんだから。正直、マジックの腕は大したことないけど、そこら辺の才能は認めざるを得ないな。
俺も店長を見習って頑張ってみたことがあるんだけど、どうも上手くいかない。慣れてないせいもあると思うが、基本的に性に合わないのかな。面白いことを言おうとするとやけに噛む。
この前も「それ見たことある」って客に言われたから、これはチャンスだと思って店長の真似をして「ご好評につき再放送でございます」って言おうとしたら、「ご好評にとぅき」って早速噛んだしな。気を取り直して、次こそはと気合を入れて言ったら、「ご好評につき」はどうにか言えたんだけど、それで安心したのか、今度は「再放送でごじゃるります」って噛んだし。
それをまた店長に相談したら、そんな時はそれを逆手にとって「噛んじゃいました。デヘヘ」と失敗を利用して笑いにしろとアドバイスをされた。なるほどさすがだなと感心して、早速噛んだから試してみたら「噛んびゃいまひた」と、それさえも噛んじゃったんだから救いようがない。
一流のマジシャンは一流の喋り手である。つまり俺は……まぁ、そういうこと。
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