でもひょっとしたらこれは、俺だけが聞いた音なのかもしれない。世界がくるりと反転していくなか、ちらっと視界に入ったユウ坊は、まだすやすやと眠ったままだったから。俺の手を離れたスーパーのビニール袋はものすごい勢いで宙を飛んでいき、街路樹にぐしゃりと当たって中身をそこらじゅうにぶちまけていた。カツオの半身もパックごと、惨めな最期を遂げていた。あのカツオだって、まさか自分にたたき以外の運命が待ち受けているとは、思いもしなかったに違いない。
サヤはさっきの笑いのかけらを片頬に張り付けたまま、呆然(ぼうぜん)と立ちすくんでいた。街路樹の傍(かたわ)らではどこかの野良猫が、あっぱれなすばしっこさで俺たちの晩のオカズをかすめ取っているところだった。
野次馬が集まってくるのは、あっという間のことだった。誰かが、携帯電話で救急車を呼んでくれている。焦っているのか、何度も何度もボタンを押し間違えている。おいおい、しっかりしてくれよ。そう言おうとしたのだが、どうしても声にはならなかった。
全身強打、複雑骨折、内臓破裂、大量出血……。ビールの中ではじける細かいあぶくのように、不吉な言葉がいくつもいくつも、瞬間的に浮かんでは消えた。
ヤバイなあ……。
どこか他人事(ひとごと)のように、俺はそう考え始めていた。
ユウ坊は相変わらずベビーカーの中で、すやすやと眠り続けていた。
本記事は幻冬舎文庫『ささら さや』(加納朋子著)の全368ページ中5ページ分を掲載した試し読みです。続きは『ささら さや』文庫、または電子書籍をご覧下さい。
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