もっとも、あのとき買ったのがたとえイワシだって季節はずれのサンマだって、やっぱり同じことは起きていたのかもしれない。後になって、ああすればよかった、こうしなければよかったと愚痴るのは趣味じゃない。むしろそんなやつがいたら、走っていって後ろから蹴っ飛ばしたくなる口だ。
しかし今度ばっかりは、さすがの俺も後で色々考えずにはいられなかった。もし、あの日が雨降りで、家でのんびり過ごそうってことになっていれば。でなきゃ、汗ばむくらいの陽気で、レジの脇にあったアイスクリームのスタンドにちょっと寄っていくかってなことになっていれば。
そもそも。早い話、歩きながらサヤを振り返って、
「たたきには、ニンニクをたっぷりのっけてくれよ」
なんて言わなければよかったんだな、とどのつまり。
それに対して、サヤがなんと答える気だったのか、俺は知らない。たぶん、明日、会社で皆さんに嫌われても知らないから、とでも言うつもりだったのだろう。あのとき、言葉より先に浮かんだ笑顔は、いかにもそんな感じだった。
しかしその笑顔は、浮かんだ直後にはもう、ツンドラの永久凍土みたいに凍りついていた。
その瞬間にいったい何が起きたのか、正確に知っているわけじゃない。たったひとつ言えるのは、そのとき俺たちが渡ろうとしていた信号は、間違いなく青になってたってことだけだ。だからどうだってわけでもないのだが。反対に大いなる慰めは、そのときベビーカーを押していたのがサヤだったってことと、彼女が少し遅れてついてきてたってことだ。近所の人のお古を譲り受けたこのベビーカーは、相当な年代物らしく、今どき珍しいほど不格好にでかい。ベビーカーというよりは、乳母車(うばぐるま)という名称がぴったりくる代物(しろもの)だ。従って、フットワークはあまりよくない。ただ、でかいだけに安定感は抜群で、その中でユウ坊はすやすやと眠っていた。
とにかく俺は横断歩道でサヤを振り返り、例のセリフを口にした。だから幸か不幸か見ていない。怒ったイノシシみたいに俺をめがけて突進してきた、ぴかぴか光る真っ赤な鉄のかたまりを。
どっかーんという、すさまじい音がした。