刺される男
銀色に鈍く光る刃先が椅子に座らされている俺の顔面に向けられた。俺がゴクリと唾を飲み込むと、刃先はじわじわと下に向けられていき、腹部の辺りでピタリと止まった。
静寂の中、じっくりと間を溜めてから男は「ハッ」と力強く掛け声を発すると同時にそれを突き刺してきて、体を貫通した刃先が俺の背中側から飛び出した。操り人形の糸が切れたように俺は首を力なく前に倒す。すると、男は突き刺した剣をゆっくりと抜き始める。そして、全て抜き終えると同時に大音量のファンファーレが鳴り響き、俺は目を開いて勢いよく立ち上がり、男と共に両手を大きく広げて精一杯の笑顔を作ってみせた。
パチパチパチ。
客席から気の抜けた拍手が聞こえた。
「あのさ、刺された瞬間に腹を見たでしょう?あれじゃ、演技にリアリティが出ないんだよなぁ。おれ、前にケンカで刺された人を見たことあるんだけど、本当に刺された人は怖くて傷口が見れないんだよ。前を見たまんま顔が引き攣るの」
大量にかいた汗を店のおしぼりで拭きながらステージ裏で店長が俺にダメ出しをした。
どう考えても演技のリアリティとかそういう問題ではない。そもそもマジック自体が古臭くてダメ。昭和じゃないんだから、剣を刺すような古典的なマジックで喜ぶ客なんているわけがないんだ。それに関しては以前、店長と揉めたこともある。
「こんな古いマジックばかりやってないで、もっと派手な空中浮遊とか客の喜ぶマジックにするべきですよ」
「お前、分かってないな。そんなもんテレビでいくらでも見られるだろ。せっかく生でマジックを見るんだから、お客さんもやっぱりスタンダードを求めてるんだよ。ラーメン屋に行ってチャーハンとか餃子は沢山あるのに肝心のラーメンがなかったらガッカリするだろう。そういうことだよ」
全くなにが「そういうことだよ」なのか。
「いや店長、マジックにも賞味期限があると思うんですよ。例えば腐った魚を使って『こんな料理じゃ駄目だ』なんて頭を抱えるよりも、魚そのものを新鮮なものに替えたほうがいいと思いませんか」
「お前、物を知らない奴だな。魚だってそこら辺に置いといたら腐っちゃうけど、ちゃんと内臓を取って塩漬けにして干したら立派な干物だよ。それがプロの仕事ってもんなんだよ」
「いや、干物だってずっと放っておいたら腐りますよ。そんな腐った材料でラーメンを作るのがプロと言えますかね」
「バカだな、お前は。腐らせたらダメに決まってるだろ。腐らせるんじゃなくて発酵させるんだよ。腐るってのと発酵は似てるけど全然違うからな。それも分かってないようじゃ、まだまだお前に客を満足させるラーメンは作れないな」
いつの間にかすっかりラーメンの話になっていて、馬鹿らしくなったからやめた。
それに、店長だって腹ん中では変えなくっちゃいけないってことは分かってるはずなんだよ。ただ単純な話、金がない、それだけだ。
新しい大掛かりなマジックをステージに取り入れようものならそれなりに金が必要だが、ウチの店にそんな余裕はない。それは俺も重々承知しているからあまり強くは言えないし、プライドだけはやけに高い店長は、金がないなんて意地でも口にしない。
「人間、刺された時に腹を見る余裕はないはずなんだよ。見たいんだけど怖くて見れないから、前を向いたまんま……」
まだ店長は演技のことを言っているが、そんなことよりもその汗をどうにかしろ、と俺は言ってやりたい。ステージで緊張すると店長は異常なほど汗をかく。尋常じゃない量だから、客はマジックよりもそれに目が行ってしまう。剣を刺したことよりも、その後に客席に向かって両手を広げる時に見える脇汗のシミが気になってしょうがない。ステッキを花に変えても脇汗、カードを言い当てても脇汗、ハトを出しても脇汗。
そのハトも脇の下に隠してるもんだから、取り出したらサウナから出てきたオッサンみたいにグッタリしちゃってんだよ。
「……クッ、クルック~」って、可哀想に。
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